ファム・ファタールⅠ 放課後

『セーラー服はちょっとだぼっとしたやつの方が良いだろう。俺がアンタを男じゃないかと疑った起点は腰回りの小ささだ。顔がどんなに丸くても体型のギャップがあるのはちょっとまずい』


『尻の小ささを隠すためにカーディガンを腰に巻いてみても良いだろう。中高生ならお決まりのファッションよ』


『それで……? 化けるのはいつにするんだい?』

「また次の機会にしておきます」


「確実に落としたいので。では」


 * * *


 翌日の放課後。


「昨夜、考えたんすよ。ふぁんふぁんとは何ぞ、と」

『ファム・ファタールですね』


 金の細いヘアピンに化けたマモンが耳元でウィッグの髪の毛をすっきりまとめている。そんな彼とベネノは今、使った教室の片づけをしている藤森を下駄箱前で待っているところだ。

「宿命の女とか言われてもちょっと分からなかったから、色んなふぁんふぁん作品を調べてさ」

『ファム・ファタールですね。どうして名前を誤解したままなのに調べられたのかが不思議で仕方ないです』

「あらすじだけ見るに、どうも完璧な人を肉体、美貌やその享楽的な性格で振り回し、狂わせていく人のことをいうらしい。デ・グリューもドン・ホセも『私』も、皆真面目な人だったのに、女に会った途端狂っていく、金を突っ込んでいく。でもそういうのはこの体じゃ出来ないでしょ? 出来たら多分楽なんだけどさ」

『……楽?』

 マモンは耳を疑った。

 ん。今、この座敷童、「楽」とか言わなかったか。

 気のせいか?

「腕掴んで胸にこう、押し付けるとかさ。出来れば理性はきっとぶっ壊れると思う。だけど、ほら。まな板じゃん」

『……主?』

「だからさ。外じゃなくって、僕は中身でいこうと思うんだけど。どう」

『……中身』

「そ。彼は確かこの学校の宝だって話じゃん?」

『そう、ですね。貴方が忌み嫌っていたイケメンです』

「ということはその地位をどこか誇りに思ってるんじゃないかと思うわけよ、こちとら」

『なるほど?』

「とすればさ、彼もふぁんふぁんの餌食になり得ると思うんだ」


「そこから崩し、服従させる。恋の主導権はこちらが掌握しよう」


 その時、向こうからお待たせ! と言って駆け寄ってきた青年が一人。今日も笑顔が爽やかだ。

 ベネノは柔らかく笑んで胸元で手を小さく振った。

『え、でも。爽やか美青年はそういうの嫌いとかありませんか? その、誘惑みたいなのとか……いや、自分で言うのもなんですが』

「まあそうだろーね」

『うええ、それって大丈夫なんですか? 主。急に心配になってきましたよ!?』

「煩いなぁ。要は入れ込ませれば良いんだろ? だーいじょうぶだって。今日は控えめにいくよ」

 控えめ。

 今この座敷童、控えめって言ったか?

 ……本当に昨日押し倒されただけでひーひー言ってた座敷童だろうか、とぽかんとする。それとも昨日のアレで垢ぬけたか?

『と、兎に角頑張ってください……』

「任せてよ」

 そこで話を切り、ベネノは足を揃え小首を傾げつつ、微笑も崩さず、彼を迎えた。


「待った?」

「いいえ、待ってないです。私も用事があって今来たとこなんです」


 大丈夫なのかしら……。

 ヘアピンが汗をかいた。


 * * *


「すみません、付き合わせてしまって」

「良いんだ、後輩の頼みだからね」

「ありがとうございます、本当に助かります」

 これからの演劇部で必要になるノートやカラーペン等、それに発声や演劇についてのテキストを探し、駅前をぶらぶら。

 どれが良いのかが正直ぴんとこないのでおすすめを教えて欲しいと誘ったのは何とこちら側であった。

 おすすめの本屋や文具屋を聞きながら、二人で談笑する。

「でも君位の人ならそんなの要らないだろ?」

「いえ、先輩に恥をかかせたくないんです。私ももっともっと頑張らないと!」

「ははは、気合入れ過ぎ。肩の力抜いて」

 そう言って背中をとんとんと軽く叩く藤森。

「はっ、はい!」

 それに千草は顔を真っ赤にして何度か深呼吸をするが体のこわばりが取れない。寧ろ増していっているように見える。

 ――因みに勘違いしないようにしてもらいたいが、男である。ベネノである。


 彼女いない歴=年齢の座敷童である。


 深呼吸すればするほどどんどん力が入っていく千草のかちこちぶりに遂に笑いがこらえきれなくなった藤森。

「はは……逆に力入っちゃってるじゃないか。それじゃ舞台で困るよ」

「あ……っ、そ、そうですよね。すみません!」

「ほら、手に人って字を書いて」

 彼女の左手にそっと書いてやる。

「はわ……!」

「そして飲み込むんだ。こうやって」

 そう言って自分は自分の手に書いた人をごくんと飲み込んで見せた。

「わわ……」

「ほら。自分でもやってごらん」

 そう言われたが千草は左掌をじっと見つめ、そのまま飲み込んだ。そうして胸元を押さえて一息つきつつ、自分の左手を胸の前で大事そうに右手で包み、柔らかな笑みをこぼした。

「本当だ。先輩の魔法、あったかい」

 ぽつりと小さな声で言う。

 それに藤森が目を見開いた。

「ありがとうございます、今度からこれやってみます!」

「う、うん。良かったね」

 慌てて彼も微笑み返した。

 彼女の笑顔のまぶしさったらなかった。

『マジか』

 マモンが今度は違う理由の汗をかく。

「あ! ほ、本屋です、先輩! 私、さ、先入ってますね!」

「あ! 気を付け――」

「ひゃん!」

「千草ちゃん!」

 引き戸の敷居の出っ張りに豪快に躓いた千草。慌てて腕を取られたのに二人で赤面した。

「はわ……」

「あ、ごめん」

 あ、あざとい。あざとい気がするのに、あの緊張エピソードでごく自然に見えているのも恐ろしい。

『こいつ、誰かが成り代わってるとか無いか』

「それはあるかもしれません、


 ――!?


 自分のさりげない独り言への背後からの突然の返答に、マモンの警戒度が一気に上限まで達した。


 * * *


『主!』

 周りの背景の時を止め、マモンが変身を解除。

 一気に周りがモノクロームになった。

「って、ええー? 今良いとこなんだけど。何で時止めたの? 空気読めなさすぎー」

 よいしょと腕を抜きながら隙なく構えるマモンの隣に移動した。

「貴方の意外過ぎる才能は分かりましたから、落ち着いて現実見てください」

 彼の指す先を見るとそこには白い羽を広げた儚げな無表情の少女。

 あれ。いつの間に居たんだ?

 っていうか誰。

「天使……?」

「見た所そのようですが……」

「知らないの?」

「……」

 ふと考え込んだまま答えてくれない。

 仕方ないので相手の様子を窺いつつ、体勢のみ構えておいた。

「でも、主」

「ほい」

「相手は私のこと知っているみたいなんですよね」

「――え、ええ!?」

「だから止めたんです」

「……」


 相手はこちらを知っている。

 それだけで突然強大な敵に見えてきた。


 ――と。


「マモンさん。天使の隠し子って、知ってる?」


 彼女は突然話しかけてきた。それもマモンに。

「知っていますよ。『悪魔の愛し子』の運命神ver.ですよね」

「良かった。貴方は知ってた」

「……それが何か?」

「どこにいるか知ってる?」

「……いいえ」

「そう。残念」

 そこでふっと話を切ってしまう天使の少女。それ以降話は続かなかった。

 色々謎だ。

 相手は無表情でこちらを見つめたまま微塵も動こうとしない。

 それにマモンが痺れを切らした。

「というか、こちらに質問を投げる前に名乗るべきなんじゃないですか」

「マモンさんは私のこと知ってるはず」

「……知らないですよ」

「嘘吐き。でなけりゃ薄情よ」

「……」

 何故かそれにマモンが苦しそうな顔をする。

 何だ? こっちでも色恋沙汰か?

 帰ったら問い詰めてみよう。

「まあ良いわ。覚えてないものは仕方ない」

「そうです、諦めてお帰りください。今、我々は取込み中なのです。御用ならその後で――」

「残念だけど、そうはいかないの。私達は貴方達に用があって来た」

「……何?」

 私、

「私はエンジェル。運命管理局のファートムから遣わされてきた天使」


「補正と物語を返して欲しい相手がいるの。――ね? そうでしょう?」


「千草改め、


 そう言って彼女が後ろを振り向くと、本屋向かいの郵便局の屋根の上からその人影は跳躍し、降りてきた。

 そうして目の前に綺麗に着地すると、スカーフを巻いたくノ一みたいな人がこちらを真っ直ぐ見つめる。

 あれ、見たことあるけど……もしかして……。


「千草?」

「そう言ってるでしょ」


 そう言う彼女に今までのおどおどした可愛らしい雰囲気はなく、自立した何か強さがある気がした。

 それがこの格好に現れているのか? ――でなけりゃただのイタイ人だぞ。

「突然現れて私から先輩を奪って。気にくわないメス」

「……!」

 メス!?

 メスだぁ!?

「さっきの深呼吸も躓きもぜーんぶ汚い演技。反吐が出るわね」

「それが微塵も出来なかった君には言われたくない」

「それで先輩が喜んで貴方を大切にしてくれると思ってんの?」

「後で証明してやるよ。お前の心をズタズタにしてやる」

「あらそう。――なら良い」


「ここで死んで、私に補正を返して! どろぼうねこめ!」


 急に殺気を放ってきた千――じゃなくて富士子。

 それにマモンが反応した。

「来ます、主! 開眼を!」

「うん」

 いつもの通り紋様から鎌を取り出し、構えると彼女は腹に拳を当てた。


 直後、ずるりと出てくる苦無、手裏剣、戦輪といった忍器の数々。


 それに二人で目を見開かずにはいられなかった。


 一人の人間が複数の武器を体内に所持し、自由に操る。


 それは「強欲」以外の何物でもないからだ。


(つづく)

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