第192話 フーリッシュ・クーリッシュ ②

「君を迎えに来たんだって、それくらいのことは言って見せろよ」



 峰岸みねぎし 雅人まさとは自分のアバターの「メルロン」に、ワアロウを睨みつけさせた。


 エターナルリリックのエルフ族は人間よりも小柄な種族であり、さらにメルロンは子供の姿であるため、ワアロウを見上げる形になってしまう。何故だかそれが非常に腹立たしい。そういや何で子供のアバターにしたんだったかな。



「えええ。そんなこと言ったらどん引きされないかなあ」



 煮え切らない奴だ。もしどん引きされたならいいザマだと思うが、残念ながらそれはないだろう。



「できないっていうなら……。いや、意地でもやって貰う」


「でもそれだと嘘つくことになるし……」


「つかなければいいだろ」


「そんな無茶苦茶な。ううん、でもわかったよ。やってみるけど……。でもそういうんじゃないかもしれないよ?」



 ここが現実世界でなくてよかった。物理的に相手を傷つけることが出来る場所でなくて本当によかった。じゃなければきっと殴っている。殴っても許されるのではないかと思ってしまっている。


 冗談ではない。誰が「そういうのだ」などと言ってやるものか。馬鹿馬鹿しい。


 もしも今占ってもらったらどんなカードが出るのだろう。「道化」とかかもしれないな。そんなカードがあるのかどうかしらないが。



「なあメルロン、今度久しぶりに飲みに行こうぜ」



 丁度ゴウが話しかけてきたので、ワアロウの返事は聞き逃したことにした。



「そうだな。久しぶりにそれも悪くないか」


「おー、奢るぞ」


「馬鹿馬鹿しい。余計な気回してんじゃないぞ」


「わーってる、わーってるって」



 二十年来の親友が、いつも通りの何もわかってない顔で笑った。





 タロットに「道化」というアルカナは存在しない。しかしタロット占いでは七十八枚のアルカナを森羅万象の寓意とする為、何らかのカードが「道化」の意味を持つことはありうる。


 逆に、もし「道化」を一枚で表すとしたらどのアルカナが相応しいだろうか。


 当然答えは一つではない。質問者の状況によって、カードの配置によって、アルカナの示す意味は変化する。場合によって「道化」と解釈できるカードも複数存在する。


 だがそれでもこの問いの答えとして、多くの占い師はある共通のアルカナをあげるだろう。一説にはそのカードがトランプの道化ジョーカーの元になったとされているからだ。



 <愚者フール>。



 大アルカナ、ゼロ番目のカードであり、物事の始まりを示すカード。


 奇しくもメルロンがエターナルリリックを始め占い師と出会ったその日。占いの結果の一枚目に逆位置で現れたカード。


 逆位置での解釈は、優柔不断、踏み出さない、ゼロ以下の状態、

 馬鹿馬鹿しいと呟いて、何も変わろうとしないこと。


 正位置の解釈は、出発、始まり、旅人、愚かなふるまい、変わり者、

 馬鹿馬鹿しいと知りつつも、敢えてその道を歩むこと。


 ただしタロット占いにおいては正位置と逆位置は相反するものではなく、互いに重なって両方の意味を併せ持つ。正位置で現れたカードには同時に逆位置の戒めが含まれ、逆位置で示されたカードには正位置の解釈が含まれる。


 一枚目に示された逆位置の<愚者フール>は、その者の本質に正位置の愚者が存在することを意味する。


 逆位置の愚者は決して、変わらぬ日々を送り続けるただの人NPCではない。本当に全てを諦めた者に、諦めたのだと気づかぬ者に、逆位置の愚者は現れない。



 <愚者フール>の逆位置が示すのは即ち「諦めきれぬ者」であり、


 <愚者フール>の正位置とは即ち、物語における「主人公」である。



 ▢▢▢



 他の者達と同じくこのメルロンという男も勘違いをしているようだった。


 迎えに来たとメッセージを送ることを了承しながら、ワアロウは内心でため息をついた。


 万に一つ、彼らの勘違いでない可能性もあるかもしれない。ならば多少の恥はと先ほどは覚悟を決めたが、思わぬハードルを突きつけられてしまった。



「メルロン君、何なんだ君は? 散々悩んだ私が馬鹿みたいじゃないか。君はアレか? イケメルロン君なのか?」


「イケメルロンwwwww ぶははははwwwwwww」



 ギンエイがよく分からないキレ方をして、その後ろでゴウが爆笑した。イケメルロンと言うのはメルロンのあだ名だろうか。



「ああ、ワアロウ殿、コヒナ殿にご連絡される前に少々宜しいですかな? 先ほどは申し訳ございませんでした。いや元々ワタクシ、あのようなこと露ほども思っておりませんでした。全て嘘でございまして、実に心苦しかった。苦しかったので御座います。嫌々ながら申し上げていたのです。それでもあえて無礼を申し上げたのは全てすべて、コヒナ殿の為でございまして、その苦しみ、ご理解いただければ幸いです」


「え、えっ?」



 ギンエイの先ほどまでとは打って変わった態度にワアロウは面食らった。ギンエイが話していることはワアロウが想像していた通りであり、恐らく嘘ではない。


 だが本当のことを言っているだろう今の方が信用できないと感じるのは何故なのか。



「ご理解いただき、ありがとうございます。実はワタクシ、カラムから、ああ、正しくはカラムを通じてヴァンク殿からですな。貴方となごみ家については詳しく聞いているので御座います。貴方のなさったことは実にスバラシイ。流石はコヒナ殿の師匠殿でございます」


「は、はあ……」



 ギンエイが悪い人間ではないのは間違いない。しかし変わり身の早さと奇妙なしゃべり方は少々どころではなく胡散臭い。正直棘のある態度より今の方が不気味だ。


 それになごみ家が素晴らしいというのもぴんと来ない。単に自分や一部のメンバーにとって居心地のいい場所だったというだけだ。


 だが恐ろしい早さで紡がれるチャットにワアロウは言葉を挟むことが出来ない。



「ご存じのこととは思いますが、ワタクシは吟遊詩人。素晴らしい物語には目がないので御座います。ではそういうわけで」



 戸惑うワアロウに背を向けると、ギンエイは道行く人々に向かって大音声を張り上げた。



「御通行中の皆様、お耳を拝借。只今これよりワタクシ、ギンエイ主催のプレイヤーイベントを開催いたします!」



 アバターたちは響き渡った大声に一瞬戸惑う様子を見せたが、声をあげたのがギンエイだと気が付くとがやがやと集まってきた。



「イベントは準備が整い次第スタートいたします。御用とお急ぎでない方は是非お誘いあわせの上、「嘆きの洞窟」、狂った水の精霊前の神殿跡にお越し下さいませ! 尚、このイベントには戦闘を伴います。そのつもりでのご準備をお願いいたします!」



 それを聞いたアバターたちはあるものは仲間同士で相談を始め、あるものは帰還石を使用して飛び立っていく。ギンエイの言う「嘆きの洞窟」に向かったか、準備を整えに行ったのだろう。


 彼らは皆この世界に楽しむためにやって来ている。だからこそ面白そうなことの気配には敏感だ。それはネオオデッセイでもエターナルリリックでも変わらない。彼らとしてはそれが当然の反応だ。


 しかしワアロウには何が起ころうとしているのか一向にわからない。



「ささ、ワアロウ殿。コヒナ殿へのご連絡をお願いいたします。その後はワタクシと一緒に嘆きの洞窟に向かって頂きます。なに、こちらから向かえばさほど時間はかかりませぬ。ああ、道中色々とお聞きしますので、よしなに」



 どうやらこの場ですぐコヒナに連絡を入れなくてはいけない流れらしい。その上で「嘆きの洞窟」という行ったことのない場所へ向かうのだという。


 なるほど。全く話が見えてこない。



「あの、ギンエイさん。あなたは一体何を……」


「ワタクシは勿体ないと思うのですよ。この物語が捻じ曲げられていることが」


「この物語?」


「ええ。となれば何とか捻じれを正したいというのは吟遊詩人さがという物でございましょう。あとはどうやって直すか、ですが。幸い素晴らしいお手本がございましたのでな。その真似をしようというわけです」


「はあ……」



 一向に解決されない疑問に困惑するワアロウへと声を掛けてくれたのはむーちゃんカラムだった。



「大丈夫ですよ、ワアロウさん。コイツは失礼な奴ですけど、結構凄いので」



 ヴァンクの奥さんであるカラムを疑おうとは思わない。だがことは疑う以前の問題だ。



「で、ギンエイ。俺は何をすればいい?」


「ああ、お前にはヴァンク殿と一緒にコヒナさんへの説明を任せる。それとワアロウ殿の護衛に人手を借りたい」


「わかった。ログインしているメンバーに声を掛けよう」



 カラムもワアロウにそれ以上のことを言うわけでもなく、ギンエイの指示に従って何かを始めたようだ。代わりに誰か状況を説明してくれないだろうかと見まわす。メルロンと目が合ってしまった。残念ながら彼が説明してくれるとはとても思えない。


 事実メルロンは忌々しそうにこちらを一瞥すると、帰還石を発動させて何処かへ飛んで行ってしまった。



「む、メルロン君は来ないのか。それは少々……」


「いや、だいじょぶだと思う。すぐ戻って来るんじゃないかな」


「そうかい? だったらいいんだ。メルロン君がいないと締まらないものなあ」



 一瞬勢いが弱まりかけたギンエイだったが、ゴウの言葉ですぐに調子を取り戻す。



「んでギンエイ先生、俺も何かする? つっても大したことできないけど」


「ああ。ゴウ君は知り合いが多いよな? 大手のギルドや配信活動をしているヤツに声をかけてみてくれ。人数は多いほどいい。」


「ほーい。そういうのなら余裕。ギンエイ先生が舞台やるのただで見れるつって断る人いないと思うし。ってか俺がまず凄い楽しみだし」


「君はまたそうやって人をおだてる。困るんだよ、頑張りたくなっちゃうじゃないか。だが期待してくれていい。こんなこともあろうかと思って脚本は既に作ってある。予想外もあったが、なに、舞台にイレギュラーは付き物だからね」


「おおー、凄い。なんか凄く凄そう。了解―。あちこち当たってみる」


「ハイハイ、俺も、俺もやるっす。何すればいいっすか?」


「ああ、ジョ……、じゃなかった。ユダガ君たちにはこの町での宣伝を頼む。私の名前を出して構わない。さっきも言ったが大事なのは人数だ。派手にやってくれ。」


「了解っす。ダージールがいいんすね?」


「ああ、この町には彼女を知っている者も多いからね。占い師コヒナ本人出演の、実話を元にした物語。タイトルは……そうだな、『世界渡りの占い師と百人の勇者たち』。よし、これで行こう」


「うひょ~、やべえ、テンション上がってきた! 了解っす!」



 ユダガは凄い早さで飛び出していった。その後をルリマキがとてとてと追いかけて行く。



「流石に私一人では手が回らないな。裏方はキティに任せるにしても他に劇団から誰か……。お、丁度いい奴らがログインしているじゃないか。後はアイツにも頼んでみるか。「白蛇姫」で一言しゃべってくれというのは断られたがこっちには顔を出してくれるかもしれん」


「白蛇姫? おいギンエイ。アイツってのはひょっとしてアイツか?」


「ああ、話題性としては申し分ないだろう?」



 ワアロウ一人を置き去りに、何かとんでもなく大きなことが動いている。自分の知らない所で話がどんどんと大きくなっていく。


 何だか怖いような気がして、ワアロウは再びギンエイに尋ねた。



「あの、ギンエイさん。ほんとに一体、何をするつもりなんですか?」


「ワアロウ殿。先ほども申しましたがワタクシ、コヒナ殿に大恩ある身でございまして、つまりその師匠であるワアロウ殿にも大恩があるわけでございます」


「はあ……」


「リアルはともかく。ワタクシ、この世界では割と色々なことが出来るので御座います。ああ、それも元を辿ればワアロウ殿のお陰でございますな。改めまして、深く感謝いたします」



 ギンエイは胸に手を当てて、ワアロウに向かって深く頭を下げた。


 一向に要領を得ることが出来ず、ワアロウは曖昧な相槌を打つことしかできない。ギンエイはお辞儀の耐性から首だけを持ち上げるとワアロウを見て、にぃ、と笑った。


 胡散臭いような、それでいて不敵で、自信に満ち溢れていて。


 絶対に勝てないはずの盤面を、たった一騎でひっくり返す。


 そんな大英雄の笑い方。



「つきましては貴方に取り憑きましたその死神。このギンエイが、見事退治てご覧に入れましょう」

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