物語の最終局面

 傷だらけで運ばれるみたいな事態にはなったものの、初めての休日デートも何とか終わった。そこで彼に嫉妬を経験させたことがトリガーとなり、お互いがお互いに少しずつ本当の自分をさらけ出すようになる。彼のあれこれが分かって来た。

 それでも現状に満足していてはいけない。勿論、怪しい挙動は繰り返していき、程よく彼の心を掴んでは焦らし続けた。おかげで贈り物も沢山貰ってマモンは大喜び。僕も貯蓄を増やすことが出来た。


 そう。あくまで僕はファム・ファタール。カルメンやマノン・レスコー、ナオミのように男性の人生を思いのままに操り、その恋を謳歌する。


 そうしてそのままゴールデンウイークに梅雨に夏合宿にと忙しい日々を部員達と切磋琢磨して高め合いながらデートも重ね、何度か恋人ごっこみたいなこともしつつ過ごし、遂に昨日、この日が来た。


 夏休みも片手で数えられる位になってきた、七月のある日。

 文化祭の配役決め。

 物語――かつ、僕らの計画は最終局面に突入する。


 * * *


「マモン様……大変申し訳のう御座いますが……」

「問題ないですよ、私はこちらでヘッドフォン付けながら作業いたしますので」

「……やっぱり富士子から歌の才能も取れないかな」

「無理ですね。意識の干渉がある限りは『強欲』の立ち入る隙が無いんです」

「じゃっ、じゃあ寝込みを襲えば――」

「馬鹿ですか。相手は他のキャラクタと違って使い魔を持っているんですよ。それに私と同じ『強欲』の使い手ときた」

「……やっぱ気配だけでバレますか?」

「間違いなくバレます」

「じゃっ、じゃあ怜さん……」

「緊張で喉が詰まれば声が出せなくなりますよ」

「それじゃあ前、街中で出会ったあの大輝さん……」

「そもそも彼の所在を知ってるんですか?」

「え? 知らない」

「……どうやって探すんですか」

 撃沈。

 いそいそと写真整理をする彼から離れ、昔の補聴器みたいなラッパ型の防音練習器具を使いながら小さい声でぼそぼそ練習する。


 何があったかというと……それは昨日の配役決め直前での出来事。


『千草。次の文化祭公演では俺の相手役になってよ』


 大抜擢!

 彼との談笑で小さくガッツポーズ。

 よし。ここまでは計画通りだ!


『あ、そうだ。それと』


 ――ん?

 


『千草の得意な歌も盛り込もうと思っててね。顧問の先生と相談したらオッケーだってさ。もう脚本も書き始めてるし、期待しててよ。今度はミュージカルだ!』

『……え』

『見せ場沢山用意するからさ』


 そこから先はよく覚えていない。

 ……ここは計画の範囲外、想定外だ。


「というか貴方にだって彼女並みの立派な学習能力、あるのでしょう? 武具の訓練での凄まじい学習スピードに目覚ましい上達ぶりだとか、業務内容を誰よりも理解していたとか、演技力も素晴らしいだとか、自分に関する色々な噂が一時期広まっていたのをご存知ですか?」

「知らないよ……どこで誰が言ってたの」

彼の王悪魔王です。思えばずっと貴方のことを欲しがってましたねぇ、アイツ……ファートムの手元に置いておくのは勿体ないって」

「ファートムは全然そんなこと言ってくれなかったけど」

「そんなに常々べた褒めする柄でもないでしょう。彼は人間の姿の時は教育者。しかも『可愛い子には旅をさせよ』タイプの熱血教師です」

 ……んー、言われてみれば。

「それに『シナリオブレイカー討伐』なんてそう安易に人に任せられる仕事ではないですからね。加えて言えば私は上位悪魔です。相応の信頼が無ければ務まらぬ仕事であることに間違いはない」

「……」

「貴方もジャックや虹と同じ彼の子。ちゃんと神サマは見ていたってことですね」

 ……。

「――で?」

「要するに貴方は本気さえ出せば歌のお稽古だって余裕で出来るはずなんです。私は勿論ですが何より観客が気絶しないように」

「はいはい。頑張るよ」

「あ、それと先に断っておきますが、窓ガラスの修繕費は払いませんから」

「頑張るってば!」

 そう投げやりに言い放つとマモンが腕を取ってきた。

「な、何だよ」

「若しかしたらウンザリしているかもしれませんがね? 兎に角、兎に角今は我慢の時です。無難でも良いのでしくじらないことです。写真もこんなに溜まった。一気にシナリオブレイクにぶち込んでいける」

「……」


「最後のパフォーマンスの主導権こそ、貴方が握らなければならない」

「……」


「その為には誰一人として気絶させないことが」

「ああもう分かったから! ちょっと静かにしてて!!」

 手をバシッと弾き、くるりと後ろを向いて練習再開。

 ぼそぼそ。

「……」

 ぼそぼそ。

「……」

 うー、正しい音程って何だ?

 これでも良いじゃんか……別に。

 ぼそぼそ……。


「――う」


「うううあああ、うじうじと焦れったいー!! もっと腹から声出せやぁ!!」

「マモン!?」

「私、ずっと言ってませんでしたけどオペラやミュージカルを嗜んでいるんです! いい加減な歌で済ませようとか考えてるんだったら承知しませんからね!?」

「マモン!!? 写真整理は――」

「うるっさぁぁーい!! 手を抜いたら承知しませんからね!! 異世界ファンタジーの補正を上手く使って練習しろ! ほら、はい腹式呼吸!!」

「えっ! えぇぁあ、はい!」


 そんなキャラだったか!?


 * * *


 時間は流れて、あっという間に秋到来。

 そうしてあっという間に本番も到来。

 血の滲むような地獄の特訓の日々は思い出したくないのでカットします。


 右も左も浮かれ切った生徒達や外部のお客さんで賑やかにごった返している中、その男はいつものように手を振りながら走って来た。

「おーい!」

「先輩!」

 いつものようにぎゅっと抱き着き、挨拶の代わりとする。――お、大幅にカットしているだけでいつもやってるんだからね!?

「千草、いよいよだね。はい綿あめ」

「わぁー、ありがとうございます!」

 何をどうやったらこうなったのか分からない程大きな大きな綿あめにぱくつく。口紅がちょっと付いた。今日のお化粧は怜さんのとこで修行してきた成果だが……上手く出来ているだろうか。

『大丈夫ですよ、主。よく出来ています』

「ありがと」

『歌練の成果も、きっと』

「……う、吐きそうになってきた」

「大丈夫かい?」

「だっ、大丈夫ですー! えへへー? 何のことかしらー!」

 やべぇ……二人の男といっぺんに喋ると分かりにくいし面倒臭いな。

「それじゃあ行こうか」

「はい」

 周りの女子達の黄色い歓声を浴びながら屋台の並ぶ校庭を突っ切り、今日の舞台である体育館横に陣取った教室、兼、楽屋に向かって歩いて行く。

 もう今頃他の部員達も集まって衣装に着替えているところだ。

「千草」

「何ですか?」

「春、初めて二人で演劇ごっこした時さ、ここに来たじゃん? 二人で」

「……そうでしたね」

「二十世と富士子になり切ってさぁ、あははは! ……本当、懐かしいね」

「ええ」

 存在しない記憶だ。

「歌とか歌いながらここに走ってきてさ。それが本当に楽しかったし……」


「全国への切符について約束をしてくれたのも、本当に嬉しかったんだ」


「だから今日はミュージカルにしようって。ずっと前から決めてたんだ」


「……」

 そう。本来の小説ならば欠かせないシーン、コンクール。それがこうして全カットされたのは紛れもないシナリオブレイクの影響だ。その証拠に僕はコンクールについての基礎情報を一切を知らない。でも問題なくこうやって小説を進めることは出来ている。

 本来の流れであれば地区大会とやらを勝ち進んだ僕達はその公演のお披露目を兼ねて文化祭公演でそのままのシナリオを演じることになる。そこに藤森がちょっとだけ歌を入れてみないかと提案するシーンがあるのだ。――今回の公演とは違って、本当に小さなミュージカル。

「俺ら三年は全国の舞台自体を踏むことは出来ないけどさ」

「……」

「最後の大会では金賞を取って、君達後輩を全国の舞台に連れて行くからね」

 爽やかな笑み。シナリオブレイクの影響が出る前ならばもっと出ていたであろう笑み。

 富士子が憧れていたであろう笑み。

「はい。きっと行きましょう、全国」

 それに同じように微笑みで返した。

 そこで会話が止まり、いつものように二人歩幅を揃えて歩いて行く。

 そうして人けのない廊下に差し掛かった時だった。

 ずっと思い詰めていたらしい藤森が顔をキッと上げ、歩みを止める。


「……千草」


 声に応じ、ちょっと行った先で振り返る。


「はい、何か?」


「……今日の公演が終わった後さ、俺の教室に来てくれる?」


「話したいことが、あって……」


 思わず目を見開いた。

 開いている窓から吹き込んできた秋の風が二人の髪の毛を揺らす。

 短い髪の毛では隠しきれない彼の顔が何だか火照っていた。


「……はい」


 震える声を喉から絞り出し、返事をする。


 開演二時間前のことだった。


 * * *


 ――昼の一時。


 放送委員のアナウンスが校内に響き渡り、生徒達の足音がカーテンの向こうからぞろぞろ聞こえてくる。

「大丈夫かな、マモン……」

『大丈夫ですよ、主。この公演さえ終われば後は仕上げしか残っていません。主は慣れないながらよく頑張っていましたね』

「……」

『歌もあんなに頑張って練習したんです。きっと最高の公演になります』

「でも、結局富士子のようにはなれなかった」

『何を仰いますか。いつでも貴方のライバルは貴方自身なんですよ』

「……マモン」

『過去の自分にはもう勝ちました。後は貴方がどうやって目の前の観客を魅了するか、ですよ。富士子と共演する訳でもないのに比べるのはちょっと土俵が違い過ぎるとは思いませんか?』

「……」

『ね?』

「……お前、本当、良い奴だよな」

『失敬な。私は貴方を「怠惰」に叩き落そうとしているんですよっ』

 どや顔してるのが分かるぞ、お前。

 そんな会話をしている内に劇団長たる藤森が開演前の挨拶を始めた。女の子達の相変わらずの歓声、藤森がにこやかに手を振ると何人かが気絶した。

 マジか。


 そんなこんなで公演が始まる。


 今回の公演の題目は『千年後の美女と野獣』。美女と野獣が生きた時代から千年が経った現代のとある町で、よく似た名前の映画の主人公達と同じような境遇に立たされた二人が主人公だ。

 自分の素晴らしかった時代にいつまでも縋りつきたい男が自分の屋敷に女性を連続誘拐して世間を騒がせるところから物語は始まる。彼は自分を褒めてくれる存在が欲しくて欲しくて堪らなかったというはた迷惑な男。金にものを言わせて彼女達を洗脳、無理矢理束縛していた。女の子達はネット上での彼の巧みな話術で誘い出された為、どうして帰ってこなくなったのか分からない親や世間。サイバー犯罪のプロなども参加して真犯人の追及に努めたが、彼も警察を警戒していている為、嘘の情報を多数拡散。混乱の為に捜査は難航していた。

 それを危惧して立ち上がったのは明るくもしっかりとした性格の女性警察官。SNSでも自らの正体を隠し、その男と接触。彼の本拠地を探り出し、交渉に臨むが――というのが大体のあらすじ。

 最初のシーンはそんな女性警察官の登場シーン。今流れているプロローグのアナウンスが終わった後、買い物のために街に出てくる。

 そこが一番最初の歌唱シーン。よく似た名前の映画ではお馴染みであろう『朝の風景』という曲をちょっとアレンジした歌をうたう。そして自己顕示欲のサイクルに悩まされる男の苦しむシーンへと継がれるのだ。

「おい、そろそろ出番だぞ。女優」

「はい」


 カーテンがスルスルと開かれる。


 息を吸い、吐いた。


 透明な歌声が響き渡っていく。


 * * *


「あの子、上手いな」

「ああ……ってあれ、千草ちゃんじゃないか」


 教室で練習するのとは違う出した声が響き、吸い込まれていく感覚に一気に引き込まれ、既にクラクラ酔いそうだった。役に没入しきり、本当にその世界に入ったかのようなこの熱気、仲間との掛け合い。


 ――嗚呼、青春している!


『主、やりますね! 今までで一番良いですよ!』

 本当に、本当に楽しいんだ!

 あの時富士子があんなに楽しそうに歌っていたのが何でなのか分かった気がした。

 喉から血が出る程練習しまくって良かった……!

 そうして曲はどんどん進み、いずれ敵役となる迷惑系インフルエンサーも登場。歌は流れるまま最後のクライマックスに!

 酔いしれそうな快感、熱に身を焦がしながら舞台に出ている役者全員でステージ前方に集まってロングトーン!

 曲が終わると割れんばかりの拍手が起こった。


 最高だ……ッ!!






 ――とその時。






 バサッ!


 大きな音を立てて背景が変えられたが……それの様子がおかしい。


『野上千草は偽物だ!』


『男を誘惑して狂わせて金を使わせるゲス!』


『どろぼうねこ!』


『彼女の悪どいシーンはこちらのQRコードから!』


 他多数。


 慌てて大道具係が控える場所を見やるとそこから一人の少女が飛び出してきた。


「皆、聞いて!!」


 僕よりも響く圧倒的な声量。女優のたまごと生まれながらの才能が磨いた全て。

 ――間違いない。


 富士子だ!


「私が本物の野上千草! ここに居るのは私の名前と存在を奪って好き放題しているどろぼうねこよ!」

「言いがかりをつけないで! 今は公演中よ!」

「へー。じゃあこれを見ても言えるんだ」

 そう言いながら手を振ったかと思うと、プロジェクターに突然光が灯る。

 こいつ……! 「強欲」をこんなことに使って!

 照明も落とされ、背景に映されたのは初めての休日デート。

 そこで僕が戦略としてやってきたアレコレがどんどん流された。

「やめろ!」

 僕の方でも「強欲」を使い、照明を復活、プロジェクターをショートさせ、元から断ち切った。


 ……これはいい加減、黙らせてやらないといけないみたいだな。


「マモン、時間!」

『分かってま――!』

 そう言ったまま沈黙。

「……どうした、マモン!」

 言いつつリボンに変身したマモンを見やってぎょっとした。


 光の寸鉄が刺さっている。


 ――エンジェルの会心の一撃!


 武器も能力も上手く引き出せない……制限された!


「どうしたの、どろぼうねこ」

 対して余裕そうな彼女の表情。計画の中だったのだろう、それに物凄い苛立ちを覚えた。


「ここで本当のお終いにしましょう、私の偽物、千草!」


 両手を振ればいつものように空中に忍器の数々が現出した。

 よくよく見れば宝禄火矢ほうろくひや等の火器も仲間入りしており、まるで人間戦車。もしくは一人で忍者部隊をやっているかのようなものだ。


「今日がアンタの命日! 絶対にシナリオブレイクは起こさせない!!」

「グ……!」


 マモン、起きろ! マモン!


 マモン!! 早く!!


(つづく)

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