第95話 ジャスティス・キューティー 2

 自分の仕事が片付くとかなり時間がたっていたが、もともと友人達のログインは遅い。問題ないだろう。クリスマスと言うこともあり飲食店はどこもいっぱいだった。腹も空いていたが夕食は家に帰るまでおあずけと言うことにしよう。



 外は既に雨が降り始めていた。この後段々と強くなるらしい。会社近くのコンビニエンスストアで傘を買い、駅へと向かう。


 帰りの電車は長蛇の列だった、


 ドアが開いた瞬間に、横から入り込んだものが乗客数に比べてあまりに少ない座席を占拠した。


 電車を乗り継ぎ最寄り駅に到着。ここから家までは歩いて15分程。


 駅前のケーキ屋でもクリスマスのセールをやっていた。店の外でアルバイトだろう店員が声を上げている。アーケードがあるとはいえこの寒空の下大変なことだ。この町にクリスマスを作っているのは彼らだろう。


 二つ目のコンビニに寄り、夕飯を物色する。一応「炭火焼き」とかかれた鶏肉の入った弁当を選択し、ちょっと迷ったが一緒にプリンを買うことにした。プラスチックの白い容に入った手ごろな大きさのものをよく見ずに手に取った。これくらいがちょうどいい。そもそも自分の為と言うより今日を楽しもうとする友人と後輩に敬意を払ったものだ。


 彼らがいなければ今日が何の日かを気にすることもなかっただろう。たとえ世の中の風景がいつもと違っていたとしても。



 レジに並んだが脇から割って入った者がいた。



 大したことではない。声を上げれば学生アルバイトであろう店員に迷惑がかかる。


 クリスマスの夜に勤務する彼はシフトを押し付けられたのかもしれない。あるいは仲間の為に自分からシフトを入れたのかもしれない。優しい者が割を食うのは嫌だ。


 袋に弁当を詰めてくれた店員にありがとうと声をかけ外に出たが、傘立てに置いた傘が無くなっていた。


 良く似た別のビニールが置いてあるが、店内には他に数人の客がいる。



 誰かが自分の元の間違えて持って行ったのかもしれない。だが。



 ふうとため息をつく横を別の客が通っていく。


 コンビニの出口で手に持ったままの傘をばさばさと振るとそれを差して出て行った。彼に悪気はあるまい。傘立てに傘をおいて入れば盗難の可能性がある。盗まれないよう持って店内に入るのは冴えたやり方。


 その程度の認識だろう。


 傘から落ちた雫が床を濡らして滑りやすくなること、事故が起きた時には店が責任を問われる可能性があることなど考えもしまい。濡れた床を拭くのはさっきプリンをレジ打ちしてくれた店員だ。



 ふう。



 再びため息を吐き出すと、傘を持たぬまま外に出た。



 家までは十五分程度。大した距離ではない。それほど濡れもしないはずだ。


 だが、この日の雨はやけに冷たく感じた。




 正しいとは何だ。




 万引きを自慢していたやつは今は役所で公務員として働いている


 お小遣いを貯めて行くのを楽しみにしていた本屋は潰れた。


 庇ってくれたあの子は町を出て、今はどこでどうしているかもわからない。




 なにが『正雪』。自分なんかに何ができる。




 ああ、寒いな。


 短い距離の間に雨は強くなっていき、服の中にも浸透してきた。


 むき出しの手がかじかむ。




 損をするなら自分がいい。


 損をするのは自分でいい。


 自分より優しい人が辛い思いをする世界は耐え難い。



 狡い者達は同時に巧妙で、こちらを加害者に仕立て上げる手腕に長けている。



 世界のルールを逆手にとって大きな声を上げ、被害者のごとく振舞う加害者にはうんざりだ。だがそれを断罪する術は現実にはない。


 暴き騒いでも何も起きない。周りを疲弊させ加害者の逆恨みを買うのがせいぜいだ。


 法に訴えるには時間と金がかかり、そこで勝利を手にしても元を取ることさえできない。




 結局泣き寝入りするしかない。



 それは自分には変えることのできない現実の「ルール」だ。




 ああくそ。寒いな。




 家に着くとすぐに風呂に湯を入れた。暖房をつけて、電気ポットで湯を沸かす。


 スーツを脱いでハンガーにかけている間に湯が沸く。


 濡れた服を脱いで白湯さゆをそのまま飲んでいると部屋の温度が上がっていき、やがて風呂の湯も貯まる。


 温かい。この温かさは人の優しさが作り出したものだ。今もこの暖かさを守っている者がいて、それで世界は成り立っている。



 熱めに入れた風呂で身体を温めた後、買ってきた弁当を電子レンジで温めて食べた。



 今日のことが色々と頭をよぎるがとりあえずはここまでにしよう。折角帰ってきたのだ。遅くなってしまったが後輩の応援に行かなくては。



 買ってきたプリンを後回しにして冷蔵庫にしまうと、正雪はゲームソフト<ネオオデッセイ>を立ち上げた。



 ネットゲームはいい。



 その世界では、自分の正しさを主張することが許されている。


 正しくあろうとすることが許されている。



 <ネオオデッセイ>ではエリアや条件は限定されるものの、暴力で人を断罪すること、純然たる加害者であることが許される。



 人を殺すことが許される。



 勿論それだけの力があればだが。



 正雪のアバターは毒を使う。



 <ネオオデッセイ>のシステムでは毒はモンスターを倒すのには効率が悪く、アバターの構成スキルとして選択する者は少ない。毒が全く効かないモンスターだって存在する。



 だが毒は「人」プレイヤーを殺すには適している。



 <ネオオデッセイ>では友に無礼を働く者に、有無を言わせぬ制裁を加えることが「ルール」によって許されている。



 それはリアルでは決して許されない「美しさ」だ。




「毒」は美しい。




 毒を持つ生き物は鮮やかな体色を持つ者が多い。


 美しい警戒色の身体で自分に害を成せば命を奪うと主張し、それでも攻撃してくるのであればその恐るべき力を容赦なく振るう。


 不思議なことに毒を持つ生物には驚くほど美味な物が存在する。毒がなければ瞬時に食らいつくされ世界から失われてしまうに違いない。


 彼らはその価値のある身体を毒で守っているのだ。


 毒を持っていても食われれば死ぬ。


 しかし同種が生き残り、その遺志を継ぐ。やがて捕食者たちの間には、あの美しい生き物に手を出してはならぬという認識が根付く。




 正雪のアバターは毒を使う。




 愛らしい見た目とは裏腹の、モンスターではなくプレイヤーを殺すことを目的としたスキル構成。




 この僕を、食えるものなら食って見ろ。




 正雪のアバター<リンゴ>は真っ赤な頭巾に身を包み、自分が「毒」であることを主張する。




 友と後輩の応援に駆け付けるため、いつものように毒使いの<リンゴ>としてネオオデッセイにログインしようとして。



 正雪はふと、悪戯心を起こした。

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