覚醒・ベネノ
僕には、仲の良い親友がいた。
名を、ジャックという。
「勇気を称えましょう、座敷童。無名の癖によくここまで戦ったものです」
乾いた笑みに、乾いた拍手。
確かにな。ここまでされて意識を今だ保っていられる方がおかしいよ。
胸に開いた穴からばさばさと落ち続ける紙。そう、もうすぐ紙に戻るのだ。君らでいうところの死刑に近いそれに、不思議と恐怖は感じていなかった。
多分、死に過ぎた。
そしてまた巡るのだと、頭は勝手に考える。だけど目の前に広がっている光景が尋常じゃなかった。物語の中で紙まで出てくるなんてのは相当だ。
でもまだ信じていた。また次が巡ってくると。
口からも紙がせり上がり、思わず吐いた。唾液が糸を引いて、汚らしい。
そうして落ちた一枚を、マモンは手に取りくしゃくしゃに丸めた。血の池に浸してはその香りを楽しむ。
「折角ここまで来たのだから、せめてその肉体は私が管理いたしましょうねぇ、ええ。大丈夫、魂までは捕らえたりしませんからご心配なく」
そう言ってまだ赤が垂れる丸まった紙を口腔内に放り込む。彼が咀嚼する度、胸に激痛が走った。
「アアア……!」
「ふふ。良い顔だ」
死ぬのかな。いや、間違いなく死ぬだろう。今更ニューゲームなどあり得ない。
キャラクタとして生まれて初めて「物語の死」に直面した時のことを思い出す。
かなりのショックで、よく運命神の元へ相談に行ったものだ。あれはまだ彼が自分の上司になる前の話だったろう。
「少年、あなた方はよく『物語の良薬』に例えられる。しかして薬は時として毒となるものです。良薬を活用するも悪用するも本人次第」
「……」
「折角ですからその命。もっと有意義に使いませんか」
言い返す元気も何もない自分の足に瞬間何かが絡みつく。
見れば、自我を持った黒いタールのような粘性の液体。
――「陰」。
「ワアアア!」
一気に意識が戻った。胸を鎌の刃が刺し貫いているのも忘れて滅茶苦茶に暴れようとするが腕にも絡みついて動かせない。
絶叫が喉の奥から飛び出す。反動で声が枯れた。
「アアアア! 放して、放して!! 助けて!!」
「落ち着きなさい。どうせ意識はなくなる癖に」
「やだやだ! やだあああ!」
「死に役の癖に今更ではありませんか?」
でも、でも!
いつか聞いた。陰に呑まれれば自分が自分でなくなると。
いつか聞いた。陰と戦う日々というのは途方もなく果てしないもので、かつ苦しいものであると。
突然舞い戻ってきた恐怖。これはいつもの死とは明らか違う。やっぱり死にたくない、怖い!
肝が冷える、脂汗が滲む。
だが今更声に出しても遅い。
嗚呼、どうしてあの時命を賭す覚悟で守護を解放したか。
嗚呼、どうして物語での死に慣れてしまったか!
このまま終わるのだろうか、本当に。
アイツに誓ったあの約束も果たせぬまま、病室にまた顔も出せぬまま!
僕は、僕は。
僕は――!
『あ、やべ! 間違えて助けちった!』
僕は――
* * *
「あ、やべ! 間違えて助けちった!」
生まれて初めての死に役デビューの日。主人公が台本を間違えて死ぬ運命下にあった僕を助けてしまった。
「ファートム、どうしよう」
『こらっ! 物語の最中に気軽に通信するな!』
「ね、それよりさ。どうしよう」
『……お前、話聞いてるか?』
「聞いてるよ。それ踏まえて、どうしようって」
『……取り敢えず落ち着こうか。多分お前は気が動転しているな』
「動転してるかも。初めてで」
『……分かった。今から全部書き直す。どこかでソイツ殺すから、それまでは初めての仲間でいろ』
「えー、殺しちゃうのー!?」
『物語的にはマズいからな。わりぃけど』
「……はーい。分かったー」
その瞬間、今のは全て「初めての仲間が出来た!」というエピソードとして扱われるよう、急遽変更された。
「てなわけで、よろぴこー」
人懐こい笑顔で右手を差し出してくる。
「ど、ども」
遠慮気味に軽く握ると相手はぎゅ! と握り
「これから、よーろーぴーこーね!」
と、ぶんぶん。
それから彼はジャックと名乗った。
初めての「生涯の友」である。
それから仲良くなった僕達は様々な経験をした。
喧嘩もしたし、戦闘も料理もしたし、汗臭い狭いテントに男子二人の体を詰め込んだりもした。正直臭かった。
でも楽しかった。大口開けて寝ているアイツは鼻をつまむとふが、ふがふがって言いながら起きる。掃除は出来ない系男子。料理は上手だった、特に卵料理。
「なあ、俺達世界の果てまで行こうな」
「出来るかなぁ」
「出来るよ!」
「……いつか死ぬんだよ? 僕。多分この後」
「メタいよ」
「ごめん」
真面目に謝った僕の頭を、にっと笑ってアイツはぐしゃぐしゃ掻き回すと
「それでも良いさ」
ぽつりと呟いた。
「俺がいつか連れて行くから」
あの時の笑顔、声。
月明かりに溶けて――
『ごめん、ごめん。殺してしまって、本当に』
「やっぱ死にたくないよ、約束、何にも果たせてないのに! 俺、アイツのこと助けるって誓ったのに!」
優しい彼はある日、心を死なせてしまった。
「無双」のスキルを披露する話で僕を殺して、それがかなり心に来たらしい。
当然だ。虫一匹殺せないようなアイツが、友の頭蓋をかち割ったのだ。作者の作風転換に体と心が追いつかなかった。
今も病室で自分を責め続けている。その虚ろな目が見ていられない。
世界の果ては益々遠くなってしまった。
「なら俺が連れて行くって思った、世界の果てに……。なら俺がこの運命を変えてやるって決めた、だから入ったんだ、運命管理局に!」
それがどうだ、この無様さよ!
「運命の書」を管理できる程の地位まで上り詰めて、皆が幸せになれる物語をと望んだ結果がこれだ。
あの展開を作った運命神の加護は頂きたくなくて名前を最後まで拒否し続けた結果、唯一人死に続けながら空しく人生を貪るだけの人形になり果てた。それがこうして紙となり、朽ちていく。
黒ずんだ紙の端々を眺めながら、呪いに体を覆われて。
「くそ、くそくそ……! クソ!!」
「……言い訳はそろそろ終わりますか?」
嫌だ、まだ終わりたくない。
弱者はいつまでも弱者のまま。強者の力には抗えず、藻掻くだけ藻掻きながら底なし沼に沈んでいく。そんな人生を、どこかで覆さなければアイツの傷は永遠に癒えない。どこかで革命を起こさなければ……。
遂に口腔内に陰の一端が侵入してきた。
「ウワアアア!!」
「ほら、早く。意識を手放せ」
嫌だ、嫌だ嫌だ。まだ終わりたくない、終わりたくない。
終わりたくない!
――なら力が欲しいかい?
「え」
その瞬間、世界はいつかのようにモノクロームに染め上げられた。目の前のマモンさえそれに絡め捕られて動かない。
「だ、誰……」
「ばぁ!」
「ワア!」
突然、上から少年の体が降ってきた。こちらもシルクハットを被り、藍色を基調とした燕尾服のような物を着ていた。所々をモチーフのように飾るチェック柄がお洒落。顔は整っている方……なんだろう。正直言うと分からない。何故なら顔の半分以上が隠れているから。左目を覆う、頬まで伸びた白黒の縞模様の前髪に、右目を隠すチェック柄の眼帯。その右目の横に垂れている長めの銀の前髪(もみあげと言っても良いかもしれない)には黒いメッシュが一束入っていた。不思議な雰囲気。
「ハハハ! 願いの力に惹きつけられてきたよ、君とは良いお付き合いが出来そうだ」
「ほ、本当に誰ですか」
「ちょっとそこら辺にいる、
しわがれているが、凛と張る豊かな声。なるほど、パフォーマー、ね。
……って一体どこから来た?
きょろきょろ動かす目線に気付いたのか、自分の唇に人差し指を押し当てる。
「突然だが君の願い、聞いたぞ。今、命の危機にある少年が友の為に何とか生きようとしていると。格差社会に溺れながら必死に足をバタつかせていると……」
「ど、どうしてそれを」
「さっき自分で大声で喋ってたじゃないか」
う、そ、そうかもしれん。
とすると相当恥ずかしいな、これ。
「だが、この私が来たらもう安心! 君はどんな苦境にも打ち勝ち、いつしかその願いを叶えることになる」
「……どういうことですか」
食いついてきたらしいことに満足したのか、口元にニタつく笑みを浮かべる。
「目の前に欲しがりが居るだろう……アイツが今のお前にとっての一番の障害だ」
「そう、ですね」
「しかしお前はそんなことで倒れて良いような人材ではない。ここに待っている人がいる」
そう言いつつ右手を振った先に燃え上がる炎。それはアイツ――ジャックの姿に間違いなかった。
「ジャック!」
「まだまだ深いとはいえ、大分傷が癒えてきた。そこでファートムは彼をリハビリの一環として今までの彼の出演作品に似た物語を用意した。こうして彼はまた作品へと戻っていくことだろう。……社会の歯車として」
「……」
口をつぐんだ僕の顔を面白そうに一瞥する。
「思う所があるな?」
「勿論だ。心を鍛える云々の問題じゃない、人の生き死にっていうのは。またいずれガタが来るはずだ」
「だがそれに神は気付けない――否、抗えないの方が正しいか? 『運命の書』は時にファートムを操りその運命を決めるものだ。彼も救ってやらねばならん一人であるだろう」
「……」
「だが、お前なら変えられる。その強い意志と復讐心を上手く使いこなせれば書をも打ち砕く素晴らしい力となる」
「打ち砕く……」
「何せお前は特別だからな」
「僕が……?」
「勿論だ。目の前の強欲はそのもどきに過ぎん」
「そしたら、どうすれば良いの……」
それにまたニタリと笑みを零した。
「よく言ったな、名もなき少年よ! 食いつきが良くて大変嬉しい!」
「……」
「俺はお前が大好きだ」
一瞬間見せた表情に思わずゾクリと体を震わせた。
コイツ……何かが他のキャラクタと違う。――マモンの見せつけてきたそれとも比べ物にならない程の大きな、何か違いが。
「説明しよう。まずは己が力を証明しろ」
「証明?」
「そうだ。まずはお前に私の加護と守護紋様ソーテラーンを授ける」
言いながら身を翻し、隠されていた左目を見せつけてきた。
それは目の前のマモンも所有する、あの「黒い蛇の瞳」。
それを、どうして……。
「細かい質問は後だ。この目が私の庇護下にあることを証明する。それを使い、先ずは目の前の上位悪魔を黙らせるのだ」
「そしたら?」
「そしたら契約をその場で結べ。例えもどきとはいえ、目的も利害もお前の全てと一致する上位悪魔。そんじょそこらの下位互換とは違う」
「……」
「そうしていずれはお前の良き力となるだろう」
「……じゃあマモンを無力化して、契約を結べば良いんだ」
「その通り。――その力は適性のある者が使えば強大な力を生む。きっとそれも
「そしたら?」
「その後はお前が定めるべき道だ。私はあくまで加護を与えるだけの存在に過ぎん。お前が定めたお前自身の使命の元にただ歩み続けろ」
「……そうか」
「気に入ってくれたか?」
誘惑としか思えない彼の数々の言葉。しかしこの状況を脱するにはこれしかないのもまた事実。
死ぬか、生きるか。
――僕には革命が必要だ。
「そうだな。とても気に入ったよ」
「フ、どこまでも素晴らしい。お前はまるで愛し子だな」
「……ありがとう」
「だが、その前に一つ条件がある」
「何?」
「ここで私の加護を受ければお前はファートムの元には二度と帰れない。お前の友とも会えるのは次の物語に行った時だけ。その関係は破棄せねばならん」
「……」
「何せ、大きな覚悟を伴う決断だ。違う派閥の者と仲良しごっこをしている暇はない」
「それじゃあジャックとは……」
静かに頷く。
次を最後に、もう、会えない。
「それでもこちら側に付き、その願いを叶えたいというのなら聞き届けよう」
「……」
「どうする」
どうする。
……。
……、……。
決断にそれ程時間はかからなかった。
「ああ。それでも良い」
「……ホウ」
「僕はアンタの側に付く。そして今の間違った展開を全て塗り替えてやる!」
「
恍惚の表情で言った後、壁に張り付いたままの僕の傍にその左腕を突き立てた。
そうして鼻先にあのしわがれた声でこう囁き――
「お前の名はベネノだ」
一口に僕の唇に吸い付いた。
* * *
「……!」
遂に少年の体を手に入れようとしたその時。黒炎が立ち昇り、マモンの視界を埋め尽くす。あんなに強靭だった鎌もそれに焼き尽くされ、塵となって消えた。
「グ……! ディアブロか!」
瞬時に悟り、自分の体の中にあるだけの武器をまるでマジシャンがトランプでも並べるように広げ、そのまま少年の方へと飛ばす。
しかし彼は一振りが起こした業火で、それら全てを消し、その直後、目にもとまらぬ速さで陰で出来た
――何故、何故だ! 先程まであんなに弱弱しかったのに……!
もう少しだったのに……!
よろけて、座り込む。この楔一本にどれだけの力を込めたか。
これが本当に先程力を与えられた者か。
力を上手く引き出せず、息を切らす悪魔にゆっくりと歩み寄る少年。
目は既に「黒い蛇の瞳」に変じ、その頬を血管のような独特の模様が覆っていた。
――きっと王が与えたもうた紋様はその先、左首筋にあるのだ。
「何がしたい。復讐か? 憎しみは何も生まないぞ」
少年に思い切って交渉を試みるが彼は聞き届けなかった。
代わりに、名を名乗る。
「俺はベネノ。物語に巣食い、悉くを喰らい尽くす者」
凛と張った彼の言葉の内容に思わず頭をもたげた。
……なるほど。そういうことか。
「聞けばお前も同じ道を行く者だとか」
「……そうですね」
「お前は何が欲しい?」
「世界の頂点」
「俺も」
ニ、と笑んだ彼の豹変ぶり。
面白い。
コイツとならば望みも叶うやもしれない。
胸の底から突き上げるようなゾクゾク感が久しぶりに心地よい。
王に感謝せねばな……。
「なるほど、契約ですか。……貴方とは気が合いそうだ」
良いだろう、少年ベネノ。
お前の足となり、手となり、力となろう。
「まずはこの物語を俺達の手で、片付けるんだ」
* * *
それは、世界を変える物語。
僕は、猛毒に生まれ変わった。
(つづく)
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