第188話 世界を、時を、理をこえて ④

「この間な、ネオデに行ってきた」


「そっか」



 カラムというアバターに、和矢ワアロウは簡単な相槌を返した。


 カラムの中にいるのは現実リアルでもゲームネオデでも悪友だった男、孝明ヴァンクなのだという。



「ナナシに会ったぞ」


「うん」


「ギルド、解散したんだってな」


「うん。ごめんよ」


「何で謝んだよ」



 ヴァンクは和矢が<なごみ家>を解散する直前にネオオデッセイを引退した。


『すまねえな、ごたごたしている時によ』


 最後の日にそう言ったヴァンクに、和矢ナゴミヤは気にするなと答えた。大丈夫、まかせておいて。むーちゃんによろしくね。だというのに、結局ギルドを解散することしかできなかった。



「うん。ごめんよ」


「返事になってねえよ」


「うん。ごめん」


 ワアロウの返事に、カラムはやれやれと肩をすくめた。すくめるまでに間があったのは、アバターの操作に慣れてないからなのか、それとも言葉通りに呆れたからか。


「ナナシはお前がアバター消したと思ってるぞ」


「うん。そうだね」



 彼女がそう思うように仕向けたのは敢えてのことだ。


 ネオオデッセイのフレンドリストは、ログインしているフレンドが白で、していないフレンドはグレーで表示される。


 ずっと白にならない名前は、彼女のギルドメンバーの名前と同じように、いつまでもいつまでも彼女を傷つけてしまう。


 ナナシだけではない。他のナゴミヤをフレンドに登録している者達も同様だ。ナゴミヤの名前を思い出すたびに傷ついたり、嫌なことを思い出したりするだろう。他でもないナゴミヤであった和矢自身がそうなのだ。


 それならいっそ、<なごみ家>だけでなく、<ナゴミヤ>もこの世界から消してしまえばいい。そうするべきだ。


 あの寂しがりのナナシのことだ。ナゴミヤが消えたと知ればきっと辛い思いをすることだろう。それでも目にすることが無くなれば、きっと少しずつ忘れてくれる。延々と苦しめるよりはいいはずだ。


 だから、和矢は<ナゴミヤ>を消すことを決めた。



「アバター、消そうと思ったんだよ」


「そうか」


「でもできなかったんだ」


「そうか」


「だって、<ナゴミヤ>を消したら、ロッシーが消えちゃう」


「そうだな」



 ロッシーは<ジャイアントストラケルタ>という恐竜とダチョウを足して二で割ったような大型の騎乗生物であり、ナゴミヤの相棒である。


 大学時代からの付き合いであるヴァンクよりもはるかに長い時間を、ナゴミヤはロッシーと共に過ごしてきた。


 遠い昔、ナゴミヤがテイムしたことにより、ロッシーはナゴミヤの所有物となった。ロッシーの情報はナゴミヤと紐づけられた。つまりナゴミヤが消えれば、ロッシーは消えるのだ。


 勿論ロッシーはデータに過ぎない。ロッシーに魂はない。ロッシーはただの、NPCに過ぎない。


 ナゴミヤが消えるのはいい。そうするべきだ。そうしなくてはならない。しかし和矢には、どうしても、どうしても、ロッシーを殺すことができなかった。


 かわりにナゴミヤはフレンドリストをすべて削除した。


 一人ずつ、一人ずつ、思い出と絆を切り裂いた。


 こうして自殺を偽装する中で、引退を宣言したもうこの世界に来ない二人—ヴァンクとハクイ—のことは、リストから削除する必要がないのではないかと、甘えた。



「消すつもりだった。消えるつもりだったんだ」


「そうか」


「ちゃんと消すつもりだったんだよ」


「おう。ロッシーに感謝だな」


「ごめん」


「んだから謝んじゃねえよ。でも次にログインした時、ナナシにはしっかりワビ入れとけよ」


「……うん」



 答えはしたものの、和矢がネオオデッセイにログインすることはもうない。ましてやナゴミヤとしてログインするなどということは、アバター自体が残っていても絶対にない。そこは孝明ヴァンクもわかっていることなのだろう。



「それよりお前、ネオデやめた後のことってどれくらい知ってるよ?」


「ううん。なにも。できるだけ見ないようにしてたから」



 当時、<なごみ家>は大きな悪意に曝された。そしてそれをはるかに超える大きな悪意が、<ナゴミヤ>個人に向けられていた。


 名前も知らない人々が、こぞって自分を悪だと騒ぎ立てる。中には極悪人ナゴミヤの現実の住所を割り出そうとするものまでいたのだ。幸い実際に特定されるようなことは無かったが、それでも現実の自分をデリートしたくなるほどの恐怖だった。



「そらそうか。んじゃちょっとこれ見て見ろよ」



 カラムヴァンクがURLを表示させる。おそらく当時のまとめ記事か何かなのだろう。正直あまり触れたくはなかったが、これも義務なのかもしれない。


 仕方なく表示されたページへと飛んだ。



 ■■■



『ナゴミヤってやつ、ネオデやめたんだってな。お前らすげえよ。寄ってたかって、プレイヤー一人追い出したんだもんな。騙した奴がわるい、騙されたんだから仕方ない、ってな。知らねえ話で良く盛り上がれたな。 ちょっと真似できねえわ。マジ最高。さて今度は誰にすっかな。ログインして最初に会った奴でいいか。んじゃお前ら、次もよろしくな』



 □□□



「んん? なにこれ?」



 恐らくは<なごみ家事件>の元になったものと同じ掲示板への書き込みなのだろう。一見、世間の反応を見て愉悦に浸る真犯人の自供に見える。


 しかしそれはありえない。あの事件は、ナゴミヤに対する強い恨みが発端なのだ。犯人が自らの存在を明かすわけがなく、それどころかこの書き込みは「善良な一般プレイヤー」を断罪すると同時に、ナゴミヤが無罪であることを主張している。



「元記事は削除されてるけどよ。まあ探せば出てくる。これ、誰が書いたと思うよ?」


「ええ……。そんなの……」



 特定掲示板の書き込みを誰がしたかなどわかるはずもない。だが、この人物は恐らくは<ナゴミヤ>の味方。そして、正義感の強い人物。ヴァンクとナゴミヤの共通の知り合い。



「あ、もしかしてリンゴさん?」


「おう。アタリだ」



 なるほどそう思ってみると彼女らしい文章だ。やりすぎの感はあるがそれもまたリンゴらしい。



「この投稿信じた奴、結構いるらしいぞ」


「……。そうなんだ」



 和矢がなすすべもなく逃げていた間、リンゴは代わりに戦ってくれていたのか。あのおそろしい怪物悪意と。



「んで、こっちが別の奴の書いたヤツな」


「ええ、まだあるの?」



 別の奴と言われても、リンゴ以外に匿名掲示板に書き込みをするような人物に心当たりがない。


 だが示されたURLに飛んでみるとすぐにその疑問は解消された。思わず、ふふ、と笑いが起きる。その書き込みの出だしはこんな一文から始まっていた。




『みなさんこんにちは。僕の名前はレナルドと言います』


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