第3話 代償なき願いはない

「それでは弁護人。始めてください」


 紫苑さんの落ち着いた声音がバラ空間を払拭し、体育館に静けさをもたらす。けれど騙されてはいけない。一見姉貴よりも生徒会長に向いているこのクールビューティーこそ貴腐人の女帝だ。

 蒼也が壇上にまず一礼し、反転し全校生徒に向かって再度お辞儀をした。

 

「ボクは我が親友である赤座新九郎が犯人ではないことを確信している。理由は三つ」


 蒼也が三本の指を立ててアピールする。


「一つ目は現状から一目瞭然です。生徒会長。今朝ショーツの代わりにブルマやレギンス、ドロワーズなどが用意されていたんですよね」

「ええ」

「つまり代用品は用意された。世界でも問題は起こっていない」

「それは重要なことかしら」

「はい。もしも犯人がスケベ心で願ったのならばこう願うはず『女子がノーパンの世界にしてください』と。けれど実際に変化は『ショーツが消えた世界』です。決めつけで男性のスケベ心による願いとされていますが、女性のショーツだけを消すように願うのは男性でしょうか」


 蒼也の指摘に納得の声が広がる。


「異議あり」

「原告。異議は却下です。今は弁護の時間です。反対尋問の時間ではありません」

「……ぐ。了解よ紫苑」


 言い返そうとした姉貴を紫苑さんが静止し、蒼也に先を促す。


「二つ目は世迷い様への願い事には代償が必要だ。新九郎は代償を背負っているように見えない。生徒会長もわかっているはずです」

「原告。答えてください」

「……そうね。それは私も気になっていたわ」


 世迷い様は願いをなんでも叶えてくれる神様ではない。むしろまともには叶えてくれない神様だ。

 

「皆さんローゼンクロイツの裏校訓を思い出してください」


『どうでもいいことで人生に絶望したら世迷い様に行け。きっと願いを叶えてくれる。恋愛とか受験とか真剣な願いはするなよ。ガチ祟られるからな』


 これは世迷い様の性質を的確に説明している。

 世迷い様が真っ当に願いを叶えてくれる条件は自分ではどうにもならない絶望だ。しかも世迷い様が面白いと思うかの気分次第。世間一般にはくだらないことでもその人にとっての絶望なら世迷い様は面白がって叶えてくれる。

 けれど面白半分のバカげた願いや、恋愛や受験など自分ですべきことを安易な気持ちで願ったなら祟り神となって後悔するような重い代償を背負わされる。


「もしも新九郎がスケベ心で願ったなら起こるのは祟りのはずです。願い事は捻じ曲げられて、目に見える形で重い代償を背負わされているはずでしょう。しかも裁判で特定されれば、代償だけ残して捻じ曲げられた願い事も取り消されてしまう。新九郎にはその代償が見当たらない」


 体育館の空気が徐々に戸惑いに包まれていく。すでに確信が持てなくなっている。女子生徒は早くショーツを取り戻したい。けれど間違った判決を下せば解消されない。下手すれば全校生徒にペナルティが課されてさらにおかしな世界になるかもしれない。

 さすが親友。たまに性癖が怪しくなるが正真正銘の万能イケメンだ。裏で総受けや鬼畜攻めとオールラウンダーとして扱われているのは伊達ではない。


「三つ目の理由は簡単だ。ボクの知る新九郎の性癖から外れているからだ」


 なに言い出し始めやがった。

 再び色めき立つ体育館。 俺には蒼也の言いたいことはわかる。でも言い方が致命的に悪い。お願いだから「それって」「つまり」「やっぱり」などと囁くのはやめてほしい。紫苑さんも目をランランと輝かせてメモを取らないでください。

 醸し出される腐敗臭に気付かないのか蒼也は続ける。

 

「ボクと新九郎はよく夜に連絡を取り合う。ほとんどが他愛ない会話だが、お互いの性癖について確かめ合うことも多い」


 キャーでは済まない振動とどよめきが起こる。本当に他愛ない会話。男同士の友情猥談。その意味するところはどノーマルだ。けれど言い方で致命的な誤解を生む。亀甲縛りをされていて俺には全校生徒がどのような顔をしているかは見えない。それでも全身を襲う振動とメモを取ることも止めて恍惚な賢者タイムに入った紫苑さんの顔を見ればわかる。

 全校生徒が発酵とドン引きだよ。


「その中でいくつか把握していることがある。新九郎はフルヌードつまり裸体には反応しない。『裸体は芸術品として見えてしまう』と言っていた。新九郎は着エロ派だ」


 そこまで言えばわかるだろう。と安心していると紫苑さんがスケッチブックに服がボロボロの蒼也イラストにマルをつけて、全裸局部ぼかしのダビデ像風蒼也イラストにバツをつけていた。いつ描いたのかすらわからない早業だ。そのイラストを俺に向けながら頷くのはやめてください。その性癖わかります、ではないんです。

 

「他にも『履いてないは至高。それはノーパンではない。パンツの概念があるからこそ至高たりえる』とも語っています。そんな新九郎がパンツの存在の消失など願うはずがありません。ボクからは以上です。ご清聴ありがとうございました」


 パチパチとまばらな拍手は男子から。絶対零度のドン引き視線は姉貴とローゼンクロイツに染まってない女子から。紫苑さん筆頭のローゼンクロイツは満足して聞いてもいない。


「新九郎。ボクはやり切ったよ」

「……そうだな」


 このわずかな間に何冊の薄い本が生まれただろう。善意による弁護だ。友情に疑いはない。でも亀甲縛りが解けたら埋める。

 俺が待ち受ける製本に絶望していると、状況を正確に理解している姉貴がニヤニヤしながら追い打ちをかけてくる。

 

「つまり弁護人言い分は以下。女性モノのショーツだけを世界から消すように願うのは使用している女性ではないか。新九郎が裸の『女性に興味はない』から犯人ではない。その証拠に代償もない。いいかしら?」

「そうです」


 わざわざ一部分だけ強調して言いやがった。紫苑さんお願いだから、あなたもしかして本物でしたか的な視線はやめてください。

 

「わかりました。弁護人はあちら。弁護人左側席。ビーエル席に座ってください」

「はい」


 そんな席ないだろと紫苑さんにツッコミたい。ツッコミたいのを我慢して姉貴をにらみつける。学園生活面で致命傷を負ったが少なくとも強行判決が許される空気ではなくなった。

 だが姉貴の表情には余裕がある。


「こんな茶番はやめてまともに犯人捜しをしたらどうだ?」

「確かに茶番ね。私は愚弟が犯人だと確信しているし、証明する準備もある」

「なんだと」

「ショーツという概念の消失。その代償としてなにを背負わされたかは姉として知りたいところではあるんだけど。さっさとショーツも取り戻したいし、こんなの早めに幕を閉じるに限るわ」


 この愚弟が、と姉に優しく叱られた気がした。全てを見透かして確信している。判決を下すには全ての真相を明らかにする必要はない。犯人が正しく、根拠に納得できればいい。

 やはりこの姉はまともな方法では欺かれてくれない。

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