第190話 勘違いよりも恐ろしいこと

「レナルドさん大丈夫かな。こんなの書いたらまた変な人に目を付けられるんじゃない?」


 二年前、自分がネオオデッセイをやめた後に最年少のギルドメンバーが書いたという匿名掲示板の記事を見た和矢ワアロウはつい心配になってしまう。



「お前はなんでそう過保護なんだよ」


「だってさあ」



 レナルドがそこまで<なごみ家>のことを思ってくれていたのは嬉しい。それだけに子供が些細な失敗で深く傷つく光景は見たくない。


 和矢自身が色々な失敗を通ってきたからこそなのかもしれないが。



「言ってもこの記事も二年前の話だし今更だろ。会わんかったがまだネオデやってるらしいぞ。アイツももう中学生だとよ」


「ええっ、そうなの!?」



 二年。


 和矢にとっても決して短くはないが、レナルドにとってはさらに長い時間だ。子供だと思っていたレナルドも和矢がネオオデッセイを始めたのと同じくらいになっていた。同じ頃の自分となら比べるまでもなくレナルドの方がずっとしっかりしている。



「おう、んでなんつったっけ。お前に絡んで来てたやつ」


「んん、クラウンさん?」


「そっちじゃねえよ。その前だ」


「ああ、ダーニンさんの事?」



 ダーニンはかつてギルドマスターの役目を譲れと和矢ナゴミヤに迫った男だ。真面目な性格で彼なりにギルドを良くしようと必死だったのだが、そこをクラウンに付け入られた。結果としてヴァンク等と対立し、<なごみ家>を去ったのだ。



「そうそう、ダーニン。レナルドはダーニンとこのギルドに入ってよ。今もなんだかんだ楽しくやってるみたいだぞ」


「そっか。それなら安心だね」



 ダーニンは自分の周りにいる者を大切にする。彼がレナルドの側にいるなら心強い。



「ああ、そろそろお話は済みましたかな?」



 長話に焦れたようにギンエイが口をはさんできた。



「あ、ギンエイさん、挨拶が遅れてすいません。うちのがいつもお世話になってます」


「ああ、いや、こちらこそ」



 ヴァンクの丁寧な挨拶にギンエイも頭を下げた。付き合いが会ったのはカラムむーちゃんだけで、ヴァンクとは初対面なのだろう。



「ギンエイさん、ほんと凄いですね。なんで、コイツのこと分かったんですか?」



 ヴァンクの言葉に、しかしギンエイは首を横に振る。



「そんなものワタクシにわかるわけがございませんでしょう。コヒナ殿ですよ。わアロウ殿のことを見抜かれましたのは」


「え? コヒナさんが?」



 思わず声をあげたワアロウに、ギンエイは冷たい表情を向けた。



「左様でございます。ああ、そうそう。わアロウ殿、コヒナ殿の御師匠様に置かれましては、コヒナ殿が何故占いをしながら世界を回られているか、その理由は当然ご存じなのでしょうな?」



 随分もったいぶった言い回しだ。しかも何故か多分に棘を含んでいる。


 コヒナが占いをする理由など和矢は勿論知らない。だがゲームの中で何かをするのなら答えは当然一つしかないだろう。



「それは……。占いが好きだからでは?」


「なんと、なんと。これはあまりにもコヒナ殿が気の毒でございます」



 ギンエイは大げさな身振りで額に手を当てた。


 しかし他にどんな理由があるというのか。現実では思うままに生きることはできないが、ゲームではそれが許される。だからゲームの中では皆、自分がやりたいことをするのだ。少々特殊であっても占いだってそれは一緒だろう。



「ギンエイさん、コイツ馬鹿なんです。あまりいじめないでやって下さい」


まさしくそのようでございますな」



 ヴァンクがフォローを入れるがギンエイはナゴミヤへの態度を崩さない。自分で気づけとばかりに大きく溜息を吐くギンエイに代ってカラムヴァンクが説明を引き継いだ。



「お前知ってるか? コヒナ、一月ごとにゲーム変えて回ってんだぞ?」


「うん。それはユダガさんにも聞いたけど……」


「占いが好きってだけで何でゲーム変えて回る必要あんだよ」


「それは……、わかんないけど。同じとこにいたらお客さんいなくなっちゃう、

 とかじゃないの?」


「おいおい。この世界にどんだけ人がいると思ってんだ?」



 やれやれと肩をすくめるカラムヴァンクの後ろで、ギンエイが再び大きなため息を吐いた。どうやら大きく外れているらしい。カラムにもギンエイにも、その答えは明白なようだ。



「ううん。じゃあやっぱりコヒナさんがそうしたいと思ったからじゃないの? コヒナさんに見て欲しい人はいっぱいいると思うし」



 主人公を導く占い師。コヒナがそうするのを、和矢はすぐ近くで見てきた。世界を渡るようになってからも、もたくさんの主人公たちを救ったことだろう。


 それはあの子に相応しい在り方で、彼女自身がそう在りたいと思ったからではないのか。ネットゲームでは皆、自分のしたいことをするのだ。



「馬鹿、違えよ。お前に会うためなんだとよ」


「俺に? どういうこと?」



 そういえばさっき、ギンエイも同じようなことを言っていた。コヒナがずっとナゴミヤを探していたと。



「コヒナはお前がネオデからいなくなった後、お前はきっと別のゲームを始めるからって、全部のゲームを回って探すことにしたんだと」


 は?


「は?」



 全部? 全部のゲーム?


 数瞬の後意味を理解すると、ええ、と現実リアルの口から声が漏れる。そのままチャットにも書き込んだ。



「ええっ、嘘でしょ!? 」


「嘘じゃねえよ。コヒナが自分でナナシにそう宣言してったんだからよ」


「何でそんなこと……」


「何でって、お前に会いたかったからだろうが」


「いや、そんなのおかしいでしょ。だって、そんなことしたら大変じゃん」


「んだから最初からそういう話してんじゃねえか。大変だったと思うぞ?」


「いやヴァンク、何言ってるの? だって、だってそんなの……」



 和矢は二度とネットゲームに触れるつもりはなかった。どれだけネットゲームの世界を巡ったとしてもそこに自分はいない。ここに来たのは本当にたまたまだ。



「そんなのおかしいよ。だって、だってゲームだよ。もっと楽しいことすればいいじゃない。やりたいことすればいいじゃない」


「それがコヒナの一番やりたかったことなんだろ」


「いや、だめだよ、そんなの。そんなの、辛いじゃない。せっかくのゲームの中でそんなことしちゃ、だめだよ……」



 曲がりなりにもナゴミヤはコヒナの師匠だった。大したことは教えられなかったし勿論いい師匠ではなかったが、それでも一つだけは伝えられたと思っていた。


 ゲームの中では一番自分が楽しいと思うことをしろ。


 エターナルリリックの世界でコヒナに会った時、和矢は心から安心した。そして同時にささやかな誇らしさを覚えた。和矢がネットゲームから離れてしまっても、コヒナは自分なりの楽しみを見つけているのだと。


 二年前の和矢の選択は正しかった。僅かな寂しさは、無視しても構わない程度のものだ。


 だがヴァンクの言うことが本当なら、話はまったく逆になってしまう。



「だってそんなの……。駄目だよ。コヒナさん何でそんなこと……」


「別に駄目じゃねえだろ。コヒナがそうしたかったってんだから。大体な。いくらゲームの中だって言ってもな、嫌なことだってあんだよ。みんなそれも我慢しながらやってんだ。誰も、お前ほど自由じゃねえんだよ」



 リアルの親友によく似たアバターが言う。奥さんのアバターでパンツ一枚でポーズを決めるようなやつにお前は自由だと言われても正直納得がいかない。


 だが、それが本当なら。



「なんでコヒナさんは、僕なんかに会いたいんだろ」


「馬鹿だろお前。んなもん俺が言えるわけねえだろ。コヒナに聞けよ」



 何故。


 その問いにひとつ納得のいく答えはある。 この答えならば筋が通る。


 だがそれは違うのだ。勘違いなのだ。


 ヴァンクは、そして恐らくはカラムやギンエイも大きな勘違いをしている。人は人同士の中に関係性物語を見出そうとする。しかしその多くはただの想像であり勘違いだ。


 コヒナは人との距離を詰めるのが上手い。和矢から見れば危うさすら感じさせる程で、それゆえに和矢自身もしかけた勘違いだ。


 それはあり得ない。NPCたる自分に、特別なことは起こりえない。


 そしてもしも仮にこの答えが正しかったとしても、それもやはり勘違いだ。勘違いをしているのはコヒナだというだけで。



「コヒナさん、多分何か勘違いしてるんだと思うんだ」


「だから知らねえって。コヒナに言えっての」


「レナルドさんもそうだよ。俺はレナルドさんが思ってるみたいに凄くない。優しくもない。怖かっただけなんだ。巻き込むのが怖かっただけなんだよ」


「んだからそうなんだろ? レナルドもそう書いてるじゃねえか。巻き込まないようにしたんだろ?」


「かいかぶりだよ」


「そうでもないだろ」


「違うんだ」


「違わねえよ」


「僕が壊したんだ」


「お前が守ったんだろ」


「会う資格なんてないんだ」


「それでも会いたいんだとよ」



 一つ一つ、逃げ道が潰されていく。過去に犯した罪があらわになり、その清算を迫られていく。



「そもそもお前こそなんかとんでもねえ勘違いしてんじゃねえか? お前がしょうがねえ奴だなんてこと、ギルドのメンバーなら全員よく知ってるよ」


「酷いこと言うなあ」



 確かにそれはその通りだ。入りたいというなら拒まない。出ていきたいなら引き止めない。なごみ家というギルドはそういうギルドだった。ただただ好きにやってきた。<なごみ家>に長くいる者達は皆、それでもいいと言ってくれた人たちだ。


 その中にはコヒナだって含まれている。



「なんでコヒナさんは俺が俺だってわかったんだろ?」


「お名前でしょうな」



 問いに答えたのはヴァンクではなくギンエイだった。



「あれだけ必死の想いを向けられながら、お気づきでないとは情けない。何度も名前を呼ばれたではありませぬか、わアロウ殿」


「あ……」



『わアロウさん~、私はあと五日間、この世界にいます~。何かございましたら~』



「ようやっと、ご理解いただけたようですな? ご自身が何をなさったのか」



 返す言葉もない。ギンエイが自分に腹を立てていた理由がやっとわかった。


 NPCである和矢に、特別なことなど起きない。それを忘れたわけではない。


 それはとても恥ずかしい勘違いだ。勘違いで恥をかくのは恐ろしいことだ。


 だがもしもその勘違いがほんの少しでも合っているのなら。いや、なんだったら少しも合っていなくたって構わない。その可能性がほんの僅かにでもあるのなら。


 恥をかくことはそれほど恐ろしいことか?


 なんのことはない。恥の多い人生に一つ恥が加わるだけの些細な話じゃないか。


 それよりももっと、もっと、とてつもなく大きくて恐ろしいことが他にあるのではないか?


 例えば、ずっと会いたいと思ってくれていた人の必死の呼び声に、背中を向けて歩き出すような。



「さて、それでは師匠殿に置かれましては、今後どうなさるおつもりですかな? コヒナ殿がどの世界に向かわれたのかはわかりませぬ。ワタクシとしましては、貴方には全ての世界を回って探していただきたいくらいに思っているのですが」



 それで許されるならば構わない。だが、いま必要なのは自己満足ではなく早急な行動だ。



「リアルの連絡先を知っています。とりあえずそれで謝ってみようかと思います」


「なんと、ならば仕方ない。それで妥協いたしましょう。ああ、偶然ではございますが、ワタクシの手元にこんなものがございます」



 そういってギンエイがワアロウに何かを押し付けてくる。受け取ったワアロウは、和矢は思わず息を呑んだ。なるほど、ヴァンクが、むーちゃんが凄い人だというだけのことはある。



「エターナルリリックの、一日分のログインチケットでございます。コヒナ殿に謝るとおっしゃるなら、コヒナ殿があなたを待っておられたこの場所で、が筋でございましょう」


「ありがとうございます。ギンエイさん」


「ああ、礼は結構。ワタクシ、コヒナ殿には大恩ある身でございます故。あなたの為ではございませぬ」



 頭を下げるワアロウに、やはりギンエイの態度は変わらない。



「ワアロウさんすいません。こんないい方してますが、悪い奴じゃないんですよ」



 いつの間にか鎧を着ていたカラムが苦笑いする。中身がヴァンクからむーちゃんへと変わったらしい。だが悪い奴じゃないどころの騒ぎではない。恩人と言っても過言ではあるまい。



「はい。ありがとうございます」



 もう一度頭を下げたワアロウをみて、ギンエイがふんと鼻を鳴らした。



「カラムさんもありがとうね」


「ううん。ごめんねワアロウさん。もっと早くに気づければよかったんだけど。うちの人が一緒のギルドだったってわかった後も、コヒナさんがいる時に限ってうちの人いなくってさ。ほんと呪われてるんじゃないかって思ったんだけど。でもそうじゃなかったのかも。早くコヒナさんに連絡してあげて」


「はい。そうします」


「ああー。カラム。ええと、カラムだよな? 」


 ヴァンクからカラムへと戻ったカラムにギンエイが遠慮がちに声をかけた。


「なんだ、改まってどうした、ギンエイ」


「一つ確認なんだが。カラム、お前は……。いや、君は……」



 言いよどむギンエイに、カラムが笑って答えた。



「どうした、お前らしくもない。俺は俺だよ、ギンエイ」



 ■■■


「ちょっと待って下さい、ギンエイ先生、カラムさん」


 携帯からコヒナにメッセージを送る為、和矢はパソコン画面から目をそらそうとしたが、そこでワアロウらの話の成り行きを見守っていた一人のアバターから「待った」が掛けられた。



「俺は納得がいかない」



 その言葉を受けたギンエイは無言で目を瞑り、天を仰いだ。



「おー、マジかよ。こうなるのかあ。これは予想しなかったなあ」



 やはりずっと黙って話を聞いていたゴウがぼそりと呟くと、ゆっくりと歩いて「待った」をかけたアバターの後ろに回った。


 それに無言でとてとて、とルリマキが続く。



「あちゃあ。んん~~~~! ワーロウさん、ゴメンっす!」


 僅かな逡巡を見せた後、ユダガもそれに倣う。


 自分たちは、こっちにつく。まるでその意志を示すかのように、ワアロウをこの場に連れてきた三人が一人のアバターの後ろに立つ。



「俺はアンタを認めない」



 メルロンと言う名のエルフ族の少年が、そのアバターの向こうにいる人物が、ワアロウをまっすぐに睨みつけていた。

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