手をつなごう

たむすけ

家族愛

 朝七時、日に日に姿を出すのが遅くなっていく太陽が、寝室に光を灯していく。十月になり、入試本番が目前となってきたこの時期に明日は早く起きようと息巻いて寝たが、慣れないことはするもんじゃないな、ベットから出られない。元々朝が得意ではなかったんだからこんなこと無謀だったとしみじみ感じている。

 「結衣、いつまで寝てるの?学校は?」

 朝から甲高い声が家中に響き渡る。わかってるよ、そう言い重たくのしかかっていた布団を払いのけ、リビングに向かった。椅子に座りすでに用意された朝食を口に運び、父がつけたテレビに目をやった。コロナ禍も二年目ともなるとさすがに勢力が弱まったのか感染者も少なくなってきている。東京もここ大阪も少なくなってきているが油断はできない。

 -お兄ちゃん、何してるかな?-

 そう言ってふと時計に目をやるともう出発する時間だ。慌ててかきこんだ朝食はうまく喉を通らない。予備校に行く分余計重くなった荷物を背負い、学校に向かった。


 東京の朝は大阪と同じくらい寒く、今日はここ最近で一番寒い。

 「寒っ!」

 重い腰を上げ、脱いだ服を洗濯機に入れ、回っている間に近くのコンビニに朝食を買いに行く。一人暮らしをして二年目の俺の朝の日課だ。コロナ禍にも慣れ、だんだんゆとりが出来たが一限目から授業だと思うと気が重い。終わった洗濯物を干して買ったパンをほおばりながらパソコンを開く。昨日書きかけで終わった実験レポートを授業が始まるまでやろうと実験データに目を凝らす。

 -はぁ、いつまでこの生活が続くのだろうか-

 一限目も二限目もオンデマンド型の講義で、動画を見て小テストに答えて出席確認するもの。さっきの実験だって半分は対面で行うがもう半分はオンデマンド。見ず知らずの学生が行った実験を見てレポートを書けと言われて、これに何の意味があるのだろうと不思議に思う。教授たちも面倒くさくなってきたのだろうか、去年急きょ作った講義動画を使い回してるのが目立ってきた。教える気力のない教授、内容が理解できない学生、二つの思いが食い違う。

 緊急事態宣言が発令されてからしばらくして、小学校から高校にいたっては元の生活に近い環境を整えようと政府や学校は必死だった。にもかかわらず、大学生はほったらかしだった。大学の措置は一向に変わらなかった。大学生には遊んでいるイメージでもあるのだろうか?こっちはレポートにテストに大変なんだ。

 「自分たちだって大学生だった頃は遊んでたくせに...」

 都内でも難関だと言われる私立大学に入ったものの友達は出来ない。キャンパスはこんなに広く、学生もこんなにいるのに、俺は孤独だ。そう思いながらアップされた一限目の動画ファイルを開いた。


 学校が終わり校門を出てまっすぐに駅に向かう。結衣の通う予備校は電車で二,三駅いった大阪駅にある。改札をくぐり走ってホームに向かうと電車はすぐそこまで来ていたので慌てて階段を下った。車内に割り込むとそこにはなんとも言えない静かさが広がっていた。皆マスクをしてスマホに目をやるか、遠くに視線を移しているが誰も言葉を発しない。皆うつむいている。まるで刑務所だ。

 -こんな状況、永遠に続くのかな...-

 そんな思いを胸に英単語帳を開いた。

 予備校に着くやいなや先月受けた模試が返ってきていた。結果は見るまでもなく...E判定。やっぱり自分には無理なのだろうか。合格圏内には届いている大学もあるが、やはり兄の通う大学には遠く及ばない。夏休みあれだけ勉強したのに...演習量が足りないのか、それとも基礎が足りないのか、皆自分よりも勉強してるから低いのか、全く分からない。不安だけが募り、先の見えない道をただただ突き進む。その先の光ははっきりと見えない。

 「もう嫌です。何のためにやってるのか分かりません。」

 そう不安を吐露しても、予備校の担任は「ここでめげるな」と鼓舞しかしない。

 -いいよね、もう終わった人間は。好きなように言えて-

 私も早くそっちの世界に行きたい。そっち側に行ってみたい。そしたら少しは違った景色が見えるかもしれない。少なくともこんな生活は送らなくて済むかもしれない。部活も、コロナさえなければ大会に出られた。優勝だって狙えた。でもそれもはかなく散り、引退という言葉だけが残った。

-こんな地獄みたいな生活に比べたら他の世界は少しは明るいんじゃないか...-

 そんな淡い期待を抱き、教室に向かった。

 

 実家から昼頃荷物が届いたが、はんこを押しすぐに奥へとやると荷物を持って家をでた。よりにもよってこんな時に。三限から対面授業なのに。理系はなぜこうも授業が多いのか、全く融通が利かない。午後を一人で過ごし家に帰ってきたのは午後十時を過ぎていた。授業に出てもやはり孤独だ。教室には間隔を開けて座るよう、座れない席には×印が貼られていた。でも俺は皆よりも離れて座った。皆すでにいくつかのグループを作っていて話している。親には見栄を張って友達がいると言ってしまったものだから、ああいうのを見て親のことを思うと胸が痛む。

 -もう話しかけても手遅れだろうなぁ...-

 チャンスはいくらでもあったはずだ。声をかけられたことすらあった。でもなぜか拒んでしまった。一人でレポートを仕上げたいからとでも言って。何でもかんでもコロナのせいにしていたが、本当は自分で勝手に皆との距離を作っていただけではないか。その逃げ道としてコロナを理由にしていたのではないか。いやコロナのせいだ。そう振り切った。

 ふと空っぽの部屋に目をやると、机の上で長方形の箱が怪しげに光っていた。

 「俺、今日スマホ忘れてたんだ。」

 そんなことも気づかずにいてたなんて。急いでスマホを手に取ると見覚えのある名前が浮かんでいた。

 「結衣からだ。」


 ネオンの光が徐々に光りを失っていく。授業が終わり復習を済ませたときには十時を過ぎていた。感染者が少なくなってきているとはいえ、街にかつてほどの活気は

ない。予備校を出て電車に乗り家の近くまで来てスマホを取り出す。祐介のことだ。七時くらいに連絡したが返事がなかったのでもう一度書けてみることにした。

 なぜだか分からないが話したくなった。誰でもいいわけではない。ただ大人じゃだめだった。そっちの世界の言葉はうわごとみたいでまるで響かない。せめてお兄ちゃんなら、まだお兄ちゃんはそっちの世界に行ってないかも。そんな思いと今の不安を打ち明けるべく兄に電話をかけた。電話はすぐにつながった。

 「お兄ちゃん、元気...?」

 「おぉ、結衣か!久しぶり。元気だよ...そっちはどう?」

 慌てて出たものだから言葉が詰まった。どうしたんだ。

 「うん、ちょっとね...最近...受験がつらくて...」

 「どうした...今レポートで忙しんだけど。」

 「聞いてくれない?こっちだって結果が出なくてしんどいんだもの!」

 「そうか...でもくじけるな。ここで負けたら終わりなんだからな。弱気になるなよ。」

 ーそんな...お兄ちゃんもそっちの世界でものを言うの? そういう勝ち誇ったような言葉は聞きたくなかったー

 「なんでそんな簡単に言えるの。いいよねお兄ちゃんは、もう終わったからそんな気楽にものが言えて。受かっちゃえば後は大学生活楽しむだけだもんね。」

そんなことを言いたかったんじゃない。

 「なんだよ、人の気も知らないくせに。勝手なこと言うなよ。」

 つい語気が荒くなった。こんなに高ぶったのは久しぶりだ。

 「もういい。かけたあたしが馬鹿だった。」

 そう言って電話を切った。沸き起こる怒りと悲しみだけが残った。家に帰ると母が出迎えてくれた。結衣が机に目をやると、おにぎりと緑のたぬきが、そして蓋には手紙が添えられていた。

 「お父さんから。結衣にって。」

 ふふっ、と笑みを浮かべながら奥の部屋に視線をやる。父は今も部屋で仕事中だ。結衣はその手紙を開いた。

 『結衣へ

いつも勉強頑張ってるみたいだから、おにぎりを作ってみた。もし良かったら食べてほしい。後、結衣。今しんどい時期かもしれない。つらい気持ちは分かる。けどな、これだけは覚えといてほしい。父さんたちも一緒だ。僕らも今つらい思いをしている。決して結衣だけがつらい思いしてるわけじゃないんだ。辛かったらやめてもいいんだよ。ただ父さんたちは結衣のそばにいる。』


 なんだよあいつ、と切られた後少し冷静になって素っ気ない態度をとってしまった自分を悔いた。でもさすがにあんなこと言われたら...

 そんなとき、昼届いた仕送りが目に入った。部屋の片隅にうずくまるようにおいてあるその箱を開くと、冬服やお菓子、山のような食料がそこにはあった。その山をかき分けていくと、赤いきつねと手紙が下に敷いてあった。湯が沸くまでの間、その手紙に目をやった。


 『祐介へ

母さん、あんたが友達出来たか心配で、どうせ口だけだろうから。辛かったら帰ってきてもいいからね。でもね、あんたは一人じゃないよ。離れていてもつながっているんだから。だからね、あんまり思い詰めて周りにあたるんじゃないよ。人は周りに当たることで自分の欠点を隠そうとするけど、それは弱い人間のすることだからね。あんたなら友達もできて上手くやれると思うから、あんたなら出来る。』


 読み終えたと同時にポットが仕事を終えた。二人が湯を注ぐとさっきまで凍っていた空気が徐々に和らいでいくのを感じる。出来るまでの間、結衣は丸まったおにぎりを口に運ぶ。

 「ちょっと、しょっぱいかな。」

 今日初めて笑みがこぼれた。

 できあがってすぐ出汁を口に含むと、二人の身体が熱を帯び始める。凝り固まった肩の荷が下りていくのを感じる。懐かしい味が真っ暗だった道に光を照らしていく。

-離れていてもつながってる、一人じゃないんだ-

 ぐっと飲み干した後、結衣と祐介はお互いさっきの電話番号にかけ直した。


 




 


 

 

 

 

 

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