第6話
昼過ぎ。風邪は強い。
ユキが唯一の娯楽であるテレビを見ている最中、電話が鳴った。
受話器を上げるといつもの声がした。
「こんにちは、ユキさん。」
「どうも、係長。」
係長とはユキへの事務連絡を行っている捜査機関の人間だ。
本名は知らない。会ったこともない。性別は女性。年齢は不詳。どこから電話をかけているのかも不明なユキの上司に当たる人物。
その係長からの電話は仕事の話と決まっていた。
普段なら毎週月曜日午前8時30分ぴったりに定期報告の電話をかけてくるのだが、今日は違った。
「ユキさんにお願いがあります。今日そちらに向かう船に一人の新入居者がいますので、生活指導、お願いします」
ユキは久しぶりだな、と思った。新入居者とは新しい流刑人のことだ。半年ぶりだろうか。ユキは返した。
「はい、わかりました。特徴などはありますか?」
「はい、同伴の者が一緒にいますので、その者に接触してください。当人は今体調不良のため車椅子ですので、それを目印にすればすぐわかるかと」
ユキは質問をした。
「怪我をしているのですか?」
「いいえ、身体は健康ですので、意識が戻れば普通に立って歩けます」
ユキはわかりました、と答えた後、もう一つ質問をした。
「ちなみにその人、危険な人ですか?」
ユキの車の後部座席に、一人の若い男性が横になっている。
新しい流刑人である。
強風に煽られながらもなんとか接岸した大型船。遠目で見ていると車椅子とそれを押す男性が降りてきた。連絡にあった通り、まだ意識はないようだ。
同伴者に声をかけ、迎えの者であることを伝えると、
「私はこの船に乗って内地に帰る。身柄を頼む。車椅子は返してくれ」と告げられた。
この大型船は折り返し運行をしているので、乗客と、コンテナの積み下ろしが終わり次第内地へとUターンするのだ。積み下ろしの作業時間は大体10分程度。
ユキは急いで車椅子を押し愛車に向かうと、後部座席に新人を移し替える。
だが、新人はかなりガタイが良かった。その上、意識がない人間は持ちにくく重い。半身が車両からずり落ちてしまい、ユキは慌てて巨体を押さえつけた。
小柄なユキが奮闘しているのをお構いなしに、同伴者は車椅子だけ回収して「よろしくお願いしますね」と言い残し船へと戻っていった。
巨体との格闘が終わった頃には、船の展張されたロープが解かれていた。
見送るのも馬鹿らしいので、ユキもすぐに車を発進させた。
新人は意外にもすぐに起きた。
むくりと起き上がり、あたりを確認する。大きな体にあったゆっくりした動き。
ユキが話しかける。
「おはようございます。ここがどこかわかりますか?」
新人はゆっくり運転席を向く。
「どこでしたっけ。すみません、わかりません」
「あなた、名前は?」
「名前・・・」
新人はすぐには答えない。迷っている。そして
「ティーと呼んでください」
と答えた。今度はティーが質問した。口調はゆっくりだった。
「ここはどこですか?」
「古島」
「なんで僕はここにいるんですか?」
「こっちが知りたいです。」
「あなたは誰ですか?」
「あなたの生活指導係」
ティーは「そうですか」と小さくこぼして窓の外に視線をうつした。
冬の海は時化ていた。大型船の姿が遠くに小さく見える。
今度はユキが質問した。
「あなた、どうしてこの島に来たのですか?」
ティーは「わかりません」と答えた。
続けて「あなた、使い手?」とユキが質問すると、ティーは「はい」と答えた。
この感じは「矯正」されてるな、とユキは思った。
「矯正」とは捜査機関による洗脳のことだ。記憶の処理、性格の修正などが専門の施設で行われる。流刑人はまた過ちを犯さないように「矯正」を受けてからこの島に来るのがほとんどだ。
ユキも「矯正」を受けている。だが、覚えているのは郊外にある専門施設に入るところまでで、その後気がついた時はもうこの島にいた。故に「矯正」の内容は覚えていない。
「矯正」を受けたからといって、ユキは性格が変わったり、思い出せない過去ができたりなどの変化はない、とユキは思う。
もしかしたら、自覚していないだけなのかもしれないが、確かめる方法はない。
ユキはこの島に来た時のことはぼんやりとしているが、時間が経つごとに意識がはっきりしていったのをよく覚えていた。
前任者、ユキの生活指導係だった人物にベラベラ秘密を喋ってしまったのも、そのせいだ。
ユキは前任者に習って、新人の流刑人がぼんやりしているこの時間を利用してなるべく秘密を聞き出すようにしている。中でも魔法のことは優先的に聞いている。
ユキはティーに質問をした。
「あなたの魔法はどんな能力なんですか?」
ティーは窓の外を見たまま答えた。
「僕は、痛み使い」
「痛みって痛覚?」
「はい」
「具体的にどんなことできるのですか?」
「あ、その前に」
ティーが会話を遮る。ユキが聞く。何?
「ちょっと痛むかも」
ティーがそういうと同時に車が少しはねた。道路に窪みがあったのだ。
その衝撃でユキは舌を噛んだ。口元を手で押さえて痛みを堪えるユキ。車両の速度がぐっと落ちる。
涙目のユキにティーは言った。
「すみません、遅れてしまいました」
ユキがはっきりしない発音で「どういう意味?」と聞くとティーは「痛み使い」について語った。
ティーの魔法は「痛み」
その効果は痛覚を与える、遮断する、予知する、共有する、増加させる、感知するなど多岐にわたるらしい。
先程はユキの痛みを予知したため、警告をしようとしたが感知するのが遅かったらしい。痛みを感じる前にティーにはそれがわかるらしい。痛みの強さ、感じる対象との距離などによって感知のタイミングは変化する。
そして、他から受ける原因がなくとも痛みだけを発生させ、相手を苦しめることもティーには出来るらしい。手を触れずとも、死にも勝る苦痛を相手に与えられる、とティーは語った。
その後、ユキが受けた痛みは決して自分の魔法が原因ではないとティーは付け加えた。
「恐ろしい魔法ね」
ユキが感想を述べると、ティーは
「そうですね。でも・・・痛いの痛いの、飛んでいけー」
と手のひらをユキにかざしながら陽気な口調で言う。
すると、ユキの舌の痛みはピタリと消えた。
「こんなことも出来ます。」
ティーが笑顔で言った。少年のような笑みだった。
ユキは初めての体験に驚きながら「ありがとうございます」と答える。
ユキは痛みの消えた口内に意識を向ける。
感覚はある。だが歯医者で部分麻酔をした時の感じとは違うような気がした。
舌先の一部だけ違和感がある。舌で歯をなぞる。まるで歯に異物が挟まっているようにも感じるがよくわからない。ユキが思わず傷口を指先で確認しようとするとティーが制止の声を掛けた。
「痛みを消しただけで、傷そのものは残っていますので。安静にしてください。」
ユキは手をハンドルに戻した。
「いつまで効果は続くのですか?」
「完治するまでなら継続しますよ。」
「その後は?」
「治った後、もう一度同じところを怪我した場合、痛みは通常通りだと思います」
「なるほど。永続的に痛みがなくなるわけじゃないのですね」
「望むなら、出来ますけど」
そう答えるティーにユキは「今日は遠慮しておきます」と答えた。
古島の嘘つきアレルギー @PPEI
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