応援コメント

最終話」への応援コメント

  • イカワ ミヒロさんのインタビューエッセイを見て伺いました。

    面白かったです!!!!

    作者からの返信

     ありがとうございます。
     現在視覚神経過敏の症状でネットを離れており、返信遅れました。目の痛みと頭痛がひどく、来週辺りから復帰できればいいのですが……。

  • 鳥肌が立つ作品でした。最終話、最初から最後までゾクゾクしました。物凄い筆力ですね……! もはや野暮な感想は述べられません。ただただ、面白かったです。

    作者からの返信

     お読みいただきありがとうございました! 楽しんでいただけたようで嬉しいです!
     自分としては文章的な無駄を徹底的に削りつつ、書きたいことを書けた……と思っています。
     他の作品も、お時間のあるときにでも読んでいただけたら幸いです。

  • コメントは無しのつもりでしたが、COBRAって! 懐かしすぎる〜(劇場版見に行った)作品は月刊新潮に乗ってそう、凄かった。思わず、いとこのNにコピー送ってしまいました。 でも、思い出したのは池波正太郎ではなく、もう亡くなられた、さいとうたかおの「無用の介」などの一連のリイドコミツクの時代劇。すいません。
     今、文体の研究のつもりで何人もの作家を読み比べているのですが、文体よりも書き手の視線(何に意識が向いているか)に興味を惹かれます。リズム感の違い、手触り(硬質な金属・丸く柔らか・月光のような冷えた湿り等々)同じ日本語なのに印象違いますねえ。感じることはできるけど、何故かはわからない。絵なら、模倣することで気付けることが多いのですが、さて、文章でできるのでしょうか。やっては見ますけれど。

    作者からの返信

     わざわざ感想ありがとうございます! 他の方のコメントまで読んでいただいているとは。
     それと、いくつも読んで欲しい作品を挙げてすみません。時間があればで良いです。
     コブラはコンビニにあった復刻版で読んだのですが、世代を越えた唯一無二の魅力がありますよね~。
     『ゴルゴ13』(これも無二の魅力ある作品です)のさいとう先生の作品をイメージして下さったようで、おそれ多いです(笑)。やはり漫画を描いてこられた方は、小説の画像も漫画のイメージで想像することが多いのでしょうか?
     自分としては実写イメージが多いです。この作品にも、「終了後に画面が暗転してスタッフロール、そこに流れる主題歌」までイメージしてます(その話は別に書いてる随筆で)。

     それと私個人としては、作品を書いている人間やその心理にまでは興味がない、というのが正直なところです。

     作者がどう思って書こうが私が読んだものが全てであり、私がどう思って書こうが読者が読み取ったものが全てである。

     過程などはどうでもよく、斬るか斬られるか。読書も創作もそういうものと思っています。

  • はじめまして。
    斬壺拝見しまし^ ^

    剛佐は満足して果てたのですね。
    何で満足するかは人それぞれ。
    勝ち負けよりも秘太刀を完成させられた事に満足したのですかね。

    剣に生きる人には、そういった自分の道を持っているのかもしれませんね。

    作者からの返信

     お読みいただきありがとうございました!
     奥義を完成させた……というより、全てを出し尽くしたことに満足したのかな、とも思っています。

     裏耕記さんは時代ものを専門に書かれてるんですかね? 私の方は専門というわけではないのですが……また暇なときにでも、別の話も読んでみていただけると嬉しいです~。歴史漫画レビューも1つ書いたのでぜひ。

    編集済
  • 木下望太郎さま、「エンタメ文芸の里」へのご参加、ありがとうございました。
    「斬壺」、楽しく拝読させて頂きました。時代物や歴史物を書かれる方はその文体故か、とても引き締まった作品をものされていて感心致しますが、この「斬壺」も、無駄のないドラマティックな構成と描写に惹かれてワクワク読ませていただきました。一点、読解力不足のため残念にも読み取れなかったのは、最終話で、その直前まで童に圧倒されていた剛佐が最後に秘剣の境地に至ったきっかけは何だったのだろうということでした。ご教示頂ければ幸いです。

    作者からの返信

     読んでいただいてありがとうございます!
     ご質問の、最後に秘剣を使えたことについてお答えいたします(ですが、これは私一人の中の見解です。読まれた方それぞれの解釈こそが真実だと思います……うまいこと解釈していただけるように書けなかったのは、私の至らぬところです)。
     物語の結果として、剛佐は童を圧倒するも、自らは死に、童が生きたわけですが。剛佐自身はそうしようと思っていたわけではないと思います。何なら秘剣を使おうとか使えるとかも思っていたわけではないと思います。

     生や死、勝ちや負けといった全ての執着を手放して「刀と同じ心になったとき、刀の性能を十全に引き出せる秘太刀、それが斬壺」――無論、刀に心はなく、この使い手にも心はない。刀に生はなく死はなく、迷いはなく怒りはなく、斬れるものを斬れるがままに斬る、ただそれだけ――。
     
     たぶん、台詞にすればこのような感じだったと思います。
    「全ては無駄だったのか」「それでいい」「この童には勝てぬのか」「それでいい」「死ぬのか」「それでいい」「生きるのか」「それでいい」「斬るのか」「それでいい」「斬れぬのか」「それでいい」「それでいい――ただ、尽くそう」

     それと(全く表に出してない裏設定として)「斬壺は『最初に触れた物だけ』に全ての力を放出し切って切断する技」「わざとやっているわけではなく、限られた力で最大の切断力を発揮することを目指すとそうなってしまう」というのがあります(なので壺を斬っても台には傷がつかず、衣服を斬っても童に傷はない)。
     剛佐はそれを知っていたわけではないけれど、最後の瞬間にそれを悟った上で、両者の結末を理解し「それでいい」と笑って死んだ――、と、私個人は思っています。

     ……我ながら、そりゃ伝わらないなこれ! だいたい最後には着物と帯を斬ってるので、裏設定とも違ってるしな! 
     ……あくまで私一人の解釈なので、各自の解釈こそが真実だと思います。秘剣を使えた理由は、案外「出がけにマムシドリンクを飲んできたから」とか「朝食にシリアルを山盛り二杯食ってきたんでね」なのかもしれませんね(『COBRA』かお前は)。

    編集済
  • レビュー書かせていただいたので、応援コメントはどうしようか迷っていたのですが、気取ったレビューになったので、どうしても伝えたいと思った部分を書かせてください。

    徹頭徹尾、八嶋剛佐の話なのですが、その中で「童」の才の煌めきが眩しすぎる話になっているな、と感じました。
    ですから最後、剛佐の斬壺が驚嘆すべき技の冴えで、「童」の着物と帯だけを切断し、体には傷一つ付けなかった、と言う結末は剛佐の練り上げた技の見事さと、「童」の剣士として煌めく才を惜しんだ剛佐の、師としての教えの様に読めて素晴らしかったです。

    いいものを読ませていただきました。

    大村冗様のスコップエッセイから来ましたが、うん、大村様の見る目は確かですね。

    ありがとうございました。

    作者からの返信

     レビューも感想もありがとうございます!
     ……システムに慣れてなくてレビュー書いていただいたときのお礼の仕方が分からない……書いていただいた方のマイページにコメントしたらいいのでしょうか……。
     それはそうと、本当にありがとうございます。私も、剛佐から童へと、伝わったものがあったのかな(そして童が晩年になって奥義を成功させたとき、剛佐の気持ちが本当に分かったんだろうな)という気持ちでいます。