第173話 死神の暗示①
ナゴミヤこと麻倉和矢は衣類量販店のしがない雇われ店長である。
接客業ともなれば理不尽なことは日常茶飯事だ。その日は電子決済用の携帯アプリが立ち上がらない事に腹を立てた客が、レジで応対をしたアルバイトの女の子に文句を付けていた。
すぐに駆けつけて対応を代わったが、何故使えないのだと言われてもこちらとしてはどうしようもない。申し訳ありませんと頭を下げるしかない。
一時間ほど同じ内容を繰り返した後、二度と来るかと怒鳴りながら客は帰った。和矢の横でずっと耐えていたアルバイトの子にお疲れ、少し休んで来てと伝えた。
まだ高校生だというのに頑張り屋で、今日も人出が足りないということで急遽シフトを入れてくれた子だ。休憩室で泣いていたのだろう。戻ってくると「もう大丈夫です」と赤い目で笑い再びレジに入った。
その後、レジの対応が不親切だったと本社にクレームが入ったため、翌日に菓子折をもって客の自宅に行くことになった。
指定された時間についたが留守であり、家の前で二時間ほど待たされた。
「家の前で待たれては近所で噂になる、常識がなっていない」
「いい加減な対応をするな。教育がなってない。二度と行かないぞそれでもいいのか」
おっしゃる通りです、ご指導ありがとうございますと頭を下げて帰ってきた。
店を空けてしまった間に貯まった仕事は勿論時間内には終わらない。残りは自宅であるワンルームアパートに持ち帰った。
家に帰り一息ついた後、いつもの習慣でパソコンを付けようとして妙なものに気が付いた。
パソコンの電源ボタン付近に得体のしれないべとべととした茶色い汚れが付いているのだ。気持ちが悪かったためべとべとに触れないように気負付けながら電源を押したがパソコンは起動しない。
不審に思って確認すると、コンセントとプラグの間にも同じようなべとべとしたものが付着していた。これでは電源を入れられない。最悪火事にだってなりかねない。どうやって掃除したらよいだろう。試しに手近にあったボールペンでつついてみると、プラグは劣化してもろくなっていたらしく、ぼろぼろと崩れてしまった。
困ったぞ、ログインできないじゃないか。困ったなあ。
そこで、目が覚めた。家に帰ってきた後に残った仕事をしている間に机で寝てしまっていたらしい。
再びパソコンを立ち上げようとした。今度は夢では無く現実だ。パソコンの電源ボタンやプラグに汚れもついていない。おかしな夢を見たものだ。
さあ、早くログインしないと。そしてギルドマスターとしての責務を。
―早く、ログインしないと…………?
なるほど。
まさかあの程度で、自分がダメージを受けるとは思っていなかったがさっきの夢はそう言うことなのだろう。
現在のギルド<なごみ家>は大変なことになっていた。
クラウンは何かしてくるだろうとは思っていた。そうでなければ困る。
実際にクラウンがやったこと―クラウンがやったという確たる証拠はないが―はナゴミヤの予想をはるかに超えた幼稚な手段ではあったが、そこまでは問題ではなかった。むしろクラウンのターゲットを自分に移すという点では成功と言えるだろう。
見誤ったのはネットの中での情報の変化だ。悪い偶然が重なったのだと言えばその通りだが、それを考慮できなかったのは自分の責任だ。
いつもいつも、力不足だ。リアルでもゲームでも。何も成し遂げられず、その上仲間まで巻き込むことになった。
いまや<なごみ家>の名は「ネットの闇」の代名詞になっていた。
アバターが所属しているギルドはプロフィールの画面から確認できてしまう。ギルドメンバーからは、嫌がらせを受け、まともにプレイできなかったという話も上がってきていた。
この事態に見切りを付けてギルドから離れられるものはいい。あるいはリンゴのように自分のスタイルを貫き周りを黙らせられるものはいい。
だがそのどちらもできないものがいる。ギルド<なごみ家>の名に愛着や義理を感じ、離れられず、理不尽な嫌がらせを受けても耐えようとしてしまう者がいる。
それは、良くない。自分が撒いた災いを、彼らに背負わせてはならない。あの世界に行きたくないなんて、誰にも思って欲しくない。
いくつか方法を考えたがどれも不確実で時間がかかる。その間に状況はさらに悪くなるだろう。一刻も早く彼らを解き放たなくてはいけない。<なごみ家>の名前が、彼らの旅を縛ることなど絶対にあってはいけない。
どうしたらいい、どうしたらいい。
この二週間ほど、ずっとそればかりを考えていた。
思えばそもそもギルドに自分の名前を付けたのが失敗だった。あの時もう少しよく考えておけば。
いや、いや、いや。
それはおかしい。
楽しかった事ばっかりだったじゃないか。笑いながら皆でつけた名前じゃないか。思い出まで汚す必要はない。考えるべきはこれからどうするかだ。
<なごみ家>を悪意から解き放つ方法はある。
これが一番早く、間違いがない。無様なやり方ではあるが彼らを縛るよりはましだ。
この選択を辛いと感じてくれる人がいたなら申し訳ない。でもその傷はやがて忘れられる。束縛することで痛み続け、腐り、癒えぬ病となるよりずっといい。
それに。
他の方法よりもこっちの方が「楽」だ。
ずっと考え続けてこの結論に至ってしまう程に、自分は参っているらしい。それがさっきの夢というわけだ。
ちょっと調子に乗っていたのかもしれない。師匠なんて呼んでくれる人がいたせいで。所詮自分はNPC。彼らにしてみればゲームの中で出会っただけの存在だ。これは、それ以上でいようとしてしまった報いなのかもしれない。
終わらせなくてはならない。
彼らを、彼女を、<ナゴミヤ>から解き放つ。
本当なら遊びに行くためのあの世界に、義務感や責任感で入ることは許されない。だから、もう一度だけ。
さあ、「頑張って」ログインして。
<なごみ家>のギルドマスターの、最後の「仕事」を終わらせよう。
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