第八話

 それから本を選び、購入してから指定された場所へ行くと、やはりと言うべきか長瀬くんは待っていた。


「買えたか?」

「うん」

「綾瀬、今から用事ある?」

「特には」

「なら、その辺ちょっと歩かないか?」

「……別にいいけど」


 本屋さんを出て、住宅街の方向に道を歩く。

 今は簾名残がちょっと目立つようになってきたけれど、まだそれほど寒くはない、そんな季節だ。日の落ちかけた夕方のこの時間でもコートはいらず、制服だけで充分に暖かい。

 どうやら彼にこれといった目的地はなさそうで、なんとなく話したい気分なのかなと思った。

 そこで私は近くにある公園の方向へとそれとなく誘導した。話すならベンチにでも座って話したほうがいいだろう。私の家はここから比較的近いけれど、彼の家は遠いのだから。


「お、ちょうどいいところに公園あるな。入ろうぜ」


 狙い通り、公園に入ってベンチに並んで座る。

 先ほどまで並んで歩いていたのと距離はさほど変わらないけれど、こうしていた方が落ち着く。

 元々、長瀬くんと一緒にいること自体は嫌なことではないのだ。ただ、誰かに見られたりして、それについて彼が周りに何か言われたりしたら嫌だな、と思っていただけで。だからこうして住宅街にあるが、同じ高校の人は少ない、こういう場所でのんびりと過ごすこと自体に文句はない。


「今日ありがとな」

「ううん、むしろ誘っちゃって迷惑じゃなかった?」

「いや、全然」

「そう? ならいいんだけど……」


 会話が続かない。

 長瀬くんらしくないな。教室にいるときはあんなに賑やかなのに。――あ、もしかして私のせいかな。普段絡んでる人たちとはノリが違いすぎるから戸惑っているのかもしれない。

 じゃあ、私が何か言わないと、と話題を考えていると、彼がポツリと話した。


「前にさ」

「――ん?」

「傘、貸してくれたことあったろ。あのときはマジ助かった。ありがとう」

「ううん、折り畳み傘もあったし、全然大丈夫。濡れなかった?」

「そのことなんだけどさ――」


 彼はこちらを見ると


「それ、嘘だったろ。本当は折り畳み傘なんて持ってなかったんじゃないか?」と言った。


 ドキリと心臓が跳ねる。


「え、あ、いや、その……」


 焦った私の顔を見て、彼は「やっぱりか……」と漏らした。

 これは誤魔化せないな。


「えっと、ごめんね?」

「なんで綾瀬が謝ってんだよ。謝るのは俺の方だろ。あのとき濡れて風邪引いたんだろ。悪い」


 そこまでバレてたんだ。人気者の情報網を舐めていたかもしれない。


「私が勝手にしたことだから、気にしないで?」


 本当に気にされたら困る。だから知られたくなかったのだ。

 隠し通せていると思っていたこと自体、間違いだったみたいだけれど。

 彼は納得いっていないような表情だったが、一応、頷いてくれた。


「あー……うん。わかった。……それでさ、聞きたかったんだけど、なんでそんなことしたんだ? 別に綾瀬に何の得もないだろ」

「なんでって言われても……つい? 長瀬くん、家遠いって聞いたことあったし、私の家は結構近いし」

「つい――って。すげえな、綾瀬」

「そんなことないよ、考えなしなだけ。たまにやっちゃうんだよね。まあ、なんとかなるかって……勢いで」

「ははっ! なんだそれ。綾瀬って結構面白いやつだったんだな」


 彼は可笑しくてたまらない、と言ったふうに声を押し殺して笑う。

 一方の私は、別に不機嫌というわけではないのだが、むぅっと頬を膨らませておいた。

 彼はそれを見て、また笑った。

 ひとしきり笑った後、また彼が続けた。


「今日さ」

「うん」

「本のお薦め聞いただろ?」

「うん、聞かれたね」

「悪い。本当は別に本が読みたかったわけじゃないんだ」

「え?」

「あ、もちろんさっき買った本は読むぞ。普通に面白そうだなって思ったし、こういう話題でも話せればいいなとも思ってる。ただ本当の目的は別にあって……。」


 彼はいったんそこで言葉を切り、声のトーンを少し落としてからゆっくりと言った。


「本当は綾瀬のこと知りたくってさ。せっかく同じクラスになったからもっと話してみたかったんだけど、あんまり話しかけられるのは得意じゃないのかなって今まで距離とってた。でもやっぱ気になってさ」

「そんなこと……」


 ない、と本音を偽ろうとした私の言葉は途中で消えてしまう。話の内容とは裏腹に、彼の顔がどこか明るいものに見えたからだ。その私の予想を肯定するように、彼が快活な声で言う。


「でも今日関わってみてわかった。やっぱり綾瀬は良いやつだ。俺の目は間違ってなかった」


 彼は改めてこちらに向き直ると、どこか真剣さを帯びつつも、愛嬌のある笑顔を浮かべた。


「俺と友達になってくれ。綾瀬のこと、もっと知りたい」

「……別に私と友達になっても面白いことなんて何もないよ?」

「いいんだよ、そんなことは別に。でもそう言うってことは……いいってことでいいんだよな?」


 私は黙って頷くと、彼は「やった!」と人のいい笑顔を浮かべた。

 その後は少しだけ世間話をした後、連絡先を交換して解散した。


 私は彼が見えなくなるのを待ってから、両手で顔を覆って俯く。

 夕方の薄暗さで見えていなかっただろうが、今の私の顔は沸騰しそうなくらいに真っ赤だろう。


 ――私と長瀬くんが、友達? 無理無理無理! 死ぬ!


 じたばたと足を地面に叩きつけたい衝動に駆られるのを必死に我慢する。そんなことをしていたら不審すぎる。見られたら通報ものだ。でも、私の心の中は今そのくらい荒れ狂っているのだ。


 ――正直に言おう。


 私はかなり前から、長瀬くんに恋をしている。

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