第186話 世界を、時を、理を超えて ②
<ギンエイの詩集め>のメンバーの一人カガチが、子供が生まれるからという理由でエタリリの引退を宣言した。このことは妊娠中にエタリリを始めて当然のように出産後も続けていた夢千夜にとっては驚きと同時に後ろめたさのような物を感じさせた。
子供とエターナルリリックは天秤にかけられるようなものでは勿論ない。だが子供がいるからやめなくてはならないと考えたこともなかった。後になって思えばこのこと自体、夫の孝明のおかげだったのだろう。
急に不安になった夢千夜は孝明に相談してみたが、やめる必要はないとのことだった。それどころか孝明自身が自分のしていたゲームをやめた後も、夢千夜には続けるよう勧めてきた。孝明は夢千夜を自分の地元まで連れてきたことに引け目を感じており、夢千夜がエターナルリリックと言う一つのコミュニティーを持っていることに安心感を持っていたようだった。
孝明は夢千夜のエタリリでの生活に興味を示さなかったし、夢千夜も孝明のやっているゲームの事には干渉しないよう気を付けた。息子の
だからその日、夢千夜がいつもは自分の部屋でするエターナルリリックを居間でやっていたのも、孝明がその画面を見たのも、唯の偶然だったのだ。
エターナルリリックの夢千夜のアバター<カラム>には変わった友人がいた。最初に会ったのは二年も前になるが、彼女と一緒に過ごした時間は実はそれほど多くはない。彼女は一月ごとにログインするゲームを変える。そしてそれぞれの世界で占い師として生活しているのだという。もちろんここエターナルリリックの世界でも同様だ。
彼女の占いには自分も助けて貰ったことがあったし側で見ていても面白い。影響されて夢千夜は自分でも一組のタロットカードを購入した。その友人に教えてもらいながら占いの勉強をしていたのだが、ある時ひょんなことから夢千夜がその友人を占うことになった。
出たカードについて友人に解説してもらいながら一緒に暗示を解いていく。そういう楽しい時間になるはずだった。しかしタロットは時に、占う方にも占われる側にも思いもよらない真実を暴き出す。
一枚目、≪
二枚目、≪
三枚目、≪
並んだカードを読み上げてしまってから、暗示を解こうと改めて一枚目を見た時に思い出した。
真っ赤なハートに三本の剣が突き刺さった絵が描かれている。それはつい最近、カラムが占い師と共に見たカードだった。
一枚目に来る
外れていれば問題なかった。自分は彼女とは違う。占い師ではない。カードを並べただけの素人だ。だから問題ないはずだった。
だが。
「あははは~~」
チャットだけでそう笑う占い師は、明らかに普段と様子が違っていた。
当たっているのだと、彼女には傷があるのだと気づかずにはいられなかった。
一枚目のカードは過去のことや質問者の本質を表すのだという。ならば傷はきっと彼女を構成する根本の一つで、ひょっとしたら今はもうそういう物なのだと慣れてしまった彼女の奇妙なプレイスタイルの理由につながるのではないか。
ここから先に踏み込むことは許されるのか。それ以前にそんな大それたことなど自分には。
「ただいまー」
孝明が帰ってきたのは正にその時だった。突発で入った仕事で朝から留守にしていたのだ。
「おかえりなさい。ごめん、いまちょっと」
「ああ、いいよいいよ」
立ち上がりかけた夢千夜を片手で制した孝明が、パソコンの横に並べた三枚のカードに気が付く。
「ん、それ、もしかしてタロットカードか?」
「あ、うん。よく知ってるね。友達でゲームで占い屋さん出してる人がいて……」
「占い屋?」
珍しく興味を持ったようで、孝明はパソコンの画面をのぞき込む。そして驚いたように、画面の中にいる占い師の名前を口にした。
「……コヒナ?」
■■■
コヒナの元気がない。それがギンエイの最近の気がかりだった。
切っ掛けらしきものには心当たりがある。ユダガ達が連れてきたワアロウという男だ。
コヒナは基本、モンスターやアイテムと言ったこの世界の固有名詞を覚えない。なんとかこんとかで済ませるか、あるいは自分で考えた適当な名前で呼ぶのが常だった。
コヒナが<何とかグリーン>と呼ぶ染料を特定しようと苦労したのは懐かしい思い出だ。
だがこの世界の固有名詞の中で一つだけ、コヒナがしっかりと覚えて間違えないものがある。
それは「アバターの名前」だ。
占いの間は呼びかけるように何度も相手のアバターの名前を出すし、一度訪れた客に関しては前回の相談内容を覚えていてその後の経緯を聞いたりしている。数か月も前の相談についてもしっかりと覚えているのには驚かされた。
そこまでする理由を聞いてみた所、返ってきたのは「占い師なので~」という何とも彼女らしい答えだった。確かに占い師はモンスターの名前など覚える必要がない。それより顧客管理の方がよっぽど重要だ。理屈ではある。だがそれを実践するのはまた別の話だろう。
まあ間違えないとは言っても「メルロン」のようなごく一部の例外はあるのだが。
ちなみにこの例外が起きた時のコヒナの挙動不審度はすごい。ごまかすためまず口数が数倍に増える。酷い時には同じ言葉を何度も繰り返す。チャットログを流そうとしている意図が丸わかりだ。そしていつも以上にこちゃこちゃと落ち着きが無く動き回る。これが誰かが別の話題を切り出すまで続くのだ。
だがワアロウに会った時のコヒナは違った。
『わアロウさんとおっしゃるのですね~。何か御用でしたか~?』
『わアロウさん~? 大丈夫ですか~?』
『わアロウさん~、私はあと五日間、この世界にいます~』
わアロウ、わアロウ、わアロウ。
何度も、何度も、コヒナはワアロウの名を間違えて呼んだ。まるで、それがワアロウの本当の名前だとでもいうように。
その日からだ。コヒナの様子がおかしくなったのは。
おかしくなったとはいっても普通の、他の人間が操作するアバターと同じようにしゃべるし動く。話しかければ返事もするし、客が来ればにこにこと応対する。彼女をよく知るものでなければ気に留めることもないだろう。
だがそこに、普段の彼女のまるで実在する人間のような生き生きとした精彩さはない。
ギンエイにしてみればまるで別の誰かが「コヒナ」を真似て「コヒナ」を操作しているような違和感を覚える。
カラムという付き合いの長いアバターが神妙な面持ちで切り出してきたのはそんな折だった。
「ギンエイ、話がある」
「なんだ改まって気持ちの悪い」
「茶化すな。真面目な話だ。コヒナさんなんだが、元気がないだろう?」
「……ああ、そうだな」
ワアロウとコヒナが会った時にはカラムはいなかったが、カラムは見た目によらず繊細なところのある男だ。コヒナの異常に気が付いてもおかしくはない。
だが続くカラムの言葉は予想外のものだった。
「あれ、俺のせいなんだ。俺が占いをしてあの子の地雷を踏んだ」
「占い? どういう意味だ。詳しく説明しろ」
「そのつもりだ。長くて気分の悪い話になるが付き合ってくれ」
そう言うとカラムは黙り込み、代わりに個人チャットにメッセージを入れてきた。周りには聞かれたくない話ということだろう。
『これはうちの人から聞いたんだが』
この男は自分の妻のことを「うちの人」と呼ぶ。妙なこだわりだ。ギンエイも最初は違和感を覚えたが付き合いも長くなり、いつの間にか慣れてしまった。
『お前、<なごみ家>って知ってるか?』
『なごみ家?』
ギンエイは反射的になんだそれはと返しかけて、直後にしばらく前に別のネットゲームの世界で起きたとある事件を思い出した。
『なごみ家というのは、あの<なごみ家事件>のなごみ家か?』
ネットゲームで出会った知り合いから暴行を受けた。それをこの場を借りて告発する。
そんなネットの書き込みに端を発する、エターナルリリックとは別のゲームの中で起きたとされる事件である。
SNSで取り上げられて広がったため、当時はネットゲームをしていれば嫌でも耳に入ってきた。
ネット掲示板の書き込みから始まったこの事件はネットの中だけで完結しており、現実でどのような結果になったかは全く分からない。そもそも被害者というのが本当にいたのかすら怪しいという、今となっては都市伝説のような事件だ。
この事件の加害者とされる人物の名が<ナゴミヤ>であり、ナゴミヤがマスターを務めていたギルドが<なごみ家>だったとされている。
事件については当時様々な噂が飛び交った。だが他の多くの噂と同様、個人の思い込みやその思い込みから発生した思い込みがほとんどであり、正確に何が起きたのかを知る者はいない。
最初の書き込み自体がデマだったというものもあれば、デマだという話の方がデマであり、不都合な真実を隠すために作られた話だと主張する者もいた。<なごみ家>は裏社会と通じていて告発した女性は殺されたのだという話まである。
ここまでくれば信じる者は少ないだろうが、他にも様々な噂が飛び交っており真実はわからない。実際にその事件に触れていないものがどれだけ推理を働かせても、それは妄想に過ぎないのだ。
コヒナの元気の話から、何故そんな事件へと話が飛ぶのか。まさか、コヒナがあの事件の被害者だ等と言い出すのじゃないだろうな。
だがカラムはギンエイの嫌な想像の斜め上をいく大きな爆弾を落としてきた。
『知ってるなら話が早い。コヒナさんは<なごみ家>だ』
『おい、ちょっと待て。それは間違いないのか? 根拠はあるんだろうな?』
まさかの加害者の側。勿論噂通りという話ではないのだろう。だが何があってそんな噂が飛び出して、何故それをカラムが知っている。
しかしカラムはここにもう一つ、特大の爆弾を放りこんできたのである。
『間違いないし根拠もある。うちの人は<なごみ家>だ』
□□□
その日カラムはコヒナに占いを教わっていたのだという。
丁度そこに帰ってきたカラムの奥方がコヒナの姿を見たことで、彼女の過去が明らかになった。
カラムの奥方とコヒナはかつて同じゲームで友人同士であり、ギルド<なごみ家>の仲間であった。おかしなメンバーが集まる、楽しいギルドだったという。コヒナはそのギルドマスターであったナゴミヤを師匠と呼び慕っていた。
しかし事実無根の書き込みとその後に続く悪質な嫌がらせによってギルドは解散に追い込まれ、ナゴミヤはアバターを消去してしまった。
それが<なごみ家>事件の真相だというのだ。
その後コヒナは、慕っていたナゴミヤがどこか別のゲームに現れるという自身の不確かな予測の下、様々なゲームの世界を渡り歩く旅を始めたのだという。
だから彼女はずっとこの町を動かなかったのだ。他の世界でも同じことをしていたのだろう。以前<なんとかグリーン>を探した時にも見たように、同じ服装を同じ色に染め上げて、ナゴミヤが自分を見つけてくれるのを待っていたのだ。
だが。
『なあカラム。正直なところお前、コヒナさんはこのやり方でナゴミヤという奴に会えると思うか?』
『……お前はどうなんだ』
『……そうだな』
答えはノーだ。
ギンエイは以前、ネットの中傷を理由に引退を考えたことがある。あの時メルロンが自分に話しかけてこなければそれは実行されていたはずだ。中傷といっても内容は大したことではない。「最強ではない」と言われた。それだけのことで、だ。
ネットから放たれる不特定多数の悪意に曝される恐怖は想像を絶するものがある。それはまるで世界そのものの意思に責められるような感覚。
巨大な悪意の前に自分は、小さく、小さくなっていく。
気の毒だがナゴミヤは恐らく二度とネットゲームに触れることはできまい。
『占いもそういう結果だった。それからなんだ、コヒナさんがおかしくなったの』
カラムの話は納得がいく。ワアロウの件は自分の勘違いだったか。時期が同じだったというだけだ。
わアロウという呼び名も、ただの予測変換か何かの…………。
……………………………………。
「わアロウ!」
「え? ワーロウさん? どうした急に?」
そうか、アイツだ。アイツがナゴミヤだ。
ナゴミヤは戻ってきたのだ。コヒナの願い通りに。
だがあと一歩。二人は互いに相手に気が付き、互いの為にそこで止まった。
なんてことだ。応援したくなる。助けたくなる。これは自分の性分だ。
ああ、ああ。だが、畜生。
僕は一体、誰を応援したらいい?
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