Kitsch!

 日も傾き、山から溢れんばかりのその光は自らを赤く赤く燃やしながら、その身をそっと隠そうとしている。

 夕方四時。夜も近い。


 人の声や賑わいは徐々に静まり、校舎の中も飾りつけはそのままに人の出入りだけがどんどん少なくなっていった。


 そんな中、廊下を歩く一人の男子の影。


 これの一時間か二時間前、彼は彼女に問うた。


「千草、怪我は大丈夫かい?」


「ぶっ倒れてたけど……」

「大丈夫です。そこまで怪我はひどくなさそうです」

「でも沢山刺されて――」

「大丈夫ですってば。そんなに柔じゃないですよ。それよりも何か用があったんじゃないですか?」

「え、え? い、いや……その……」


「あの、約束のは、その……来れるかなって聞きたくってさ……」


「……」

「こ、来れそう?」

 千草は二、三度目をしばたかせ、その後にっこり微笑んだ。

「行きます。行かせてください」

「ほっ、本当かい!」

「ええ。……でも、先に行っててください。この怪我なので」

「あ、ああ、ゆっくり来て」


 今までの様子から別に心配はしていない。でも、いざ目の前にすると、こうして歩くと、少し緊張する。

 ここまで関係も何も築かず、お互いフリーのままできたのだ。

 もういい加減この気持ちを伝えても良いだろう。

 そう思いながら教室の扉を開くと誰かがいた。

 この学校の制服を着た女生徒。どこかで擦りむきでもしたのか頬に大きな絆創膏を付けていた。

 伏し目がちな黒耀石がこちらを見る。


「誰、だい」

「先輩……あの……」


「ち、千草、です」


 今にも消え入りそうな声で話す彼女のその様子に、思わず眉間に皺が寄った。


「何」


 嫌悪の念を隠しもせずに、一言ぼそりと言った。


 * * *


「あの……もうこれで、消えますから一つだけ……」

「何も聞きたくないし、見たくないんだけど」

「分かってます! 分かってます……でも、これだけは言いたくて」

「いらない」

「謝りたくて!」

 彼がどんな顔をしているかなんてのは全然分からなかった。唯、見たくなくて。でも、彼に許してもらえたという安心だけは欲しくって。

 でなければ胸につっかえ棒みたいに引っかかって一生取れないだろう。それ位、凄く凄く苦しかった。

「私、酷いことをした……先輩のこと傷つけて、悲しませて……物凄く反省しているんです」

「……」

「暴力はいつの時代もどんな状況でも犯罪、なんですよね。それはよくよく分かってました。でも……そんなことも考えられないくらい切羽詰まってました」

「だから?」

「あ……」

「言い訳が上手だね」

「……本当に。本当にそう思います……でっ、でもっ! あそこで話したことはみんな事実なんです!」

「別に話なんて一つも聞いてないけど」

「あっ、あ、あ……そうですよね……ただ、分かって欲しくて、つい……」

「……、……で? 他に言う事は?」

「えっ! え、えと……」

 予想以上に厳しい藤森の態度に言葉がどんどん出なくなる。息もしづらくて、頭も真っ白で、手がどうしようもなく震えた。

 自分からあの子を殺したくて殺した訳では絶対ないのに、それでも胸の中を責め立てる罪悪の情。

「言う事は」

「あっ、あ……」


 知らなかった。

 加害者になるのが、こんなに、こんなに


「ご、ごめ」


 辛いなんて


「早く」


 思っ――






「はぁい、チーズ!」


 バチッ!






 ――その時。


 眩いフラッシュが焚かれ薄暗い教室が一瞬昼のように明るくなった。


「え……」

「な……」

「アハーッハッハッハ!! ハハァ!!」


 阿保のようにゲタゲタ笑うその人――千草の突然の行動に思わず困惑する二人。

 そんな彼らの前で「ブー!!」なんて挑発しながらウィッグを脱ぎ捨てる千草。そのままセーラー服も脱ぎ捨てその下から学生服に身を包んだ男の体を露わにした。

「あ、アンタ!?」

「千草……? どうしたんだい」

 混乱がその場を支配する中、彼は歌い出した。


「さあーさぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃいなぁ! 皆大好き王子様の写真だよぉ!! おひとついかが? 一枚百円、二枚で一五〇円、四枚で二七〇円!!」


 手に持ったポラロイドカメラから出た写真を富士子の前にちらつかせながら朗々と歌うベネノ。


「彼の秘密を知りたい女のコなら誰でも欲しいよね? ね? そうでしょう?」

「え、あ……」

「良いよ、お安くしておこう。さ」


「受け取りな」


 訳が分からないままにそっと写真を握らされる富士子。

 そんな彼が歌うその歌の名は――「Kitschキッチュ」。


 * * *


「この写真なんかどうだい? 良く撮れてるだろう? これも君にあげるよ。題して女のコを格好よく守る王子様ァ」

 一枚写真を握らせる。

 初めて富士子とエンジェルが襲いかかって来た時の千草の傷を庇い、コンビニまで連れて行く藤森。

「あ、そうだ! これもとっておき! 女のコのお願いを叶えてくれる王子様」

 もう一枚も握らせた。

 今度は二回目の襲撃の時か、と思ったら――


 ――違う。


 何だ? 別の女が一緒に居る。

 傍からこの茶番劇を見ていた藤森がその写真を見た途端血相を変え、富士子の手からそれを奪い取ろうとした。

 怖くて思わず身を引く。そんな彼らの間に役者は身を滑り込ませた。

「まだまだあるぅ! これは女のコに贈り物を贈ってあげるやつ……あれ、まだまだ出てくる! いっぱい出てくる!! アハ、アハハハハ!! これはすげぇ!!」

 いつもマモンがやっているように腹からどんどん写真を取り出し、ええじゃないかの要領でどんどんばら撒く。

「大特価だ、大特価だ!! どんどん取ってけ、その目で見ろ、!」

 言われるがまま拾えばあれにもそれにも別の女が写っている。

 な、何コレ、何コレ……。何コレ……。

 信じられない写真があれよあれよと出てきて、自分の視界を埋め尽くす、教室の床を埋め尽くす。


「しかも、その写真はね、おまけつき」


 呆然としながらも信じられない写真に見入る千草。その手元の感光紙をベネノが不意にひっくり返せば――


 ――藤森の親が会長をしている有名グループ傘下のホテルに入る男女の姿。


「ハハァーハ!! Kitsch俗悪だ!!」


「……!」

 流石にヒュっと喉が鳴った。


「でたらめだ!」

 そこに予想通りの反論。

 床にぶち撒けられた写真の数々を鷲掴みにしてこちらに投げつけてくる。

「作ろうと思えば幾らでも証拠なんて作れる! 現代の技術を舐めるな!!」

「――そうだねぇ、出来るかも。でも、千草はこれを見れば何故こんなことが起こったかなんて直ぐに分かるよ」

 そう言ってベネノは自分の頭の上で淡く柔く光る補正を不意に取り、千草の頭に近付けた。

 その瞬間、藤森の目の色が変わる。


「あれ……? お前……」


……?」


 自分を見て、息を呑み、ニタリと顔を緩ませる。


 ――!?


 その掌返しの余りの速さにゾッとした。

「見たかい? ――そう! コイツは補正に飼われた哀れな子! 補正に恋しちゃった可哀想な男の子!」

「補正に、恋……?」

「だから、こんなことが起きてるんだよ……女のコの頭の上に試しに補正を付けて回ってたんだ……天使の隠し子に接触した君になら見えるね? 彼女達の頭上だよ」

 言われた通り、慌ててまじまじ見るとそこかしこに写っている。宝石に喜ぶ女子の頭の上、高いバッグを貰った女子の頭の上。

 あれこれそれどれ……どこにでもついている。


「更にはそれだけじゃない! アイツがどこまで自己満な奴か、教えてやろう!!」


「舞台の上の王子様からは絶対に分からない彼の本当の姿」

「やめろ」

「時を戻そう、僕らが初めて戦ったあの場所だ!」


 マジックのように感光紙がまたベネノの高く掲げた人差し指と中指とに挟まれ、現出する。


「僕の猛毒で絶叫しながら苦しんだ千草」


?」


 ――!


「絶叫しながら腹を押さえ、激痛に歎く女のコ。それを彼は何もないかのように無視をした……それに?」

 また写真が出てくる。

「これは彼の悪い癖! 自分にとって不利なことが起これば直ぐに物やらカネやらで気を引こうとする。自分の顔で手に負えない相手の心はカネで解決しようとするんだね、愚かだねェ」

 そこにはダイヤモンドを値札も見ずに買う彼の姿。


「さあ、ここで考えてみよう! あんな告発を君がしておきながら藤森が、わざわざ!」


「そしてもう一つ! 考えてみよう、何故先程君に対してあんなに!」


 目玉が零れ落ちん程に目を見開き、体をわなわなと震わせる千草。


「全ての理由はここにある」


 そんな彼女に真っ直ぐ差し出したのは一つの台本。――『千年後の美女と野獣』


「自分の汚点さえも美化させたくて仕方なかったんだね」

 呼吸が、鼓動が速くなってきた。


 ――今なら、今ならば分かる。


 どうして彼がニセモノではなく、私を責めたのか!


 どうしてあんなに苦しかったのか!


 どうして人生の意味を見失っていたのか!!


「嗚呼、嗚呼とんだエゴイスト!! 何故乙女の人生を喰い散らかすような奴が恋愛推奨の相手としてこうも日の下を歩いているのか!!」


Kitschとんだ俗悪野郎だ!!」


 その瞬間、目の前の逆上してきたが力に任せて机をぶん投げてきた。

「キャアアア!?」

 それを紋様から取り出した鎌で弾き、彼女を守った。


「お前らなんか、お前らなんかパパに言いつければすぐに殺せるんだぞ!!」

「ああ、はいはい。パパだいちゅきちゃんなのは分かったから」

「お前だって、あんなに媚びてた癖に――」

 鼻に皺を寄せてうなる彼を一笑。

「は? 何言っちゃってんの? ハハハ……」


「恋愛小説をブレイクしようってのに誰がお前に好意を寄せるかね!?」


「ぜぇーんぶ、これを導き出す為の演技でしたー!! アハハハーハハ!!」


 それが決定的なトリガーとなったようだ。

 奇声を上げながら教室中の机をめちゃめちゃに蹴り飛ばし始めた。


「笑えるだろ? アイツ、大けが負った僕に対して告白したいから来れるかどうかの確認したんだぜ?」

 背に回した千草にこっそり言うベネノ。


「殴りてぇだろ」

「……同感」


 大人しいセーラー服の少女にマモンの力が流れ込む。

 今までの富士子が纏っていた忍の姿に変化した。


「交渉成立」


「生まれ変われ、千草」


(つづく)

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