第187話 世界を、時を、理を超えて ③

 ダンジョンで知り合った<ユダガ>と言う名の酔狂なプレイヤーと、その友人二人に助けて貰って目的の町へとたどり着いたナゴミヤは翌日、そこで懐かしい人を見た。


 名前も姿も以前のまま。宝物だと喜んでいたつばの広いマギハット。自分がデザインしたものに似せて作られたドレス。耳に付けられた大きなピアスをはじめとする沢山のアクセサリー。


 それらはあの時と同じものではない。彼女の身体ですら自分の知っている彼女の物とは違う。でもそこにいるのは間違いなく同じ人だ。


 向こうからはこちらのことはわからない。だから昔のように呼んで貰えるはずはない。そんな大それたことは望まない。会えただけでも十分過ぎる。


 まだネットゲームを続けてくれていた。そのことが何より嬉しい。


 ありがとう、僕の弟子。<ナゴミヤ>と言うアバターが、あの世界にいた証。


 久しぶりに会ったかつての弟子のコヒナはたくさんの友人に囲まれていた。きっと聞くまでもないことなのだろう。この質問は自分の満足の為だ。


「コヒナさんはこうして占いするの、楽しいですか?」


 コヒナはリアルの彼女の様な満面の笑みで答えた。


「勿論です! とても楽しいですよ!」


 そうか。それはよかった。


 新しい世界を歩む彼女にもう師匠はいらない。そもそも彼女には初めから不要だった。なのに楽しくて居心地がよくて、ついつい長い時間居座ってしまった。そして最後には。


 ギンエイというアバターに会うという目標は達成できたし、思いもよらない幸運に恵まれた。これ以上彼女の邪魔をするつもりはない。


「わアロウさん~、私はあと五日この世界にいます~。何かございましたら~」


 一見の「お客さん」に向かって笑顔で言う彼女に軽く手をあげて、ワアロウはエターナルリリックの世界を去った。



 ■■■



 その日、持ち帰ってきた仕事を片付けた頃には夜の十二時を回っていた。以前はここからが和矢のささやかな楽しみの時間だったのだが、その習慣は絶えて久しい。


 今日が—もう昨日になるが—コヒナがエターナルリリックにいる最後の日だったはずだ。未練がましくもついつい数えてしまっていた。既にコヒナはあの世界を去ったということだ。


 ユダガの話ではコヒナは一月ごとに世界を変えてそれぞれの世界で占い師をしているのだという。また次の世界で勇者たちを導くのだろう。


 そこが何処かはわからない。きっと二度と会うことはない。


 そう思うと。


 懐かしさとか、楽しさとか、後悔とか、不甲斐なさとか、苦しさとか、やるせなさとか、結局全部自分のせいなんだとか。思い出したい、思い出したくない、それが全部入り混じった大きいのに空っぽな感覚。


 この言葉にできない感情を解消する手段を、和矢は持ち合わせていなかった。


 その代償行為なのだろう。


 彼女は既にあの世界を去った。ならば邪魔になることもあるまい。彼女のいた町を歩いてみるのも悪くはないか。どうせ特にすることもないのだ。自分に言い訳をすると、和矢は無意味な行動をとるためにエターナルリリックを立ち上げた。



 □□□



 ダージールと言う大きな町の裁縫屋の前。


 吟遊詩人のギンエイ、現実の友人によく似たカラム、世話になったユダガの友人のゴウとルリマキらを始め多くのアバターが集まっていた。彼らは皆コヒナの知り合いだ。ひょっとすると旅立つコヒナを見送ってくれたのかもしれない。


 先日コヒナを見つけたこの場所は、別の世界の別の町、二度目にコヒナに会った所とよく似ている。あの時は本当にびっくりしたな。なんせ突然『師匠になってくれませんか』だ。


「遅かったですな、わアロウ殿。もう来られないのかと思いました」


 ワアロウを見つけたギンエイが声をかけてくる。カラムやユダガ達もこちらに気が付いて挨拶してくれた。ワアロウもそれぞれに返事を返す。彼らは皆コヒナの知り合いだ。あまり親しくはしない方がいいだろう。


「残念ながらコヒナ殿は既に旅立ってしまわれましたぞ」


「……そうですか」


 わかっている。だから来たのだ。ギンエイには占い師に会ってみたいと言ってしまったので気にしてくれていたのだろうか。そう思ったがギンエイはワアロウの返事に満足しなかった。


「ふむ。それだけ、ですかな?」


 どうしろというのか。それは残念です、とでも言えばいいのだろうか。だが当然そんなことは言えない。彼女は自分の意思で旅立ったのだから。


「それだけ、とは?」


 和矢はよく知らない相手とチャットで話す時には冷たさを感じさせない文面を意識する。チャットには声の調子による情報は乗らないため、よほど親密な間柄でなくては誤解が生じる可能性があるからだ。だがこの時は意図的に自分のルールを無視した。親切からなのかもしれないが、ギンエイの態度は正直鬱陶しい。

 和矢としてはかなり強く拒絶を示したつもりだった。だがギンエイは怯む様子も見せず、同じ質問を繰り返す。

「コヒナ殿は既に旅立たれました。もうこの世界にはおりませぬ。ひょっとすると、もう戻っては来られないのかもしれませぬ。なのに、それだけなのですか、と申しているので御座います」


「……どういう意味でしょうか」


「おい、ギンエイどうした。何のつもりだ?」


 ギンエイの隣にいたカラムが諫めるが、ギンエイはそれも無視した。


「本当にわからないのでございますか、わアロウ殿? あなたの弟子のコヒナ殿のお話をしているのでございます」


 ざわり。


 全身が泡立つ様な恐怖。そんなわけはない。アバターから別の世界のアバターを特定する手段などない。


「何のことかわかりませんが」


「わからぬことなど御座いませんでしょう。あなた自身のお話でございますよ、わアロウ殿。いえ、いっそこうお呼びしましょうか。コヒナ殿の師匠、ナゴミヤ殿、と」


 失敗した。どうやら何かをやらかしたらしい。それは理解した。


 だが何処をどう失敗したのか見当もつかない。一つ確かなのはこれは罰だということだ。来るべきじゃなかった。どうすればいい。あの子を巻き込まないためには、あの子が自分とは無関係だと証明するにはどうしたらいい。


「えっ、ワーロウさんがナゴミヤさんなの?」


 和矢が言葉を選んでいる間に声をあげたのはギンエイを諫めようとしていたカラムだった。


「ああ、間違いない。この男がお前の言っていたナゴミヤだ。コヒナさんがずっと探していたコヒナさんの師匠だ。よもやコヒナさんがいなくなってからおいでになられるとは」


「コヒナさんが探していた?」


 メルロンと言う名の、ユダガらと一緒にいたエルフ族の子供型アバターが呟いた。この人もコヒナのことを知っているのだろうか。だがギンエイが何を言っているのかわからないのはワアロウも一緒だ。


 探していた?


 それはおかしい。理由がないのはひとまず置いて、そもそも理屈に合わない。


 コヒナは確かにかつて自分の弟子だった。だがそれはこの世界での話ではない。ワアロウはたまたまこの世界に来ただけだ。エターナルリリックの中でナゴミヤを探しても見つかるわけがない。


 まっすぐに、睨むようにこちらを見るギンエイは、一体何を知っていて、一体何を勘違いしているのだろう。


「ギンエイ。何か考えがあるんだろうが変わってくれ。俺はその人に恩がある」


 再びギンエイとワアロウの間に割って入ったのはカラムだった。ワアロウにはこの世界で誰かに感謝されるような覚えがない。いや、ナゴミヤと言う名前に反応していたということは、もしかするとネオオデッセイの知り合いだろうか。それならばコヒナのことを知っていてもおかしくはない。


 カラムはギンエイの返事を待たずワアロウの方を向くと、旧友に似たごつい顔に笑みを浮かべて話しかけてくる。


「ええと、ワアロウさん、って呼んだ方がいいでしょうか。私です。むーちょです。ご無沙汰しています」


「あ、どうも……」


 むーちょ? ネオデの知り合いにそんな名前のアバターがいたか? だがダンジョンで出会った冒険者に手当たり次第に声をかけていたような時代もあった。そのうちの一人だろうか。


「今、主人に代りますね。ワアロウさんと話したがってるので」


「は、はあ……」


 なんだ、一体どういうことだ。混乱しているのは和矢だけではないらしい。


「ん? 主人?」


 カラムの大きな体の向こうで、さっきまで邪魔だそのでかい図体をどけろと喚いていたギンエイがぼそりと呟くのが聞こえた。


 カラムは少しの間動きを止めた後、再びにやり、と笑みを浮かべてワアロウを見る。


「おう、久しぶりだな、ナゴミヤ」


「えっ?」


 カラムのさっきまでとは違う特徴のあるしゃべり方が、旧友に似ているという印象を、瞬く間に旧友の面影へと変化させていく。


「待ってろよ。もっとわかりやすくするからよ」


 そう言うとカラムは身に着けていたプレートメイルを外しだした。鎧の次にはシャツも脱ぎ去り、最後にはとうとうズボンまで脱いでしまう。


「あー、トランクスタイプかよ。しっくりこねえな」


 常識を守る最後の砦にケチを付けながら、カラムはその大きな体で様々なポーズを取り出した。現実でもゲームの世界でも、こんな人物に心当たりは一人だけ。


 正に圧倒的なアイデンティティー。


「え、ヴァンクなの⁉」


「おう、当たりだ。俺だよ」


 言いながらカラムが胸の筋肉の強調して見せつけてくる。サイドチェストというポーズだ。全く興味もなかったのに、この男と付き合ううちにいつの間にか名前を憶えてしまった。


「ん? んんん??」


 続いてダブルバイセップスのポーズを決めるカラムの向こうで、ギンエイが再び首を捻っていた。

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