英雄たれ
「マモン!」
『暴れてやれ、ベネノ!』
直ぐさま紋様から鎌を取り出し、蛙の王の懐に向かって突っ走る。地に落ち、光を失したペンダントを拾い上げ、首にかければそれは神々しく輝き出した。
『くそ……さっきまで何の取り柄も無かった小僧の癖に!』
流石に猛毒如きでコイツは死にはしないか。
右の拳で左手の甲に巣食う目玉を叩き潰し、悪魔王はこちらを睨む。
『良い、もう良いベネノ。好きにすれば良い、崩壊への道をそのまま進めば良い! ギリギリ生きている勇者の身を今直ぐ粉々に砕き潰すなど造作ないわ!』
「そんなこと、絶対にさせるものか!」
叫びつつ蛙の腹に鎌の先端を突き刺す。皮が分厚いのか破れはしなかったが、この刺突に伴って腹に巨大な生々しい目玉が姿を現した。直ぐにあの時みたいに血管のような模様が体中を這う。
絶叫がこだました。吐瀉物をどんどん吐き出していく。
「ジャック、帰ってこい!! 頼む!!」
追い打ちをかけるかのように何度も突き刺す。むせかえるような酷い臭いが部屋中に満ち満ちていく。大風すら撃退出来ない程の量になって初めてそれは見えた。
口から弱弱しい一本の手。空を掴むように藻掻き、その身を外に出そうと必死こいている。
「ジャック!」
『飛びます! 掴まって!』
高く飛翔し口元に移動、その手を固く掴んだ。
「掴んだ!」
『早く! 引っ張り出して!』
「もう離さないからな、絶対!!」
瞬間、口から出た「陰」がまるで意思でも持ったかのように僕の体に巻き付いた。この体さえ取り込もうと強い力で引っ張って来る!
やめろ、邪魔すんな!
『作者権限にたかがキャラクタが勝てると思うな! ジャックは絶対に渡さない、お前の存在だってそのまま無事でいられると思うな!』
「痛、い……!」
先程胸板に巻き付かれた時に少しばかり心臓に到達していたか。今更ながら全身に激痛が走り、手に力が入らなくなってくる。
やばい、ジャックの体がじりじり戻ってく……!
ジャック……!!
「主!」
その時元の姿に戻ったマモンがその手で僕の手首を掴んだ。
「マモン……」
「私だってもう離しませんよ、この物語を変えて彼を救うまでは!」
「……」
「だってアイツ、マジ嫌いなんですもん、私! 絶対ぎゃふんって言わせてやる!」
「はは、僕も! さっき嫌いになった!」
「気が合いますねぇ!」
二人で引っ張ると先程とは段違いの速さで彼の体が出てきた。粘り気のあるタールの奥からようやく頭が見えてきた。
「主、折角ならアイツから貰った互いの厄災でぶっ倒しましょう、ぼろぼろになって立てなくなるまでぶちのめしてやるんです!」
「大賛成!」
「でも先ずは友人を助けます。行きますよ! せーの!」
マモンの体にもしがみつくように巻き付く「陰」。だけど僕らなら何も怖くない。ジャックも加わればもう百人力だ。
何故なら僕らはこの物語の勇者だから。
「ぷはっ!」
「顔が出た!」
「貴方の体は私が支えます。早く胴を引っ掴んで引っ張り出すんです!」
「頼んだよ!」
『させるか!』
悪魔王がこちらに向かって手持ちの杖を振り、巨大な火炎を放り投げてくる。
それをマモンがシールドで防いだ。――否、違う。意識の干渉を離れた瞬間、火炎を奪い取ったのだ。
『……!』
「素敵な厄災をありがとう、悪魔王」
巨大な火炎を分散、広範囲を焼くように仕向け、放つ。
「返すよ、贈り物」
今度は悪魔王がシールドを展開して攻撃を防ぐ番だ。余りの量に手が出せなくなっている。
『クソ……クソ! こんなこと!』
「抜けた!」
「離脱します!」
ぐったりしている彼の体を力いっぱい抱き締め、後ろに飛ぶ。直ぐに安全な場所に運び、彼のポーチのありったけの毒消しを口に押し込んだ。
「しっかりしろ、ジャック! ジャック!」
「……けほ」
「ジャック!」
「げほげほ!! げほ! パー、シー……げほげほ! おええ!」
「……!」
彼はその瞳をちゃんと開いた。
生きてる。生きている!
喉の奥に入った「陰」が毒消しの効果でどんどん吐き出される。
「あれ、ベネノか……げほげほげほ!」
「大丈夫、全部吐くんだ。吐ききるんだ」
口の中に指を突っ込んで嘔吐を促進する。その間の二人の王からの攻撃は全てマモンが弾いてくれた。
「けほ、けほ」
「吐けた?」
「……上々。悪くねぇ」
「よし」
「それと」
「ん」
「サンキューな。見捨てないでくれて」
「言うの早過ぎ。そういうのはもっと後にするもんだよ」
二人で拳を突き合わせる。
さあ、
* * *
「ジャック、ペンダント借りてるよ」
「問題ねぇ。今はお前のもんだ」
「だから離れないでね、ペンダントの力が届く範囲にも限りがある」
「分かってらぁ。何年の付き合いだと思ってんの」
「千年か」
「もしくは十数年だな」
蛙の王とその王冠の上に鎮座する悪魔王。
彼らの周囲を回りつつ、作戦を練る。
『弱点は変わらず王冠の中のようですが』
「ディアブロめ」
クソ邪魔。
マジ性格悪いでしょ。ゲームでもそんな奴いねぇから!
その時。
「ルーメン」
「らーめん?」
「ルーメン! 聖光を発する為の呪文。お前に託す」
「……! なるほど!」
「お前が死ぬとか、そういうのはやめろよ?」
「分かってるってば」
舌を振り回し、続けざまにぶっとい「陰」の刺突を行う王二人。
崩れ落ちる柱を避けつつ、ペンダントを構えた。
【ルーメン!!】
圧倒的光量が王に向かって一直線。
悪魔王は手で顔を覆う位でどうにかなったが問題は蛙の王。
目玉がデカすぎた。
「オオオオオオオン……!!」
しとど「陰」を涙の代わりに流しつつ暴れまくり、上に乗っていた王を振り落とした。慌てて戻ろうとする王の足を今度はマモンが権限を持つ「陰」で縛る。
――チャンス!
「ベネノ!」
「ほい来た!」
指を組ませ、手が足場となるように下方に向かって腕を伸ばし中腰になって構えるジャック。
そこに足を乗せれば瞬間後には空中に体を放っていた。
「蛙の王、覚悟!」
稲妻のように刃を閃かせ、先のように王冠を弾き飛ばす。
「マモン、聖剣!」
『ほい来た』
瞬時に剣に姿を変えたマモンの切っ先を見た目がグロテスクな第三の目に突き立てる。ペンダントと同じ青白い光を放ち、目が破裂した。
中に赤黒い巨大な心臓のようなものがある。ドク、ドクと拍動するそれは直感的に弱点であろうと思わせた。
これも補正の力か?
「ダウン!」
『弱点の露出を確認!』
「一気に仕留めるぞ!」
『させるかァ!!』
ようやく「陰」から脱出した悪魔王。左手から光を発し、蛙の王の体を「陰」で包んだ。
明らかなパワーアップを遂げ、またしても元気に口から――しかも今度は先程とは比べ物にならないえげつない量の「陰」を吐き出していく。
「クソ!」
「何しやがんだ、あのクソジジイ!!」
マモンがガチでブチギレている。
こんなん言う奴だったっけ。
「どうする? ベネノ。このままじゃどっちみち封じの呪文は効かねぇぞ」
「……」
本当にどうしよう。
先の聖光は悪魔王に対して確かに効きそうなんだけど、何せ分散してしまうから致命傷にならない。いってかすり傷。
それを繰り返せばきっといつかは勝てるだろう。だけど「呪いを纏った巨体&厄災の根源」vs「さっきまで平凡だった少年(とついでのマモン)&補正を失した元主人公」の図では明らかにこちらの方が不利。いつ倒れるか分からない我慢比べは余裕で負ける自信がある。
ならどうする。どうする?
何か聖光を集約できる、何か決定的な物……。
何かレンズのような……。
あ。
その時ふと脳裏によぎった物がある。
ポケットの中のスノードーム。
まだ傷一つ付いていない綺麗な硝子玉。
出来るだろうか。そもそもスノードームって光を集約するのか? ――否、考えている暇はない。兎に角やってみるしかないんだ。
っていうかこういう時の為の主人公補正だろ!!
二人に急いでこの作戦を伝えると、二人はおかしそうに顔をくしゃっと丸めた。
「女神が微笑むかどうかに賭けるんですか」
「馬鹿だなぁ」
「でもやってみるしかないじゃん、これしかないじゃん!」
「……ってかマモンのモノクルでも良いんじゃね?」
そんなジャックの何気ない一言に滅茶苦茶カッとなるマモン。
「良くないですよ、私のですよ!? 壊すならそっちのにしてくださいよ!」
……だよねー。
「まあ、面白いよな。そういうのに賭ける方が」
「空に投げるのは誰がやりますか?」
「俺がやる。どうせマモンは殺す気で投げるんだろ? ど・う・せ」
そこでギクッとするんじゃないよ。それだと明らか用途が違うんだよ。
「行くぞ!」
「うん!」
キャッチボールの要領で緩く、しかし正確に投げるジャック。
片目を瞑り、距離と位置とを測る。
何故だかこの時、時間が止まったようだったのを今でもずっと覚えている。
それをマモンは「集中していたからですよ」と呑気に語るが、僕にとっては魔法のようだった。
子ども達が冒険に心を躍らせる訳だ。
とてもわくわくした。死闘の癖に。
「今だ撃て!」
「やれェ!! あのジジイをぶち殺せェ!!」
【ルーメン!!】
光は真っ直ぐスノードームを射抜き、どういう原理かは知らないが、良い感じに集約され光の矢となり王の目を真っ直ぐ貫いた。
『ギャアアアアアアア!!』
いけ好かない奴の目を光で射貫くのはお約束でしょう!
隣で蛙の王を覆っていた「陰」が溶けだした。またあの肥大な心臓が姿を現す。
「ジャック」
ペンダントを持った左手を彼に差し出す。彼は笑顔でそれを右手で取り、天空に掲げた。
最後の時間だ。
【負の怨念、呪いの化身、魔の権化よ。今、その闇を解き放たん】
『私の作品で勝手をするな! やめろ!!』
目から「陰」を垂れ流しながら悪魔王が遂に絶叫、両の手を床に叩きつけると大量の「陰」が津波のようにこちらに押し寄せてきた。
それをマモンが全身全霊を込めてシールド一枚で防いだ。
今にもひびが入りそうなそれで圧倒的な力の渦の中、何とか堪える。
足が勢いに押され、少しずつ後ろに滑った。
「いつか言ったな、悪魔王。『お前との契約』と『私と主との約束』どちらが重いか軽いのか」
「これ見てもその答えが分からないのなら貴方は馬鹿だ」
「力がいつでも強者たると思うな!」
そう叫んでマモンはその両腕で津波をなんと押し返した。
それに一番驚いたのは悪魔王だ。
生まれて初めての屈辱。
生まれて初めての敗北。
生まれて初めての、明確な殺意。
しかしその腕を伸ばす力はもう殆ど残されていなかった。
魔力をこの三人如きの為に消耗し過ぎた。
あっさり呑まれ、その姿をこの物語から失する。
【闇よ、哀しみよ、恨めしさよ! この光の下で浄化されろ!】
青白い光が部屋中を包む。
その光は遠く何百キロ離れた魔王城からも見えた。
「行け!」
思わず叫んだ。
「「「「行け!!」」」」
喉が潰れる位の絶叫を以てして、皆で我を忘れて叫んだ。
「「「「行け!!」」」」
【
* * *
その瞬間、勇者の帰る場所、そして明らかたる善であった筈の王の存在が物語から消えた。
物語の破壊は決定的なものとなった。
(つづく)
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