第184話 訳アリの勇者⑤

 <今日はごめんなさい。でも私はまだ立ち直っていないみたいです。今は他の人とのお付き合いは考えられません>


 通勤電車に揺られながら。豊は昨日の夜中に届いた美咲からのメッセージを見て何度目になるかわからないため息をついた。


 メッセージの内容にではない。むしろ昨夜は罪悪感と自己嫌悪でのたうち回っていた豊はそのメッセージをみてほっとしたくらいだ。問題は今日これから美咲に会わなければいけないということだった。


 美咲の目に、自分はどれほど薄情で恥知らずに映ったことだろう。翔太先輩には世話になったのだからと、頼ってくれ、力になりたいんだと言っておいて。結局弱みに付け込みたかっただけじゃないのか。そんなつもりではなかったなんて言い訳にもならない。


 いや、そもそも本当にそんなつもりではなかったのか。あわよくば、と心の底では考えていたのでは。


 一体どの面下げて会えばいいのだろう。


 職場のあるオフィスビルの入り口で、豊は再び大きなため息をついた。


「おはよう!」


 その背中をばんと叩かれる。驚いて振り返ってみればその相手は美咲その人だった。


「豊くん昨日はごめんね。でも、メッセージ送った通りだから」


「あっ、いやこちらこそスンマセンっした……?」


 それはいい。振られたことなどどうでもいい。だが想像とかけ離れた美咲の様子には戸惑いを覚えずにはいられない。


「美咲さん、なんかあったっすか……?」


「ううん。ただのカラ元気! 言っとくけど、ぜんっぜん立ち直ってなんかいないから!」


 立ち直っていないというのならその通りなのだろう。だがその開き直り方は昨日までの美咲とは違うような。もしかして自分のせいなのだろうか。自分の身勝手で軽率な行動が、美咲に更なる負担を強いた結果なのだろうか。


「でもなんかはあった。私ね、昨日翔太に会ったよ」


「マジっすか⁉ 翔太先輩に⁉」


 嘘や冗談だとは思わなかった。


 それならわかる。翔太に会ったのなら、美咲がどれだけ元気になったとしても納得がいく。説明が付く。何よりそれは自分が求めてやまないものだ。幽霊だろうか。それとも夢枕という物か。どっちだって構わない。どうか自分の元にも現れて、この恩知らずの大馬鹿者の頭に思いきり拳骨の一つでもくれないものか。


「まったくもう、そんな嬉しそうな顔して」


 一瞬だけ浮かんだ寂しそうな微笑みを悪戯っぽい笑いで上書きすると、美咲は昨夜あった出来事を教えてくれた。


「豊君、翔太と一緒に遊んでたゲーム、エタリリ? って覚えてる?」


 昨夜、何かのはずみにエターナルリリックを起動してしまった美咲はそこで一人の占い師に会ったのだという。


「占い師、っすか?」


「うんそうなの。とっても不思議な人だった」


 その占い師は美咲が過去に翔太を失ったこと、今も苦しんでいることを次々と言い当て、そして最後にこう言ったのだという。


『今は恋をしない方がいい。あなたの心には剣が刺さっている。それは足が折れているのに歩こうとしているのと一緒だ』




「私ね。早く立ち直らなくちゃと思って。それでね。翔太の写真とか、メッセージとか全部捨てちゃってたんだ」


「ええっ⁉ マジっすか。美咲さんそんなことしてたんすか⁉」


 衝撃だった。その内容も、側にいてそこまで追い詰められていたことに気づけなかったことも。


「そうなの。馬鹿みたいでしょ。そんなことしても全然意味なんかなかった。私全然立ち直ってなんかいなかった。占い師さんに言われてやっとわかった」


 馬鹿みたい、なんてことなど全くない。むしろ側にいておきながら美咲がここまで追い詰められているのに気が付かなかった自分こそ大馬鹿者だ。


「豊君、ゲームの中に翔太と私の家があったの覚えてる? 占いのあとそこに行ってね。翔太のこと、久しぶりに沢山思い出したんだ」


「なるほど、そう言うことっすか……」


 幽霊、ではなかったのか。


 美咲が言う「家」のことはよく覚えている。エターナルリリックで三人で遊ぶときには集合場所になっていたところだ。現実世界の翔太の部屋のような、穏やかで温かい家だった。


 美咲が会った翔太が幽霊ではなく思い出だったというのは正直残念に感じる。美咲だけではないのだ。きっと豊の心にも占い師の言う「剣」は刺さっているのだろう。



『今は恋をしない方がいい。あなたの心には剣が刺さっている。それは足が折れているのに歩こうとしているのと一緒だ』



 なるほど。それでは上手に恋などできるわけはない。


 美咲は前に進み始めた。自分だってそうしなければならない。翔太の死を乗り越える事なんてできないけれど、それでも抱えて進まなくてはならない。


「でね。昨日、翔太の事思い出して沢山泣いたからさ。今日は楽しいこと思い出したんだよね。また泣いちゃうとは思うんだけど、仕事の後付き合ってくれない?」


 振っといてなんだけど、と美咲は悪戯っぽく付け足した。ああ。やっぱりすごい人だ。美咲にもやっぱり敵わない。


 思い出に浸ることをさして翔太に会ったと美咲が言うのなら、豊だってやはり翔太に会いたい


「はいっす! もちろんっす! あ、美咲さん、俺写真いっぱい持ってるっす。二人で写ってるのもあるっすよ。送るっすか?」


「え、ええと、どうしよう。見てから決める!」


「了解っす!」


 翔太のいない世界でどう生きていったらいいのか。それを翔太に問うことはできない。いくら望んでも思い出以外の方法で翔太に会うことは叶わない。


 だが美咲をそこまで導いた占い師には心当たりがある。


 かつてその人はジョダの目の前で、カラムというという人の悩みを見事に解決して見せた。メルロンとギンエイも彼女の占いに助けられたという。


 そして、今もまた。


 ジョダは件の占い師に一つ貸しがある。レベル1の彼女をダージールまで送り届けるというクエストの報酬として、何か相談したいことが出てきた時に占いをしてもらえることになっている。あの約束はまだ有効なはずだ。



 コヒナさん、俺にも何か言ってくれないっすかね?



 豊は二年ぶりにエターナルリリックの世界に戻ってみることにした。しかし、翔太のいない世界の歩み方を相談するのに<ジョダ>と名前を付けたアバターを使うのはいかがなものか。名前だけ変えてもいいのだがなんとなくそれも違うような気がして。


 こうして、エターナルリリックの世界にまた一人、新たな勇者が生まれた。


 その名を、<ユダガ>という。



■■■



『もう一度、ログインしてくれないか。君を迎えに来たんだ』


 師匠から届いたメッセージを受けて、私は大急ぎで再びエターナルリリックの世界にログインした。


 師匠、師匠、師匠に会える!


 はやる気持ちのせいで何回もパスワードを間違える。今度こそ夢じゃないと思いつつも、もしも夢だったらという嫌な想像もしてしまう。


 私のアバターのコヒナさんが現れたのはいつもの場所。ダージールの町にあるNPCの裁縫屋さんの前。


 しかしそこには誰もいなかった。


 あ、あれ?


 そう言えば師匠って何処にいるんだ?


 場所についてはメッセージには何も書いていない。でも師匠がワアロウさんという名前でエタリリに来た時に会った場所はここだ。だからてっきりここで待っていてくれてる物と思ってたんだけど。


 というか師匠のことで頭一杯だったので気が付かなかったけど、よく見れば師匠どころか人っ子一人いない。おかしい。ついさっきまでたくさんの人がいたのだ。だって私がログアウトするのをみんなで見送ってくれたんだから。裏道とはいえ天下の大都市ダージールに誰もいないなんてことがあるわけない。じゃあ、これはやっぱり……夢?


 ほっぺつねってみようか。いやそれは駄目だ。もしも痛くなかったら大変だもの。


 きょろきょろしているとそこに大きな斧を持ったごつごつ筋肉のアバターがやってきた。


「あ、来た来た! おーい、コヒナさん!」


 カラムさんだ。見慣れたその姿にとりあえず安心する。


「カラムさん~。すいません師匠を見ませんでしたか?」


 誰もいない理由も気にならなくはないけど、それよりなによりまず師匠だ。


「うん。知ってる。ちゃんといるよ」


 動転していたみたいだ。師匠じゃなくてワアロウさんって言わないとカラムさんには通じないのに。でもカラムさんはちゃんとそれに答えてくれた。すごいね。


「師匠は何処に行ったんですか? いるはずなんです。迎えに来たって言ってくれたんです」


「知ってる。わかってるから落ち着いてコヒナさん。ワアロウさんは今ギンエイが連れて行ってる」


「ギンエイさんが連れて行った……?」


 なんで? 何処に? それじゃあ私は師匠に会えない?


 私は町を出ることが出来ない。レベル11の私はこの辺りのモンスターに見つかれば一瞬で八つ裂きにされてしまう。


「コヒナさんへの説明は私が適任だからって任されたんだ。待ってね。全部説明できる人に変わるから。ってついさっきもおんなじこと言ったなあ」


 説明を任された、というカラムさんはその直後に今度は全部説明できる人に代ると言い出した。意味不明だ。そもそも辺りにはカラムさんと私しかいない。一体誰に代ると言うんだろう。


 だけど私の疑問を他所に、誰にも代わらないままカラムさんは再び口を開いた。



「おうコヒナ。久しぶりだな」



 ……え?



「ちょっと待ってろよ。わかりやすくするからよ」



 この下り、さっきもやったばっかりなんだけどな。ぶつぶつと呟きながら「カラムさん」は鎧を脱ぎだした。


 鎧を脱いで、その下に着てたシャツも脱いで。靴とズボンも脱いでしまう。


 あ、あれれ……? これは一体どういうこと?


 ごつごつの鎧を脱いでも筋肉もりもりのごつごつした体。その背中にあるのは大剣ではなくて大斧だし、一枚だけ残った服も見慣れたブーメランみたいなのじゃなくてトランクスタイプだし。他にも髪型とか顔とか違うところはいっぱいあるのに、そんなのお構いなしに放たれる圧倒的なアイデンティティー。


 隆々たる筋肉以外に身に纏うものはたった一枚のパンツのみ。その姿、正に威風堂々。



「おうコヒナ。話は聞いたぞ。あの馬鹿がずいぶん面倒かけたみたいだな」



 カラムさんは誰とも代わらないまま、別の人の言葉でしゃべりだした。

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