「マドンナ」横取り

 光る汗、ドキリ、裏切り、盛り上がり。そして似た名前の作品では最早お馴染みのあの追いかけっこ。

 極めつけのサンバ・テンペラードに乗せたカーテンコールはスタンディングオベーションに包まれ、主人公は堂々たる風貌で優雅に礼をした。


 女子の心は全部その瞬間盗まれた。

 ――勿論彼女のも。


「面白かったですね! ルパン二十世」

「認めたくない、認めたくないけど面白かった」

「私達もああいう作品を作りたいものです!」

「気に入らん。絶対にアイツの補正を手に入れてやる」

「主、違いますよ。そっちじゃないです」


 何だよ、本当に格好良いなんてさ。

 悔しいったらないよな。


 * * *


 あの時、藤森が彼女に渡してきたのは新入生歓迎公演のチケット。


『君、演劇とか好きだろうって思って。良かったら来てよ』


 学校の宝こと藤森に直接チケットを渡された千草に女子の黄色い声がキャーキャー響いた校庭。嫉妬の禍も渦巻いた校庭。

 突然の事に困惑しつつも彼女は一通りの入学行事を済ませ、約三日後、いざ歓迎公演へ。(因みにこの間の時間は物語の不思議な力でカットされている)


 そして見たのが、部長藤森の圧倒的な演技力だった、というわけだ。


 心射抜かれ、春を見る。

 千草、入部を決意する。


 ――、――。


「お、いらっしゃい。来てくれると思ってたよ」


 にっこりと笑んで出てきたいけ好かんイケメンに迎えられた千草――とその他大勢の女子。

 来てくれると思ったって、あんなん差し出されたら来ない訳にはいかないだろうが! 何だと思ってんだ自分のこと!!

「まあまあ」

 台詞だけだと余裕そうな声出してるように見えるが、その実、今にも飛び出しそうな僕の腹を一生懸命抱きかかえながら必死で抑えている。

「あっ! お、お邪魔し、ます」

 そう言って頬を染め、パンフレットで顔を隠す千草。

 アアーッ!! カワイイ!! カワイイデシュネッ!! イツモノゲンキガハズカシサデキエチャウアタリ!! オウエンシタクナルデシュネッ!! 千草チャン、カワイイイイイ!!

「恥ずかしがらなくても良いよ、力を抜いて」

 ――それを藤森がニヨニヨ見つめていたのを見逃さなかった。見逃さなかったぞぉ! 俺は!!

「あいつ、自覚ありのイケメンだな。タラシとかだな! 騙されるな千草ちゃぁん!! アイツ、お前を喰う気だぞ!!」

「どわわぁあ!! シーッ、シーッ!!」

 今度は思わず叫んだ僕の口を勢いよく塞いでずるずると物影に退避。

「そんな訳ないじゃないですか! 何のたまってるんですか! ちょっとは静かにしてくださいよ! 情緒不安定ですか!」

「だって! あの目見ろよ!! あれは絶対タラシの目だ!」

「絶対な訳はないでしょう!」

「じゃあ何だって言うんだ!」

「えええ? んー……他には……」

「……」


「変態……?」


 ああ。

 妙に納得してしまった。

「というか主、これから恋のアレコレを彼とすることになるんですよ? どうしてモテ男の前ではそんなに嫌な奴になっちゃうんですか」

「事実を言ってるまでだ!」

「だっさー」

「何とでも言え!」

 ぷい! とそっぽを向く。

 そんな(今思えば)困った僕にちょっとため息を零し、マモンは正面から向き直った。

「良いですか? 主。恋とは一時の夢。その色香に酔い、己を見失う魔の時間。そういう時、人間は見栄を張り、自分をよく見せようとし、相手に対しては素敵な所しか見えなくなるというものです」

「……」

「主も一度は恋を経験するべきです。巣立った雛鳥が旅を経て大人になるように、貴方も恋に呑まれ、溺れた時に大人になるのです」

「……」

「――まぁ、嫌いな人を無理矢理好きになる必要もありませんけど」


「恋で男を惑わす女ほどたまらんものも無いですからね」


 ちろり。


「ウフフッ」

「……ウ!」

 ちょ、舌なめずりしながら顎を持ち上げたりするんじゃないよ!

 ど、ドキッとするじゃないか。


 * * *


 午後六時。

 部活の時間も終わり、教室に残ったのは千草ちゃんと藤森。

 僕らはそれを窓の外からそっと覗く。

「どう。今回のシナリオ」

「本当に面白かったです。この人のストーリーのセンス、私、好きかもしれない」

「そう? ふふ、ありがとう」

「――え?」

「俺が書いたんだよ」

 お約束過ぎる展開に一気に千草ちゃんの顔がぼぼっと赤くなる。

 ドッキーン!

 ヒャー! カワイイッ!!

「煩いです」

 ぽか。

「きゃん!」

 僕がど突かれた正にその瞬間、藤森が「ア」と声を上げた。

「そうだ。ね、君、富士子やってよ。俺がルパン二十世やるからさ」

「え!? そんな、急に言われても困ります!」

「はは! そんなん言って、大丈夫でしょ」


「あんなに歌が上手なのに?」


「――え」

 ぽかんとしている間に藤森に手を取られ、そのまま誘われていく千草ちゃん。

「第三話、『時空のエメラルド』。台本、五十二頁目。三行目の台詞から――」


『ここがプディヤビルだな? 未来が遺したエメラルドの眠る場所』

 一気に役に没入していく藤森。直後、続きを誘う紅茶の瞳。

 生徒のほとんどが帰った静かな校舎、二人だけの世界が広がる。

 それに千草ちゃんの中の女優魂が弾けた。

 一気に大空に飛び出し、風を得た鳥のように、綱も鎖もなく、元気よく自由に野を駆ける犬のように。

 彼女の女優魂が自由の空へと放たれる。

『あれでしょ? 五百年後の国務機関、そこの秘密研究所が何かしらの事故でこの時代に落としたっていう秘宝……』

『そぉーう! 人の心を盗むエメラルド! 今その五百年後から来た連中がこのビルの中を探し回っているんだと!』


『――そそられるよな?』

『勿論! 奪ってコレクションに飾ってやるわ』


 行こう。


 そこで二人飛び出した。

 目の前にあるのは学校じゃない。時空が落とした宝眠る、プディヤビル。

 赤外線やレーザー光線を目の前に夢想し、二人でどんどん駆け抜けていく。

「追いましょう。ここで二人は完璧に恋に落ちます。殺るなら今!」

 背中を叩き促され、ハッとする。

 開眼を施し、首筋の紋様からサバイバルナイフを取り出す。


「怪盗ベネノマスク参上!! 補正を頂きに参上した!!」


 ……。

 ……、……。


 しーん。


『……何あの演劇の影響受けてるんですか』

「い、良いじゃないか! 別に!! 第二話のあの伏線からのナイフ戦は性癖どストライクなんだよ!」

 楽しそうに駆けていく二人。

 追う僕ら。

 アレンジで台詞まで入れて没入しきる二人。本来このシーンはルパン二十世一味全員で乗り込み、巨大な組織相手に派手なアクションで盛り上げる所。しかし今は二人だけ。

 社交ダンスのような動きまで交えて激しく、かつ情熱的に場を盛り上げていく。


 ――そうして二人は落ちたエメラルドに敵のエリートスパイと同時に手を付けた。


 その時重なった二人の手。

 今更ながら恥ずかしくなって、火照った顔を更に火照らせ、思わず隠しちゃう千草ちゃん。

 カワイイッ……!

「……休もうか」

 現実の藤森に戻った彼が最終的に辿り着いた体育館のステージに腰掛け、首にかけたタオルで額を拭く。

 その隣に遠慮がちに座らせてもらった千草ちゃん。

 今まで自分は何をしていたのかと言いたげな顔、グルグル回る目。自分が彼に触れた回数を途端に数え始めた両手。

 藤森はそれに気付かず、気持ちよさそうにははっと笑った。

「良いね、君。こんなに熱くなる舞台は初めてだ。本当、通学路で見かけた時から思ってたけど、君、本当に才能あるよね」

「え、え! そ、そんな」

「ね、名前は」

「あ、あ……ののの、野上、千草……」

「ちぐさちゃん、だね。俺は藤森悠人ゆうと。この演劇部の部長をしているんだ。よろしく」

 そう言いながら差し出された大きな右手、爽やか笑顔。汗の玉さえ似合うんだからずるい。

「ど、ども……」

 これまた遠慮がちにそっと握ると彼の熱い体温がそのまま伝わり、変な気持ち。


「ね、千草ちゃん」

「はい」

「俺らね、目標があるんだ」

「目標、ですか?」

「そ。今度の高校生全国演劇コンクールで先ずは全国まで行く」

「全国……」

「そして、金賞を取ぉーる!」

 先のルパン二十世ばりの大げさガッツポーズをバシッと決める藤森。

「――ってまぁ、見果てぬ夢かもだけど」

「い、行きましょう! 全国!!」

「……!」

 言い訳めいた言葉に勢いよく被せ、語り出した千草ちゃんの真剣な眼差しに、藤森の紅茶の瞳が一瞬揺らぐ。

「私、高校で演劇やろうって決めてて、で、先輩に憧れて、それでここに来たんです……!」

「千草ちゃん……」

「だ、だから私、きっとやってみせます……!」



「全国金賞のゆ――」

「ハァイ、すとっぷうううう!!」



 その瞬間――。



 彼女が夢を藤森と共有しようとしたところで体育館の床を思いきり蹴り飛ばし、彼らに背後から音もなく近付いた。

 そしてナイフを構え、彼女の頭でほんわりと光り輝く女優の素質主人公補正に向かって薙ぐ様にナイフを払った。


「え――」


 ――千草の目に割れる世界が映る。


 白く眩く世界を覆う後光とガラスのように割れた景色。それを背景に尚も爽やかに笑みを浮かべ続ける藤森。


 それが何故だかとても異様に見えた。

 こんな体験は生まれて、初めてで……。


 何というか、頭が、痛い……。


 * * *


 気付いた時には目の前に藤森先輩の姿は無かった。

「あれ……? 先輩……?」

 痛む頭を押さえながら周りを見ると遠く向こう、体育館の出入口に彼の背中が見える。

「あ、あれ!? 先輩!? 先輩!!」

 慌てて追いかけて見てみると隣には知らない女の人。

 彼と楽しそうに歓談しているように見える。


「え……?」


 壊れた玩具の様に動かなくなる体。

 頭が真っ白になり、ゆっくりになる目の前。


 その時、確かに先輩の口がその人に向かってこう喋っていた。



(つづく)

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