第56話 ボーナストラック?
「どうかされました?」と、樫山が訊いた。警察署へと曲がる角で、突然小張が立ち止まったからだ。
「さっきの会話……」と、小張。
「はい?」
「なにか、邪魔された気がするんですけど」
「……なにをですか?」
「私、確かに言いましたよね?」
「何をですか?」
「映画の名前」
「なんてですか?」
「ほら、『やっぱり最高ですよ!!ド』きゃあ!!」
ワンワン。
ワンワン。
ワンワン。
突然、一匹のボーダーコリーが小張に飛び付いて来た。
ワンワン!
ワンワンワン!
ワンワン!
ワンワンワン!
かと思うと、彼女の顔を舐め回しながら、そのまま地面へと押し倒して行く。
「なに?なに?なんですか?」と、小張。
ボーダーコリーはシッポを激しく振っているので敵意はなさそうだが、それでも害はありそうだ。
「大丈夫ですか?!」と、樫山は声を掛けるが、いかんせん彼は、子供の頃に近所のアフガンハウンドに噛まれた経験から犬全般が苦手である。遠巻きで、しかも腰を引いたまま何も出来ない。
と、そこに、
「コハリ!」
と、犬の名を呼ぶ女性が現れて、そして、
「ストップ!」
と、言った。
すると、《コハリ》と呼ばれたその犬は、まるでその言葉に操られているかのように動きを止めると、
「離れて!」
と言う女性の言葉に合わせるように小張から離れ、
「こっちに戻りなさい!」
と言う言葉に合わせるように、声の主の方へと戻って行った。
声の主は、持っていたハーネスを彼女の首輪にしっかりと付け直すと、犬の頭を軽くはたく素振りを見せてから、
「もう。勝手に走っちゃダメ」
と言い、その後、
「すみません。大丈夫ですか?」
と、地面に倒れたままの小張の方へ近寄ると、彼女に手を差し伸べた。
この声の主は、よくよく見ると高校生ぐらいの女の子で、男物のキャップにロング丈のパーカーを被り、デニム地のショートパンツと云う出で立ちで、
「うちのバカ犬が……」
と言いながら小張の体を起こし上げると、
「あれ?」
と、言った。
「小張さんじゃないですか?」
そう言われた小張は、いまだ涎まみれの顔を大判のタオルハンカチで拭いていたが、しばらく手を止め、相手の顔を覗き込んだ。……が、帽子の陰に隠れてよく見えないのか、どうもピンと来ていない様子である。
「わたしですよ!!」
と、男物のキャップとパーカーを外しながら女の子が言った。
「八千代です!佐倉八千代!」
しばらくの間小張は、彼女の顔を見詰めながら記憶を辿っていたようだが、その彼女の短く刈った真っ赤な髪の毛を見てようやく想い出したようで、
「ヤッチさん?!」と言った。「『練馬区連続自殺教唆事件』の時にお会いした?!」
(おしまい)
川崎、生田、1969 @kooshy30
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