悪魔のホームグラウンド

 さくさく。

 ぱりぱり。


「う……」

 目が覚めたらお姉さんの膝枕――なんてあるはずもなく、冷たい石の床の上で目を覚ます。


 もぐもぐ、ぱくぱく。


「ここは……ツツツ」

 起き上がるとズキズキ頭が痛んだ。殴られて気絶して、牢屋の中にいるってところか。自分の周りには何人もの人々が居てしくしく泣いている。皆あの襲撃の時に連れ去られてきた人達かな。これから何されるのだろう。

 皆怖いだろうに……。


 まむまむ、もくもく。


 うう。実を言うと僕も怖い。

 先行き不透明というのがこんなにも怖いなんて知らなかった。いつも「運命の書」を読み漁っているから猶更だ。

 あああ、どうしよう……。


 さくさく、うまうま。


 怖いなぁ。


 おいひぃー。


 ……。


 ――だというのに。だというのにだ。


「何故お前はこんな時になっても呑気に麩菓子を食っているのだ!」

「ム?」


 * * *


「主も食べたいんですか?」

「話の意図を読み取れ、小学生でもできるぞ」

 傍に山のように積まれている麩菓子だけが異様だ。ここだけ危機感がない!

「いやぁ、疲れた時はやっぱりティータイムですよねー」

「正気か?」

 いつも武器でやっているのと同様の方法でお腹からティーセットを取り出し、ダージリンを作り出すマモン。

 ここにコンロを持ち込むな、美味しそうな匂いをふりまくな! さっきから擬音がうるせぇんだよこの牢屋だけ! 魔物が寄ってきたじゃんか!

「オイ、ナニシテヤガル」

 牢屋の番をしていたゴーレム二体がずおおと詰め寄って来る。

 ほら来たー!! やばいってこれ!

「ホリョ、ナンデ、コンナトコデティーパーティーシテンネン」

「いやぁはー! どうもどうも同士の皆さん! 食べますか! 麩菓子! 最近知ってからというものの、ずっとはまっちゃってて」

「「ハァ?」」

 思わずゴーレム二体と一緒に声を出してしまった。

「オマエ、フザケテンノカ」

「ふ、ふざけてなんかないですよ! ――ホラ、こういう者でして。皆さんにご商売を、と思いましてね?」

 威圧感たっぷりの彼らにそう言って顔を見せつけると、たちまちぎょっとして岩の体をぶるりと震わせる。

「ド、ドノショゾク、デスカ」

 敬語だ。

「七つの大罪、第五、強欲のマモンです」

「エ――」

 その瞬間驚いて顔を見合わせる二体のゴーレム。

 そんなに凄い奴か? とか心の底から思ってしまったが――


「『』、……」


 ――ん?


「やっだなぁー、そんなの唯の伽話ですよぉ! でなければ私は何なんです?」

「デ、デモ」

「蛇に睨まれた身ならご存じのはずだ」

「……」

「ね?」

 コイツ……黒い蛇の瞳を見せたな。

 それ以来その話題には誰も触れなくなってしまった。マモンにやられるのが怖いんだろう。

「まあ、そんな話は置いておいて。食べませんか? 麩菓子! 一本お試しで」

 にこにこ笑んではいっと差し出すマモン。この場面だけ見ればおすそわけしに来た清楚系美人女子大生だ。別に妄想は捗ってなどいない。

「イヤシカシ、ギョウムチュウ」

「遠慮せず。私なんか物語の最中に食ってますから」

 切れ長の瞳が甘く誘う。

「ささ、どーぞ。甘い物はここ最近ろくに食べていないんでしょう?」

「デモ、ホリョカラモラウナンテ」

「だぁーいじょうぶ。バレたらもみ消しましょう」

「ソ、ソンナ」


「大丈夫。私はあんたんとこのボスより格上だ。怖くない」


「ソレジャア、イッコダケ……」

 先の誘惑が決定的なトリガーとなったらしい。見るからに衛生状態の悪いこの城で美味い物などそうそう出ないだろう。

 そこに突如現れた悪魔の誘い。


 一度手を出せば戻れるはずなどなかった。

 何故と問われてもこの一言で説明は全て片付く。


 彼は強欲のマモンだ。


「ナンダコレ!」

「ウマイ!」

「オイシイ!」

「しかもそれ、一袋分買っても三百円ちょっとぐらいしか、かからないんですよぉ!」

「ウソ」

「マジ」

「ええ、何なら遠慮せずもっとお食べなさい。まだまだ出せますよ!」

「ワア!」

「スゴオイ!」

「イイノカ?」

「勿論! ここから出すなんて簡単ですし。それに腹から出た物に金を払わせるなんて上位悪魔の名折れですからねェ」

 ほらほらと壊れたロボットみたいに繰り返し、土砂崩れのようにどんどん出すその姿は最早異常だ。

 しかし一度沼にハマれば気付かない。それが当たり前と思ったら最後、彼らはその財を使い切るまで、欲を完全に満たすまで止まれない。

 さながら一つの飴に群がるアリのように、その粘液に絡め捕られ溺れ死のうとも欲を満たすまでは抜け出そうとも思わない。

 これが強欲の正体だ。

「オイヒイ!」

「アマイ!」

「……チョット、クチ、パサツイテキタ」

「おや! 奇遇だ、酒もあるんですよ!」

「マジデ!?」

「オイ、チョットキテミロ! キマエノイイヤツ、イルゾ!」


 捕虜にされた人も僕らも、その異常ともとれそうな光景にずっと唖然としていた。

 噂は瞬く間に広まり、いくつも連なる地下牢前の廊下に群がる城中の魔物。彼らの血と汗と酒の臭いで地下には酷い悪臭が立ち込めていた。

 その真ん中で気前よくどんどん食事に酒に、ご馳走に金にと出しまくるマモン。

 笑い声が絶えず、酔っぱらった勢いで喧嘩をし出す者、歌を歌う者。更には捕虜の女を誘う者さえ現れた。

 この騒ぎに感づいて注意しに来た上司をマモンが手の一振りで倒した時がピークの絶頂だ。

 拍手喝采、大騒ぎ。調子に乗ってマモンを神と崇め奉る者も現れ、それを機に更に宴は盛り上がった。


 魔物達が全員幸せそうに寝込むまでにそう時間はかからなかった。


 先程までとは打って変わって、火の消えたような地下。牢屋に閉じ込められている人々は何が起きたのか未だに分からずじまいで戸惑いを隠せないでいる。

「主」

 ずっとこちらに背を向けたままだったマモンが突然こちらに顔を向けた。思わず体を震わせる。

「来てごらんなさい。この魔物達の醜態を」

 静かに、しかし凛と響く声。何故か足が震えた。

「いずれ溶けて消えゆく物に醜くしゃぶりつき、留まることを知らぬ快への切望、執着、貪欲さ」

「……」


「嗚呼、何て醜い」


 恐る恐る鉄格子の隙間から覗き込むと皆頬を赤くして、まるで戦場で討ち倒された死体のように雑多に重なり、大いびきをかいている。

 全部、アンタがやったことじゃないか。

 思うだけで、怖くて言えなかった。

「あ、そうだァ。対価を貰わないと」

「まだやるの!?」

「……何を驚くことがありますか。主が願えば宇宙もその手に収めて差し上げよう、それが強欲というものです」

 立ち上がり、牢屋の真ん中まで移動したマモンが両手を広げながら恍惚とした表情で言う。

「そして今、貴方は心の中で祈っている。ここから出たい、と」

「そう、だけど……」

「しかしどうです? こいつらはまだそこにあり続ける。完璧な対象の排除とはなっていません」

「……やめて、マモン」

「私の能力はさえなければ全てを手中に収めることができる。――それがどういうことかは分かりますね」

 持ち上げ、前方に大きく突き出した右掌に光が溜まっていく。それに合わせて牢屋前で酔いつぶれて寝ている魔物達の体が光り出す。

「やめて、マモン!」

 体当たりしてでも、共倒れしてでも止めようと思ったのに、ぶつけた体をアイツは軽々と左腕だけで抱きとめた。


「大丈夫。対価を頂くだけです……!」


 大きく開いた右掌を握りしめた途端、轟音と絶叫とが地下にけたたましく響き渡った。

 強風が吹き荒れ、力の奔流にその場が振り回される。


「ギャアアアアアア!!」

「アアアアア……アアアア!!」

 即座に喉を潰した者もしばしば、皆一様に喉の辺りを搔きむしり、血を吹き出しては何かの光を胸から吐き出してその躰を悉く失していく。

 まるで、命を食い潰すかのような……。

「マモン、マモンやめよう! こんなの間違ってるよ!」

「間違ってる? 悪魔王の愛し子として新たな生命を受けながら何を言いますか」

 力強く肩を抱かれ、耳元に吐息がかかる。

「この世には苦しみがある、魅惑がある、罪があり、罰がある。――そういったパンドラのケースから飛び出した全ての厄災を管理するのがあのお方、ディアブロだ」

「でぃ、あ……」

「彼の黒魔術師が司るのは『執着』、私が司るのは『強欲』、そして貴方がその身に宿したのは『猛毒』。全て彼の王から譲り受けた素敵な厄災。それを有効活用しないでどこで発揮するというのです! この渇望の渦中にありながら!」

 今までに一度とて見せたことのない彼の狂気の表情に、これが今までのマモンかと疑わずにはいられない。

「命をこの短い余生で喰らわずにどこで喰らう、その力に溺れなければ命の味さえ知れぬと言うのに!」

 止まらぬ口の動きに沿うように、彼の華奢ながら大きな手が頬を撫で、顎をくすぐった。

 為すがまま、されるがままのこの状況に何の抵抗も出来ない。

「はわ、わ……」


「さあ、背徳に溺れろ、猛毒少年! お前の人生はお前の手で切り拓け!」


 薔薇の強い香りに圧倒されながら固まっている僕をよそに、マモンは遂に魔物達から出た「命」の光をその身に余すことなく吸収しきった。

 そしてその全てを端から端まで堪能し尽くし、舌なめずりをしながら彼は言った。


「最高だッ――!!」


 達するような快楽絶頂の顔をして、アハハと笑い続ける。

「貴方も堪能してみてはいかがですか。こんなにも『邪』が満ち溢れ、こんなに力を思う存分震える場所も中々無い! まさしくここは悪魔のホームグラウンドだ! 何でもできる」


「貴方が未だ制御できず、見失ったままでいる自分だけの才能、能力が見つかると良いですね、ゆくゆくは」


 そうして彼は一発の蹴りのみで鉄格子を丸ごとぶち抜いた。扉だけではない、僕らを閉じ込めておくための全てをだ。

 向こうに吹っ飛ばされた格子がまるで柔らかい粘土のように変形し、そこに転がるまで誰も何もできなかった。


「さあ、行きましょう、ベネノ。貴方はいつまでもここに居て良いような人物ではないはずだ」


「この力を余すことなく使い尽くし、全てを欲してください」


「それが悪魔王に返せる最大の礼の形ですよ」


(つづく)

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