闇夜(あんや)の月虹(ノベルバー2021)

伴美砂都

闇夜の月虹

 スナック「月虹」は小学校から歩いてくる道順でいうと、郵便局の角を曲がって、小さな酒屋と、同級生の山木の親がやっている「ステーキハウスポプラ」という食堂を通り過ぎ、申し訳程度に濁った水の流れる川にかかる名もない橋を渡って、踏切のほうへもう少し歩いたところにあった。その踏切をこえて国道にかかる信号を渡りマンションの横を通って行けば家に着く。学区の中では学校から遠いほうだった。

 「月虹」はいつ見てもひっそりと閉まっていて、前を通るとき綾ちゃんと、つぶれてないね、お客さんいないのにつぶれないね、とひそひそ話した。いま思えば小学校低学年が帰宅するような時刻には、そりゃあスナックはひっそりとしているものだろう。

 小学校の四年生になると綾ちゃんとは一緒に帰らなくなった。四年生になると放課後のクラブ活動が始まる。綾ちゃんはブラスバンド部に入ったから、その友達と帰るようになったのだ。わたしはクラブには入らなかった。ブラスバンドやバトンなどのなにをするかわからないことや、サッカーやハンドボールなど体育でやったけれどわたしにはうまくできなかったものばかりで、こわかったからだ。はじめは綾ちゃんのクラブが終わるのを待っていたけれど、昇降口でわたしの姿を見とめた綾ちゃんは困ったような顔で目を逸らし、何度かは後ろからついて歩くかたちで一緒に帰ったけれど、何度目かに、もうついてこないでくれる、とはっきり言われたので、できなくなった。


 学校にいる間は、まるでお風呂のなかで服を着たままクロールするような時間だった。実際、そんな夢をよく見た。もっさりとした気持ちでいつも目が覚めた。いつの間にか酒屋は閉店して更地になり、「月虹」は相変わらずひっそりとしながらも、閉店したようすはなかった。「ポプラ」もずっとある。「月虹」の虹の字を知らなかったが、ローマ字が読めるようになると、店の前に置いてある四角い看板の「月虹」の文字の下に小さく「GEKKOU」とあり、それがコウだと知った。「にじ」という字なのだとわかったのは、もっとあとのことだ。

 綾ちゃんと歩いていたときは読み方がわからなくて「つきむしえ」かな、と言ったこともあった。「ゲッコウ」なのだと綾ちゃんに教えてあげたかったが、そのとき彼女とはもう友達じゃないのだと気づき、わたしは暗い気持ちになった。「月虹」は田舎らしく駐車場が広くとられており、スナックというのがお酒を飲むところだとテレビかなにかから知っていたわたしは、お酒を飲んで車に乗ったらつかまっちゃうのに、と勝手にハラハラした。代行とかタクシーとかそういう概念もまだ、なかった。


 五年生の途中だった。綾ちゃんと一緒に帰らなくなってから友達をつくるのに失敗し続けていたわたしは、ひとりで帰っていた。足どりは重くはなかった。家はお小遣い制ではなく必要な文房具などは必要なぶんだけ親と一緒に買いに行く制度だったが、そのとき本やマンガはたのめばわりと買ってもらえた。その日は月に一度の漫画雑誌の発売日で、しかも、買い物のついでにスーパーの本屋で買っておいてくれると、母が言っていたのだ。


「福田さん」


 汚い川の、饐えた臭いも気にせずうきうきと渡ろうとしていた途中、同じクラスのハルナちゃんから声をかけられた。いつも男女混合のグループでにぎやかに帰っていくハルナちゃんだけれど、今日はひとりのようだった。彼女の家も、こっちだったっけ。わたしはクラスメイトの住んでいる場所などを、ほとんど知らなかった。


「福田さんって、苦手な人っている?」

「えっ」


 女子のなかではそういう会話がときどきなされることは知っていた。でも、わたしはいつもうまく答えられなかったし、いうなれば、みんな苦手だった。わたしが言いよどんでいると、ハルナちゃんはわたしの目をしっかりと見つめて言った。


「私は、福田さんが苦手だよ」


 次の日から学校へ行けなくなった。おなかのあたりがもにょもにょして起き上がるのがだるく、具合が悪いと言ったら信じてもらえた。そうやって何日か休むうちに、わたしは不登校になった。当時はまだ登校拒否といわれていたが、拒否、というほど強い感情はなかったようにも思う。いや、でも、まあ、拒否だったのだろう。そのときのことはぼんやりとしている。叱られた記憶もないし、ドラマとかでありがちな、先生やクラスメイトが登校を促しに家に来たとかいう記憶もない。担任の先生と親の間でなにか会話が交わされたのかとか、そういうことも知らない。ただ、布団をかぶってもっさりとしていた。


 「もっさり」とは、わたしのことだ。いつだか、クラスメイトの数人が、「福田さんってもっさりしてるよね」と言っていたのを聞いた。その中には綾ちゃんもいた。もっさりがどういう状態なのか細かいところはよくわからなかったが、でも聞いたとき、あ、たしかにわたしは「もっさり」だ、と思った。悪口なのはわかったが、その言葉はあまりにもわたしに似合っていた。


 六年生の秋だった。毎日、何もなく過ごしていた。担任の先生は新しくなり、ただ、会うことはなかった。先生と会うかどうかと親に訊かれたが、そのときは明確に拒否した。体育は嫌だったが勉強は嫌いではなかったから、会ったことのないその先生が置いていったプリントは、ノルマをきめてきちんとやった。親は共働きなのでひとりで昼ご飯を食べ、今日のぶんのプリントがおわれば家にある本やマンガを読んだりテレビを眺めたりして過ごした。

 サスペンスドラマの再放送が流れているうちはまだいいが、夕方のニュースが始まると暗澹とした気持ちになった。それは「もっさり」よりもっと重く、暗澹という言葉を、知った今やっとあらわせる。先に帰宅する母親と一緒に夕飯を食べた。父はそのころ仕事で毎日遅かった。母は気を遣ったのか早く学校へ行けとかそういうことは言わなかった。けれど、学校へ行ってほしいと思っているであろうことはわかった。

 わたしもそう思っていた。毎日、なにも変わらず過ごしているうちに、皆は六年生を順調にやって、中学生になっていく。「登校拒否」のまま中学生になったら、もう、どこへも行けないような気がした。夜になると叫びたくなったが、これ以上親に心配をかけてはいけないように思った。お風呂でクロールしようとしておぼれる夢、通学路を歩こう歩こうとしても道に迷ってたどり着けない夢、ルールがわからないスポーツのチームにいきなり入らされる夢、たくさんの悪夢を見て、やっぱり叫ぼうとしたときには、うまく声が出なかった。長い時間をかけてようやっと叫んだつもりでも、目覚めた夜中は静かだった。


 十一月だった。寒くはなく、ぬるい夜だった。その日は、学校に行こうとしてたどり着けない夢だった。歩き慣れたはずの道はやぶになっていて、進んでも、進んでも、反対方向へ行ってしまう。はっと目が覚める直前に、目印のように四角い白い光が、遠くにちょこんとあった気がした。覚めてしまえば、もう眠れなかった。

 焦燥感、という言葉も、まだもたない子どもだった。言語にも叫びにも上手にならないとき、感情は行き場を失くして暴発しそうになる。胃の中からなにかせりあがってくるようだったが、吐きはしなかった。学校へ行けなくても夕飯は毎日おいしかった。少し太ってしまったから醜くて、また身体が重くなったような気がしていた。


 パジャマの上にジャンパーを羽織って、ズボンだけは替えた。足音をしのばせて玄関を開けた。キイと音がしてドキッとしたが、だれも起きてくる様子はなかった。思えば不用心にもカギを開けたままにしていた。外は真っ暗で静かだった。新興住宅地で街灯はちゃんとあったが、ひっそりとした闇もまた、そこここにあり、足がすくんだ。しかし、わたしは歩き出した。ごみ捨て場の横を通り、公園の横を通り、国道のほうへ。学校へ行っていたとき、通っていた道を。

 国道も昼間とはちがう顔をしていた。この町ではいちばん太い道路だ。歩道の横に自転車が通るための道があって、けれど今はそこを通る人はいない。大型トラックがごうごうと音を立てて何台も通り過ぎて行った。パトカーが来たらつかまってしまうかもしれないと思って、一生懸命顔を伏せた。

 ようよう信号を渡り、踏切のほうへ行く道になると歩道がほとんどなくて細い。昼間は車もゆっくり通ってくれるけれど、夜は怖い。できるだけ端に寄って速足で歩いた。踏切をこえると道幅が少し広くなる。そこまで、しかし通る車はなかった。電車も来なかった。


 四角く白い光が見えたとき、たすかった、と思った。家から数分の道のりだったのに、わたしの心はもうくじけそうになっていた。光のほうへ引き寄せられるように向かった。

 それは「月虹」の看板だった。四角く作られた中に蛍光灯が入っているのだろう。そんなに鮮やかな光ではない。けれど、ぽうっと明るく見えた。一番上の行に「スナック」中段に少し大きく「月虹」そしてその下に小さく「GEKKOU」が影になって浮かび上がっていた。そういえば昼間はこの文字は何色だったろう。

 しばらく、その看板のまえに、というか、「月虹」のまえに佇んでいた。昼には気が付かなかったが、扉も縦じまの枠にすり硝子がはめ込まれるようなデザインになっていて、中の明かりがやんわりと漏れていた。

 わたしは吸い寄せられるように、「月虹」の扉を開けた。引き戸だった。


 それは、きっと夢だったのだと思う。現に、わたしはそのとき「月虹」の中にいた人たちの、顔も姿もひとりもおぼえていない。看板とおなじ白い光で、すごく明るいわけではない、うっすらとした明るさだけ。ウーロン茶を飲ませてもらったのも、きっとまぼろしだ。だって、国道にパトカーどころじゃない、小学生があんな時間にひとりでスナックに入っていったら、どんなに酔っぱらった人だってびっくりして通報するだろう。

 でも、そこにいた人たちのことは霞がかったようでも、「月虹」の天井に点々とついた丸くて白い電気、酒瓶らしいボトル類のぎゅっと詰まった木のカウンターと奥のほうまでいくつも並ぶ丸椅子、それから、その反対側にふたつだけ設えられた小さなテーブル、レジ台の上に置かれた木彫りの熊と赤いだるま。少し頬が熱くなるような、上のほうが暖かい暖房。汗をかいたウーロン茶のグラス、カランと鳴った氷と、ひんやり喉を通っていく感覚。笑いさざめくけれど、わたしのことを嘲笑うことは決してない、あたたかな声。

 どうやって帰ったのかも、おぼえていない。外に出たとき、月が見えたことだけ。月は白くさえざえとして見えたけれど、振り向けば「月虹」の看板がすぐ近くにあり、それのほうがまぶしかった。水滴のついた手を思わずジャンパーで拭いたから、ポケットの上のあたりが、少し濡れた色をしていた。


 それから、いつの間にかわたしは学校へ行けるようになった。相変わらず友だちはいなかった。先生は若い男の人だった。放課後にわたしを呼び止め、よく頑張ったな、といって派手に歓迎してくれたが、わたしが何も答えないので困った顔をした。クラスメイトたちは意地悪を言うでも話しかけるでもなく、遠巻きにしていた。「福田さんのことが苦手だよ」と言ったハルナちゃんは、転校していた。わたしに苦手と言ったから転校したわけではないだろうし、べつに彼女にそれ以外なにかされたわけではないから、どうということもなかった。

 「月虹」は、今もある。夜に通ることは、もうない。新しい道ができて、どこへ行くにもそちらの方が便利になったのだ。実家を出てしまえば、ときどきしか帰らない土地の、あまり通らない道だ。けれどときどき、本当にときどき、借りた母の自転車で薬局へ行ったりなんかするとき、わざと前を通ってみる。昼間は相変わらず四角い看板も店もひっそりとして、しかしよく見れば扉の横には「準備中」と、わりに新しい札がかかっている。

 月虹というのは、月の光でできる虹のことなのだという。太陽より光が弱いから、色も薄い。あの、くらい夜のくらい道に、ぼんやりと灯った「月虹」の明かりが夢だったとしてもまぼろしだったとしても、わたしはあの光を、生涯忘れないだろうと思う。


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闇夜(あんや)の月虹(ノベルバー2021) 伴美砂都 @misatovan

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