第112話 ある日空から女の子が降ってきた ①

 あれは中学校の二年生の頃だったと思う。通学に地下鉄を使っていたのだから恐らく間違っていない。


 乗り換えに使っていた大きな駅の地下街にはウエディングドレスの専門店があり、大きなショウケースに美しい緑色のドレスが展示されていた。


 そのドレスに、少年だった自分は見惚れてしまった。


 男の自分が立ち止まってドレスを眺めていては変に思われるだろう。まかり間違って同じクラスの奴らにでも見られようものなら目も当てられないことになる。


 分かっていても目が離せなかった。こんなに美しいものがあるのかと思った。許されるならずっと眺めていたかった。


 とうとう自分は自分が生涯を欠けて為すべきものに出会えたのだと、そう思った。



 だけどそんなことにはならなかった。



 ■□■



 幼い頃にはいろんな夢を見た。


 変身ヒーローになって悪の組織と戦うこと。

 妖精と出会ったり妖怪と友達になること。

 不思議な力を隠しつつ日常生活を送ること。


 あるいは空から降ってきた女の子に頼まれて一緒に世界を救うこと。


 もちろんそんなことは起きなかった。


 少し大きくなってからも同じように夢を見た。


 宇宙飛行士になって誰もたどり着いたことのない場所を目指すこと。

 冒険家になって新しい生き物や誰も見たことのない遺跡を発見すること。

 俳優や歌手といった有名人になってテレビに出ること。

 発明家になって後世に語り継がれること。

 手品師になって世間をあっと驚かせること。


 あるいは見た全ての人が涙するような、美しい緑色のドレスを作ること。


 そんな特別な何かに、いずれ自分はなるのだろうと思っていた。



 でも、そんなことにはならなかった。



 あの頃の感覚は不思議だ。一日の間に色んな事が詰まっていた。一日あれば何でもできた。いくつもの夢を同時に見る事さえ可能だった。


 思い返してみれば<ネオオデッセイ>というネットゲームを始めたのはあのドレスに出会ったのと同じころではなかっただろうか。


 <ネオオデッセイ>の世界はまさに幼い頃に見た夢の具現だった。


 異世界から召喚された勇者として世界を救う。ドはまりした。


 毎日毎日、勇者になって世界を救うことに明け暮れた。



 それから2年くらいして最初の選択を迫られた。


 周りと同じように無難な高校を選んで無事に進学して二年。さらに次の選択を迫られた。


 選択肢を増やすためにネオデをやめようと思った。やめるため一度も倒せなかった強敵に本気で挑むことにした。


 ネオオデッセイには何体もの強力なボスがいる。今までに一人で倒すことが出来なかったのはそのうちの二体。<悪魔の女王 テレジア>と<最古竜 セルペンス>だ。


 徹底的な対策を行い、何度も何度も戦いを挑んだ末、テレジアの討伐に成功した。


 でも、結局セルペンスを倒すことはできなかった。


 その後それなりの大学に進んでそれなりの会社に勤めた。


 このころにはいい加減気が付いていた。特別になれないのは何も自分だけではない。みんなそんなものなのだろうと思っていた。


 与えられた仕事は一生懸命やった。


 ただあまり要領がいい方ではなく、優秀な同期たちと競争していくためにはちょっとやそっとの一生懸命では足りなかった。というか一生懸命にやろうとすればするほど仕事が増えて行くだけで前に進まないのだ。


 ちょっと頑張りすぎたのかもしれない。ふと、


 もしかしたら自分はこの世界に向いていないのではないか。


 そんなことを考えた。


 今はといえば衣料の量販店の店長として可は無く不可少々の成績を維持している。


 最後に見た夢の欠片くらいは手にしているのだと自分をごまかしながら、掲示板で与えられた報酬の見合わない日替わりクエストのような日々をかろうじてクリアしていく。



 <ナゴミヤ>こと麻倉和矢はそんな何処にでもいる社会人だ。



 仕事でのささやかな成功に意味を見出せなくなった頃、和矢は大学時代の友人、海藤孝明 と再会した。


 孝明はインドア派の和矢とは対照的な体も声も大きな男で、普通なら和矢が積極的に関わろうとは思わないタイプであったが、何故か不思議と気が合った。それに昔ネオデをやっていたことも共通でそれを話題に盛り上がることもできた。大学時代は和矢のアパートに他の悪友と共に集まって、色々と馬鹿なことをしたものだ。


 孝明との再会を機に二人ともずいぶん久しぶりにネオデを再開することになった。古いアカウントはログイン用のパスワードも曖昧だったがいろいろと試した結果無事に復帰することが出来た。


 再び始めたネオデの世界<ユノ=バルスム>は以前と比べてかなり人が減っていた。無理もない。あれから何年たったか。ネオオデッセイの再開は和矢の生活に少しだけ潤いを与えたが、昔ほど熱くはなれなかった。それは仕方がないことだろう。


 ネオオデッセイの世界で孝明のアバターであるヴァンクと共に冒険に出かける一方、昔のようにソロでのボス討伐にも挑んでみた。


 休止期間中のアップデートによりボスクラスのモンスターは増えていたが特殊なギミックを解決すればそれなりに戦える相手であり、テレジアとセルペンスが最強の存在であることは依然と変わりなくそのこと自体は嬉しくさえ思えた。


 再び全てのボスに挑み、最後に再びテレジアを討伐した。


 でもセルペンスには勝てなかった。「誰もが主人公」が売りのネットゲームの中ですら、やはり自分は特別にはなれなかった。



 ネオオデッセイの世界である<ユノ=バルスム>の地図では北西部に位置する島<フリギダス島>。島と言っても相当な広さがある。現実世界では大陸と言っても差し支えないだろう。中央にある巨大な大陸<コンチネント>に比べれば小さいというだけのことだ。


 しかしこのフリギダス島には町が一つしかない。島内にある二つのダンジョン<ウモ>と<イブリズ>の影響で島の三分の二以上が人が住める環境にないからだ。


 このうちの一つ、<ウモ>は氷に閉ざされたダンジョンである。


 ここはかつてこの世界の神のような存在<ボナ>の代替となる<人工精霊ウモ>を作ろうとして失敗した際に出来たダンジョンであるとされている。


 他のダンジョン同様に謎が多いためこれが本当の事なのかはわからない。結局はプレイヤー達の想像に委ねられることになる。このあたり、幼い頃から想像力だけは逞しかった自分には<ネオデ>は合っているのかもしれない。


 人工精霊作成の実験が行われる以前から、フリギダス島には月と狂気のダンジョン<イブリズ>が存在していたのだという。<イブリズ>も<ウモ>と同じように人の過ちによってできたダンジョンだ。人工精霊作成の研究の場としてフリギダス島が選ばれた理由は想像がつくが、この島の住民であるNPC達にとってはたまったものではないだろう。


 その日、和矢は<ウモ>で資金稼ぎを行った後、食品とポーションの類を補充するためにフリギダス島唯一の町<ジャンブ>に立ち寄った。


 <ジャンブ>は町としての大きさは中規模程度。銀行や冒険者ギルドといった重要施設が互いに大きく離れている為拠点としている者は少ない。ネオデは古いゲームであり過疎化が著しい。少なくなったプレイヤー達は中央都市マディアや河川都市アウグリウムのような利便性が高い町に集まって暮らしている。


 もう一つジャンブの町に人が少ない理由は、システム上「プレイヤーを殺したことのあるプレイヤー「PK」はこの町に入ることが出来ない」というのもあるかもしれない。PKも貴重な人口の一人だ。もっともふつうのプレイヤー以上にその数は少ないが。


 PKには昔は散々苦労させられた。だが対人可能エリアにPKが出没しないのはそれはそれで寂しいものだ。PKはモンスター以上に恐ろしい存在であるが、彼らは彼らである種の「悪役」ヒールであり、ネオオデッセイの世界を彩る大事な存在なのだろう。


 プレイヤーのやってこないジャンブの町だがNPC達は普通に生活している。NPCショップの商品は効果の割に割高だが品切れがないのがいいところだ。


 だが自分が来なかったらこの店の今日の売り上げはゼロなんじゃないだろうか。一日、一週間、一か月の間に、どのくらいのプレイヤーがこの店を訪れるのだろうか。



 そんな他愛もないことを考えながらのいつも通りの何気ない買い物。


 でもふとそこに、店で働くリアルの自分の姿を重ねた。



 PKが出ないとはいえNPC達にとって二つのダンジョンの脅威にさらされる<ジャンブ>の町は住みやすい場所ではないだろう。しかし彼らはそこを離れることは無い。そこは彼らにとっての日常で、同時に彼らはプログラムによってそこで生きることを設定されている。プレイヤーが世界を救うために、救われない世界での生活を運命づけられている。そのことに彼らが気付くことは無い。



 もしかして、そうなのではないだろうか。



 <ユノ=バルスム>は過去のいくつもの世界の終わりの残滓により滅びかけているのだという。これまでかろうじて世界を保っていた神に近い存在<ボナ>は、世界を救えと最後の力でプレイヤー達をこの地に誘い、消滅した。


 だがこの世界はいつか本当に救われるのか。


 ネットゲームにクリアはない。あるとすればサービス終了だ。果たしてその時本当に世界は救われるのか。それまで滅びかけの世界で彼らが苦しむことに、彼らの生に意義はあるのか。


 町の住人だけではない。


 フィールド上に存在するモンスターも、美しき悪魔テレジアも、最強の存在セルペンスも、それどころか<ボナ>や<ユノ=バルスム>そのものも、プレイヤーを楽しませるために存在している。


 ゲームなのだから、作られた世界なのだから当然だ。



 もしかして、そうなのではないだろうか。



 リアルとはそういう物なのではないだろうか。リアルは誰か特別な「主人公」達の為にあり、自分はそこに暮らすNPCなのではないだろうか。いつか「主人公」がやって来て魔王を退治し、世界が変わることを夢見るだけの。



 別に自分を投影したわけではないのだが、そんなことを考えたのがきっかけだ。この世界のNPCはどんな生活をしているのだろうと思った。NPCでも出来そうなことだけをしながらこの世界で過ごしてみようと思った。


 こうして和矢は自分のアバター<ナゴミヤ>のスキルの数値を全てリセットした。


 NPCは強力なモンスターを退治したりはしないだろう。少々使える魔法と逃げ足の速さを頼りに素材集めとお宝さがし、それに自分でも何とかできる弱い魔物の討伐。この世界に冒険者がいたならきっとそういう物だろう。勇者に会えた時の為に彼らを補助するための魔法はあってもいいか。幸いすぐ近くにもヴァンクと言う名のちょっと変わった勇者がいる。NPCとはいえ勇者の冒険に同伴するくらいのことは許されるだろう。


 スキルを変更した結果ボスクラスのモンスターを一人で狩ることはできなくなった。それでもNPCと、一般人と言うには強すぎると思った。そこで一部のスキルを向上させるために他を著しく引き下げる装備品を、デメリットが多くなるように選んで身に着けた。


 それでもきっと一般人とは言えない。勇者と一般人にはそのくらいの開きがある。


 リアルの自分と何かの夢を叶える者達の差もきっと同じくらいあるんだろう。



 NPCになる為スキルを変更したと伝えるとヴァンクは笑った。でもそれだけだった。



「いや、何でだよと思うけどよ。今更お前に何でだよって言ってもなあ」



 自ら狂戦士バーサーカーを名乗るパンツ一丁の友人に言われたくはないと思った。


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