エンジェルの救い

 それからどうやって教室に帰って来たのかは全然覚えていない。


 ただ、目の前で先輩が見知らぬ人と帰ってたこと、そしてその口が私じゃないその人に向かって「千草」とはっきり言っていたこと。


 それにガツーンと心が殴られ、人生が何故だかその時点で終わった気がした。


「私、どうしていけば良いんだろう」


 今はただ、嘆くしかなくて。


 * * *


 兎に角様々な可能性を考えた。

 ドッペルゲンガーとか都市伝説とか混乱した頭で考えては、家に電話かけたり貰いたてほやほやの生徒証とか見たけれど……私は私のまま、千草だった。

 でも――いや、分かんない。

 先生や生徒達とすれ違っても話しかけてみても誰も私のことが分からない。――いや、若しかしたら私が新入生だから分からないってだけなのかもしれない。


 で、でも……真逆担任の先生まで分からないなんてことある?


 下手したら親も近所の人も私を見ても分からないのかもしれない。


 考えるだけでゾッとした。

 突然登場した見知らぬ人に私の存在を取られる。考えたことも無かったけど、無い事でも無いんだなと冷静に考え出した自分を殴りたかった。

 だって、自分の存在が取られたの! 名前ごと!

「本当にどうすれば良い……?」

 うろうろ早足で教室を回りながらもっともっと考えてみる。

 警察に言う? ――それこそ何て。

 存在が取られました! ……はっきり目視できる私を見て誰がそんなのを信じてくれるというの。

 確かにここは世界一怪異が発生し、溜まる町「門田町」――の隣街。その影響だろうか、明治街でも怪異や都市伝説はよく発生した。例えば「嘘喰いの怪人」だとか「妖集う闇カフェ」だとか、「異形頭の駄菓子屋」だとか、「変人と天才集う犯罪予備防止集団の噂」だとか。その他諸々。

 後は世界に一つしかない「明治街警察署 怪異課」と呼ばれる課。もしも相談するのならここなんだろうけど、手元に身分証明書が残っていたり自分の携帯電話で母親と話が出来たりするのには困った。これじゃあただの嘘吐きじゃん。自分でもこの状況が分かっていないのに行っても、もっと混乱したりさせてしまうだけ。

 ――それじゃあ隣町の陰陽師の所に行こうかな。確か、雑草とか川みたいな名前だった気がする……野原? 三角州? 最早誰。

 それにそこに行ってもさっきの「怪異課」と同じ。どう見たって自分の存在を取られていないように見えるこの証拠達が厄介。

 自分を証明するはずの物が真逆こんなに要らないと思う日が来るなんて。

 考えるうちに日は暮れて、家から心配の電話もかかってこなくて何だか途方に暮れてしまった。

 きっと今頃温かい食卓をドッペルゲンガーが囲んでいるんだ。

 プリーツスカートから覗く膝にとめどなく大粒の涙が零れ落ちる。

 凄く、凄く、何だか凄く悲しくなってきた。


 真逆。高校でもこんな思いをすることになるなんて。


 孤独。

 無力感。

 寂寞。


 様々な思いが込み上げ、どんどん暗くなっていく教室の隅でただただ泣くしかなかった。

 張り裂けそうな心を抱え、絶望で膝に顔を埋めた――


 ――その時。


「ねえ、貴方。使って、知ってる?」


 え?


 誰かが肩に手を置いた。

 振り返ると気付かぬ間にそこにいる。

「天、使……?」

「天使じゃなくて、隠し子。天使の隠し子。知らない?」

「知らない、です……」

「じゃあごめん、大丈夫。ありがとう」

「あ、いえ」

 にこりと笑みもせず、しかし柔らかく優しい声で私に話しかけてきたのは無表情の女の子だった。

 ファンタジーゲームの近衛兵みたいな、とにかく綺麗な藍色を基調とした服。正式名称は分からないけれど……服の前面に垂れる長くて白い前掛けみたいなのも素敵だったし、それの上から焦げ茶の太いベルトでしめているのもお洒落だと思った。それに綺麗な白濁の瞳、すらりと指がすり抜けそうなふんわり茶髪はロングヘアー。この世にこんなに素朴ながら美しい物があるのか、と本気で思った。

 これが神の創造物かと、目を見張った。

 何よりそれらを強調したのはその背の

 人がコスプレで付けていると何だか変な感じしかしないのに、この人のそれに違和感は無かった。

 多分、この人が付けるべくして存在しているもの。

「あ、貴方は誰?」

 思わず口から零れた本音。

 それでも彼女は笑むことなく、こちらをちらりと見て言った。

 絹糸のような茶髪が風に揺れる。


「私はエンジェル」


「貴方に救済をするべく運命管理局から遣わされてきたの」


 ドッペルゲンガーが居るのなら神サマも実在するのかもって。

 この時は本当に思った。


 * * *


 ……。


 ……、……。


「え、えんじぇるっ!?」


「何でしょう?」

「あ、その、呼んだんじゃなくって」

 天然、なのかな?

 ちょっと思ったそれを頭から強制的に追い出して、改めて向き直る。

「あ、その……えっと……だから今のは、その……救済っていうのは何かな? って思って……それに、その、運命ナントカっていうのについても知りたいかなーっていうか」

「余り沢山は話せない。きっと混乱するから」

「あ、そ、そですよねー」

「でも言えることはある。一番は貴方がピンチだっていうこと」

「……!」

「貴方は存在する為に必要な物を取られた。その為に今ひとりぼっちになりかけている」

「……」

「でも大丈夫。運命神はいつでも貴方を見ている」

「……」

「だから私が助けに来た」

「……うう」

 さらりと出てきたその言葉達に何故だかまた目頭が熱くなった。

 自分の困惑、困窮にただ一人、この世でただ一人理解を示してくれる人がいる。それだけで本当に嬉しかったし、周りに迷惑をかけないようにしなければと思う一方、早く気付いて欲しいと思う気持ちもあったことにこれでようやく気付いた。

 救済。

 その言葉は本物だ。

「泣いちゃだめ。紙が濡れちゃう。濡れたら破けちゃうよ」

「髪?」

「違うよ、紙だよ」

「……?」

 ……時折おかしなことを言う。

「まあいい。それは置いておいて、私達は『今』の話をしよう」

「今?」

「そう。私は犯人を知ってるの」


「貴方はシナリオブレイカーっていう悪魔の二人組、知ってる?」


 ――、――。


 その後細かい事情を聞き、その上で彼女から自分がこの物語の主人公であることを伝えられた。

 現実味のないことだけど、聞くと妙に納得してしまう。

 入学式の朝のあのも言われぬ自信は若しかしたらそこからきていたのかもしれない。どうも歌いたくて堪らなかったし、何でも出来る気がしたし、何でも乗り越えられる気もしていた。

「でも今は違うでしょう? あの日胸の底から込み上がってきた自信も気力も出てこない」

 頷く。


「それはね、『主人公補正』が取られたからなの」


 ……。


 ……、……。


「しゅ、しゅじんこうほせいっ!?」


「貴方の存在価値そのものといっても最早過言ではない」

「そ、そんなメタい話が実在して、真逆私が持っていたなんて!」

「……さっき説明したはずなんだけど」

 あれ!? 確かに! 何でだろう……。

 口が勝手に説明口調で喋ったわぁ。

「兎に角。このままでは貴方はずっと見知らぬ少女Aのまま物語を終え、報われないまま終わってしまう。この時の為に溜めていた中学時代の苦しみも悲しみも何も無かったことになってしまう」

「……」

「それに貴方、優しいから……」

 そう言って頬を撫でるエンジェル。


「誰にも相談できないでしょう? 出来ない理由ばかり探してしまう」

「……!」


 また目頭が熱くなってきた。今度は図星で。

「だから泣かないでってば。紙が濡れたら破けちゃうんだよ」

 そう言いながら頭を撫でるもんだからもっと悲しくなってきてしまう。

「うう、えぐえぐ……」

「よしよし。今日から私が味方だよ」

 それから泣き止むまでずっと傍に居て、寄り添い続けてくれたエンジェル。


 その後、彼女は衝撃的な物を出してこんなことを言った。


「この物語の間だけ、私と契約して私を使い魔にして欲しいの」


 言いながらお腹から出したのはおびただしい数の武器の数々。

 彼女の物静かで神秘的な様子からは想像もできない殺意の高い武器達に困惑。


「え、え? え?」

「私と契約するなら貸してあげる。私のチカラ」


「――『』」


 * * *


『もしこのチカラを貴方が得たならば、貴方はこれらの忍器を自在に操ることが出来るようになる』

『忍器……』

『忍びの道具よ』


『でもよく考えて。これは貴方が踏み出すチャンスであり、かつ、もう前の自分には戻れないということでもある』


『……』

『でも、これでしかもう彼らから補正は取り返せない』


『先輩の囚われた心を取り返したいのなら手に取って』


『貴方の生まれ変わりを機に私が貴方を迎えに行く。やめるならばこれをそのままにして帰って』


『期限は明日の朝七時』


 ――そうは言われてもなぁ。


 教室の後ろにかけられた鏡に映る自信のなさげな少女を正面から見つめる。

 ここ数日はあんなに幸せだった。憧れの先輩に話しかけられ、目をかけてもらって、演劇の真似っこまでして夢まで語った。

 それが、こんな物を目の前に広げるまでになってしまった。

「銃刀法違反じゃん。間違いなく」

 恨むべくはその犯人の二人組。それは間違いない。

 でもだからといって彼らをやっつけるなど。自分に出来る気はしなかった。

「これ、苦無だよね。これだけ知ってる、かも」

 一番近くに置かれた黒いナイフのような苦無に指を滑らせる。

 持っても唯の無機物。

 これが本当に人生を変えられるっていうのかしら。


 ……。


 ……人生。


 思えば私の人生は苦悩続きだった。

 褒めそやされてばかりの人生だったならもっと私は嫌な奴になってたはず。

 自分より嫌な奴を思ってはちょっと苦笑い。

 ――彼女は取り巻きからいつでも褒めそやされてばかりだった。


『貴方は主人公であるべき人間なの。その権限を悪さして回る二人組に奪われた』


『それを我々運命管理局では人生の破壊者シナリオブレイカーというの』


 小さい頃から好きで歌ってたばかりじゃない。好きになるまでに、物にするまでに、人には言えない程の時間がかかった。


 それが今。こうして花開こうとしているのに、それでも邪魔してくる奴らがいる。


 ――きっと彼らも褒めそやされ、苦労をしない人生を送ってきたのだろう。だからその立場を維持するのに人の物を盗る必要があるのだ。


 そこまで考え、改めて忍器の数々を見た時。

 自分の中で何かが確かに変わっていた。


 補正は確かに盗られた。

 でも歌のこの能力はずっと小さな頃から積み上げてきたものだったからか、盗られてはいなかった。


 口を突いて出てくるそれは、大好きな歌。

『レット・イット・ゴー ~ありのままで~』


 上を向く過程が、まるで私のようで。


 改めて苦無を手に取ると表面にダイヤで形作られた天使のような模様が浮かび上がる。それは瞬時に全ての忍器に広がった。

 自分の手で持たずとも全てが浮き上がる。

 私の、力。

 扱うのに訳もない、この力!

 歌に合わせて左手を振ると壁に手裏剣が刺さった。右手を振れば今度は苦無が壁に刺さる。まるで突き刺さったそれらを抜くように手を動かせばそれに合わせて刺さった忍器が抜かれ、自分の頭上で踊るように舞う。

「これだ……!」

 エンジェルが残してくれた忍器収納ポーチをベルトに装着し、教室を飛び出した。

 誰もいない静かな廊下を歩き、非常階段に向かって一直線に歩いて行く。

 少しずつ舞い戻ってくる自信。漲る気力。


 今の私には、もっと広い舞台が必要だ!


 廊下を思わず走り、非常階段への扉をぶつかるように開ける。

 上へとどこまでも続く非常階段を見て、その思いは遂に爆発した。


 勢いよく駆け上がり、息が切れるのも忘れてその場所を目指す。

 やがて飛び出した屋上からは今にも光が消えそうな夕陽が良く見えた。

 歌もサビを抜け、Cメロに入った。

 今度はもっと沢山の種類、数の忍器を出して操ってみた。戦輪なんかも出し、空に浮かばせ、光に反射させてみる。

 きっと使い方はまるで違うだろう。

 でも今の私にはこれ位の方が合っている気がした。

 流れるようなアドリブで舞台を彩り、しかし緻密に計算された台本だけは遮らず。

 その丁度良いバランスで究極を目指し、作り上げていく。


「エンジェル、見つけた! これが私の生き方!!」


 心の底から叫んで両手を広げるとセーラー服もくノ一が着るような忍びの服になった。次いで、馬鹿にされてから絶対にやらないと決めていたポニーテールを高くまとめ、校庭が見下ろせる場所まで歩いて行く。虚空から自分が中学まで呪いの様に付けていたマフラーを取り出し、スカーフの様に首に巻いた。

 あの時は奴らから顔を隠す為に着けていた。

 これからは自分のチャームポイントとして着けていく!


「私は絶対に負けない。奪われた物を全て取り返し、先輩の心も取り返して見せる!!」


 最後の一番盛り上がる箇所、ロングトーンを大空に響かせた。


 それは夜空を反響板にして町中に響き渡る。


 ――そうだ。

 新しい名前は富士子にしよう。


 静かに思いながら屋上から飛び降りた。


(つづく)

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