猛毒

「ううう、ううああ! あああ!」

「よく帰ってきたな、我が愛し子よ」


「会いたかったぞ」


「陰」が一面にこびりついた壁の中に体が半分以上埋まっている中、僕と王は対面するようにそこに居た。

 声をあげながら滅茶苦茶に暴れているのに体がびくともしない。腕は肩まで「陰」に埋まっていた。下半身もすっぽり覆われている。

 がっつり拘束されてる。目の前でニヤニヤしている王が唯々不気味。

 ここがどこかは知らない。ただ、ここにこれ以上居たくない。それだけは揺らがなかった。

 目の前でジャックが呑まれた。マモンを一人残した。蛙の王には何も攻撃を与えられていない。

 それなのに悠長にこんな所に居られるはずがない。

「逃げようとするなベネノ。大丈夫。お前に与えそびれた物を渡すだけだ。能力が上手く使えなくてさぞかし不安だったろうな……今、楽にしてやろう」

「そんなのどうでも良い、どうでも良いからお願い帰して! ジャックとマモンを早く助けないと!」

「どうでも良い訳はないだろう。力が無いばかりにお前が犯した過ち、罪の数を数えれば……」

 愛し気に頬を撫でる彼の手は「陰」の汚濁で真っ黒く染まっていた。頬にぺたりと張り付く感触。

 きっと爪痕のようにこびりついたことだろう。


 それは目の前の言葉とて同じ。


 僕がずっと避け続けていた言葉を目の前の口は堂々と言い放ち、心の底から掬い上げた。


「罪……」


 言葉で発してもたった二字しか無い癖に。

 何て鋭く、重たいんだろうか。


「あいつの目の前にお前さえ居なければ、心を病むことも無かったろうになぁ」

 目の前に幻影のように自分の姿が映る。

 激しい息遣い、飛び散る血飛沫、あり得ない方向に折れ曲がる体。

 頭が、割れた。

「……」

「大切な物を作れば、帰れなくなる。動けなくなる」

 “僕”が倒れた時、彼も頽れた。

 ぼやける視界、とめどなく零れ落ちる雫に外界から響くファートムの声。

 あの日から何度も悔やみ続け、いつしか心の奥にしまった苦悩。


 僕の目の前で「殺人者」になったジャックの目。

 忘れた筈は無かった。


 ただ、思い出せなかっただけ。


「知っていただろう? とどめを刺したのはお前だ」


 ずぐ、と音を立てて心にナイフが刺さる。

 目はこれ以上見開けない。

「先程あの勇者が呑まれたのをお前も見ただろう。あれもお前の仕業よ」

「……」

「補正がどうして主人公に与えられたか、もう分かったな? あれは主人公を守る為だ。あれが無ければ“勇者”は本来の力を発揮できなくなるどころか、ああやって倒されてしまう。本来の人の元に無ければならぬものなのだ」

「……」

「勇者は怯えない」


「怖がらない」


「率先してその身を前に出し、先行する」


「何故ならその身に相応しい力が絶対的に備わっているからだ」


「しかしてどうだ。あの悪魔にそそのかされてお前は禁断の果実を口にした」

「……」

「無力の癖に」

「……」

「だからこうして勇者は死にかけている。物語も死にかけている」

「……」


「さて今こそ問おう、ベネノ。お前は物語を破壊することで勇者を救えたか?」


「救えて、いない……」

Excelente素晴らしい


「だが今からでも間に合う。私の言う事を一言一句、逃さず聞けよ」

 新しく幻影を展開させつつ、向こうに歩み、彼は改めてこちらに向き直った。

「物語を救済するべく、先ずはその補正を勇者に返さねばならん。しかしてその障害となる人物が一名」

 幻影に優雅な佇まいのあの男が映る。


「ベネノ、その毒で強欲を殺せ」


「……!」

 な、何で。

「……契約しろと仰ったのは貴方じゃないか」

「お前が殺されては困るからな。主従の関係を結んで絶対にお前の命を取られぬようにしたまでよ」

「え……」

「誰が進んで愛し子の死を望む? これ位当然だ」

 堂々と言い放つ王。

 これが悪魔の王か。

「そしたら物語の破綻を私とお前とで直そう。そうして勇者を彼の王の腹から救出し、補正を返すのだ」

「殺して、しまうの……?」

「言ったはずだ。大切な物を作れば、帰れなくなる。動けなくなる」

「……」

「彼を罪びとにしてお前が苦しむ前に先手を打たねばならん」

 そんなこと言ったって……。


『お任せください。良い男、もう作戦は練ってあります』


『あ、主! 作者の配慮でしょうか! ヨーロッパの癖に麩菓子が置いてありますよ! 買ってください!』


『貴方が未だ制御できず、見失ったままでいる自分だけの才能、能力が見つかると良いですね、ゆくゆくは』


『もう貴方はモブではないのです。早く起き上がり、率先して話を進めなさい』


 いつも少し先に立ち、しかし共に歩いてくれた彼。

 どこか抜けているようで、しかしながらしっかりしている彼。

「何を迷うことがある? 長きに渡ってお前を第一と慕ってくれた友と、彼を助けると言いながらお前を利用するだけ利用し、友を最終的に死に追い詰める悪魔」

「……」


「どちらが大事であるか、明白だろう?」


 どうしよう、どうしよう。

 彼の求める答えは分かる。どうすれば良いのかも分かる。


『主』


 過ごした時間もジャックと比べてアイツは圧倒的に少ないはずだし、何だかんだ若干性格悪いし。


『見てください、主! 麩菓子!』


 あっさり怖い事したりするし、一度殺そうとしてきたし。


『行きますよ、私に付いて来てくださいね』


 利用もされてるんだろうな、きっと。アイツのことだから、最後は使い捨てたりするんだろう。

 なのに、だ。


『一緒に世界を取りませんか』


 なのに……どうして。どうして。

 どうしてこんなに涙が出るの。

 どうして心が震えるの。


 どうして。どうして。


 一度手をかければきっと簡単な筈なのに。


 どうして、どうして……。


「さあ、ベネノ。愛しい我が子」


「共に世界を救おう」






 どうして――。
















『主と私の夢だ!』











「……!」

 マ、モン?

「……! 聞くな、ベネノ!」

 慌てて王が振るった手の動きに合わせて壁を覆う「陰」が喉に巻き付いた。

 そのまま露出していた上半身さえも取り込もうとしてくる。

「嫌、だ!」

「作者の言う事を聞け!」

「嫌だ!!」


『起きなさい、ベネノ! 貴方は何のためにここに降り立ったと思っている!』


『一緒に世界を手に入れると言ったあの約束はどうする気だ、親友が喰われたんだぞ……本当にそのまま王の言いなりになって良いのか!』


『いい加減にしろベネノ、私が見込んだのは弱虫の奥に確かに光る小さな野望だ! 誰かの言いなりになっていつまでも脇役で居続けるへなちょこなんかじゃない』


『未来の王だ!!』


 アイツの言葉。

 こんなに叫ぶ奴じゃなかった筈だ。

 それが、こんな――。


『覚醒しろ、ベネノ! 頼む! 負けるんじゃない!』


 もうやめてよ、マモン……。


『しっかりしろ、負けるな!』


 涙が止まらなくなる、止まらなくなる……。



『負けるな!!』



 お前のせいで……!



「愛し子、耳を貸すな。甘い言葉に惑わされるな!」


「ソイツは『七つの大罪』のいつでありながら他六体の悪魔の命を貪り、その能力を我が物にした」


「ジャックに張り合ったのは『嫉妬』『傲慢』、お前が紙に戻りかけ、ストリテラ自体からその姿を消しそうになった時に紙屑を食べたのは『暴食』による作用だ。――決して適当言っているわけではない」


「分かるか! これは本気で言っている! アイツにこのまま付いて行けば本当に世界が終わるんだぞ!」


「分かっているのか!!」


 必死になって叫ぶ悪魔王。

 僕を埋めた壁を叩きながら必死になって訴えかけてくる。

 その表情に嘘偽りは無いんだろう。


 ――でも。


「ジャックを助けられなかったのは貴方が来たからだ」

「……何を言う」

「『陰』がそこにあるのは貴方が元凶だからだ、彼が物語を破壊しようとするのは間違いなく貴方がいるからだ!」

「止めろベネノ! お前に加護を与えてやったのは私だ!」


「でも笑顔をより多く見せ、僕をより多く守ってくれたのは」






「マモンだ」






 * * *


 言った瞬間、心臓の真上――胸板に「陰」が巻き付いた。口腔内にも荒々しく不味いその身を突っ込ませてくる。

「ガハッ――!」

「取り消せ、今の言葉」


「取り消せ!!」


 思いきり首を振って拒否。「陰」の勢いは益々強くなった。

「止むを得ない。ならばお前の体を食らうまでよ」

「ぐぐ……んん!」

「良い子だったのに」

 そんなの知らない癖に……!

 僕のこと、何も知らない癖に!


 愛し子なんてアンタが自己満の為に付けた呼称なんじゃないのか!


 その時ずっと藻掻いていた右腕が「陰」から飛び出した。

 真っ直ぐ王の左腕を掴む。

「……!」

 睨む。

「何をする、ベネノ」

 力を込めた。

 すると彼の左手の甲に生々しい目玉がぎょろりと見開く。

 その正体に彼は気付かぬはずは無かった。


「……『猛毒』!」


 何故なら自分で与えた厄災たるからだ。



 そうだろう、ディアブロ!



「止めろ!」

 右手で何とかその勢いを抑えようとしてくる。

 でもそれは叶わなかった。


 目玉を中心として血管のような模様が、僕の頬を覆うようなあの模様が彼の腕を、頬を滑り、覆う。


「アアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 激痛に絶叫し、彼はその手を払いのけた。

「陰」の勢いも完全に衰え、体を解放する。

 咳を二、三発。

 口から「陰」を垂らしながらよたよたと立ち上がる。


「僕をお前以上に信じて待ってくれている人がいるんだ」


「そして罪や罰を乗り越え、その友情を信頼してくれている人がいる」


 今なら分かる。この力は僕の為にあるということ。

 彼の為じゃない。

 僕の為だ。



「それを横入りしてきた奴なんかに奪われてたまるか!」



 叫んだ途端、今いる空間の端々に亀裂が走った。

「クソ!」

 使い物にならなくなっている左手を庇いながら右手を振るい、尚もこの体を支配しようとする王。

 そこにも毒を回した。

 彼が操る筈だった「陰」が音を立てて、津波のように崩れる。


 どんどん空間に外の光が入って来る。


「僕の人生は僕の物だ。僕が歩むべき道も僕が共にしたい人も僕が決める」


「罪を作ったって、それでも人生が続くなら僕はその過程で雪いでみせる。きっと成し遂げてみせる」


「今までが駄目だったなら明日輝けば良い。明日が駄目でもきっと朝日はその次も上ってくる、命がある限り!」

「勝手を言うな、ベネノ……誰に助けてもらった命だと思っている!」

「それは貴方でしょう」

「そうだとも」

「だけど、それはお前の為じゃない。僕の為にあることだ」

「……お前、死にたいのか」



『お前は、私の、私の――』



 王が麻痺しきった手をそれでも伸ばしてくる。

 僕も手を伸ばし――。



『私の光じゃないか!』



「お前が死ね!!」



 握った。



 閃光が弾け、彼を覆う模様が力強く発光する。


「ギャアアアアアアアアアアアア!!」


 * * *


 起き上がった体で薔薇の香りがするその体を強く抱き締める。

「主……」


「ならアンタは僕の影だよ」


 生涯、最初から最後まで添い遂げ続ける「光と影」。


 この言葉はきっと僕達の為にあるものだ。


(つづく)

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