第29話 女教皇の憂鬱

 ネットゲームはいい。誰もが平等だ。自分が望んだ顔になることができて、自分が望んだ仕事ができる。


 誰しも同じ条件でスタートするのだから、だれもズルだなんて言わないし言われない。


 これはとても良いことだ。


 何しろリアルの月里 舞姫は、ずるいずるい、チートキャラらしいから。


 顔が良いのは、ずるいこと。舞姫はずっとそう言われてきた。もちろん舞姫自身も悪い顔だとは思わないが、そこまでではない。芸能人やSNSの有名人と比べれば霞むどころの話じゃない。それでもずるいのだそうだ。


 見知った人としかであわない田舎町。そういう場所だからなのだろう。幼いころから、マキちゃんは顔がいいからズルをしていると言われてきた。


 幼稚園の頃に顔のせいで先生から贔屓されているから本当の友達ではない、そう言われた。それ自体は別にいい。当時は良くなかったが、今となっては別にいい。確かに友達ではない。


 小学校でも同じだった。なにせ狭い田舎町だ。幼稚園とそんなに顔触れが変わったわけでもない。ひとつの学年に一つのクラス。同じ環境で同じことが続くのは残念だが当然のことだ。


 しかし周辺地域の学生が纏まることで、一つの学年に複数のクラスができるくらいには人が増えた中学校でも、状況はさほど変わらなかった。その事は少しだけ舞姫を失望させた。


 頑張って、頑張って。その末に見事手にした、高校の推薦のこともそうだ。両親はもちろん喜んでくれたし、凄く褒めてくれた。よく頑張ったねと言ってくれた。そうだ、舞姫は頑張ったのだ。


 しかし舞姫は顔のせいで先生から気に入られて、贔屓されているから成績がいい。だから高校への推薦を貰えた。そういう言う話が、極力周りと関わらないようにしている舞姫の耳にも入ってくる。


 それが彼女たちにとっての真実だというなら、それでいい。気にしても仕方のないことだ。一科目でも自分より点数を取ってから言えばいいのに、とは思わなくもなかったが。


 顔の恩恵は確かにあったのかもしれない。得したことだって沢山あったのだろう。しかし顔だけ、と言われたくない一心で舞姫がしてきた努力だって相当なものだった。


 特にこの一年間は、心の拠所にしていたゲームにも一度も手を付けなかった。これは本当に大変だった。何度も誘惑に負けそうになりながら、友達の言葉を頼りに何とか耐えた。


 恋愛だって苦労しないのだろうと言われたこともある。それは確かにその通り。舞姫自身が恋愛で苦労などしたことがない。恋愛などしたことがないのだから当然だ。


 苦労と言うが舞姫にしてみればそもそも恋愛とは何ぞや、である。


 確かに告白と言うものを受けたことはある。でもそれがいいことだとはとても思えなかった。恋愛に興味がないわけではない。しかし良く知らない相手に恋心を抱くというのは舞姫にはどうにも理解できなかった。



 親切にしてもらった男の子に笑顔で感謝を伝えた。そうしたらその男の子から告白された。舞姫は困惑しながらも、お付き合いはできませんとお断りした。翌日から何故か舞姫がその男の子を騙したという噂が広まった。


 同級生だけでなく、先輩から付き合ってくれと言われたこともある。丁重にお断りして諦めていただいたが、後になって何故か女の先輩たちから生意気だと嫌がらせを受けるようになった。


 傑作なのは今年中学三年生になって先生に、舞姫のことが気になって勉強に集中できませんと相談した別のクラスの男の子の話だ。受験を前に段々と成績が下がっていることを先生に指摘されての答えが、コレだったのだという。舞姫にしてみればここまででもかなり滑稽な話に思える。だが、傑作なのはここからだ。


 何と相談を受けた先生が、その男の子と付き合ってやってくれないかと、舞姫を呼び出してそう言った。


 先生としてはとてもいいことをしたつもりなのだろう。将来恩師として結婚式に呼ばれたり、そんなことを考えていたのかもしれない。


 名前も知らない、会った事もない、そんな人が舞姫のことを思って勉強に集中できなくて困っている。だから舞姫がその人とお付き合いするのだそうだ。冗談ではない。こっちはこの狭い世界から脱出するために必死で勉強しているのだ。あまりにも馬鹿にしている。


 今はそう言ったことは考えられませんとお断りしたら、その人がどんなに好人物なのか説明してくれた。とりあえず付き合ってみてはどうかと。それから考えればいいのだそうだ。恋愛とはそういう物なのか。とりあえず付き合ってみて、うまくいかなかったらお終いなのか。胡散臭い通販番組じゃあるまいし。



 恋愛とは何ぞや、だ。



 こんな話は、誰もまともに取り合ってはくれない。それはまだ周りに期待していたころの舞姫自身の体験から身に染みて理解している。なぜならこれは自慢話だからだ。


 この子だけはわかってくれると思った相手から、「友達だと思ってたのに」と言われる。そういう体験は、自慢話なのだそうだ。



 恋愛とは何だ。



 もっと、もっと素敵なもののはずじゃないのか。



 例えば。例えばの話だ。


 例えば、白馬に乗った王子様が現れて、舞姫と共に様々な困難を乗り越えていく。ゆっくりと理解を深めあっていく二人はやがて恋に落ち、王子さまは舞姫をこの狭い世界から連れ出してくれる。そういうものではないのか。もし違うというなら、とても寂しい話だ。


 恋愛と言うものが今一つわからない舞姫にも、「あこがれ」と言うものは存在した。


 その対象はリアルに存在する人間ではない。だが完全に空想の世界の住人というでもない。


 彼は誰しも平等なはずの世界を、その恐るべき力で全く不条理に蹂躙して回る。



 最初にその動画を見たのは偶然だった。何か他の情報を探していた時だったと思う。ただ一目で普通の攻略動画ではないことが分かった。


 その人の名はギンエイ。人気オンラインゲーム≪エターナルリリック≫の、最強と言われるプレイヤーの一人だ。


 マーフォーク族の吟遊詩人であるギンエイは、高難易度のモンスターを前にしながら、画面の中を勝手気ままに歩き回る。彼が思いついたように急に方向転換をする様は、広い水槽の中を縦横無尽に泳ぎ回る魚のようだ。


 だが一見適当にも見える彼の動きは実は計算されつくしたものであり、その証拠にモンスターの攻撃は、決して彼には当たらない。


 彼が歩き出せばついさっきまで彼がいた所を、モンスターの牙らだけの口が通っていく。彼が歩みを止めればその一歩手前を、モンスターの放った魔法がかすめていく。


 首を傾げればさっきまで頭があったところを爪が振り抜く。疲れたとしゃがめば上半身があった位置を大剣が薙ぎ払う。



 昔の海外のアニメのキャラクターような理不尽さだ。モンスターの側からしてみればたまったものではないだろう。


 だが更に凄いのが、彼の攻略の説明方法である。


 攻略のためのプレイ動画と言うものは、自分のアバターを操作しながらマイクを使って声で解説を加えていくのが普通だろう。それは見ている方にもわかりやすい。



 だが舞姫のヒーローは、ちょっとばかり特別だった。



 彼は画面の中から舞姫に語りかけてくる。声で、ではない。なんとゲームの中の言葉であるチャットを使って。


「ドラゴンアゴニの攻撃と言えば炎のブレスを想像すると思う。だがブレスは何といっても予備動作が大きい。なんなら予備動作中にも一発位殴れるだろう」


 わざわざ武器をハリセンに持ち替えてから長い尾を持つドラゴンをスパンと叩いて、そのあと一目散に逃げる。ギンエイがブレスの届く範囲から大きく離れてから、アゴニはやっとブレスを吐く。まともに受ければどんなプレイヤーでも一撃で死亡するブレスを、ギンエイは腰と額に手を当てて、対岸の火事でも見るかのように眺める。ギンエイが相対していればアゴニの動きは緩慢にすら見える。だがその実アゴニは「遅い」と言う竜族唯一の弱点を持たない初めてのモンスターであり、この動画が出回る前はネット上には「偶然以外で倒す方法は無い」という意見が指示されていた程だった。


「注意したいのはあの細くて長いしっぽの攻撃だ。ほら、今奴の左足のかかとが浮いているだろう?3,2,1,ここ!」


 彼がひょい、っと飛びあがると、その下をアゴニの鞭の様な尾が素通りしていく。


「出が速い上に歩行との見分けがつきにくいからね。慣れるまでは左足が浮いたら全部警戒するくらいでいい。しっぽで受けるダメージは少ないからと無視するケースが多いようだが、受けてしまった時の硬直は大きい。それに、範囲が広いこの攻撃、実は誰も被弾しなければ、アゴニは大きく体勢を崩す」



 歩き回りながらのギンエイの言葉通りに、アゴニは攻撃してきたときとは比べ物にならない緩慢さで尾を戻していく。ギンエイはそんなアゴニに近寄ると、またハリセンでスパンと叩く。ハリセンでドラゴンにダメージを与えられるわけはない。だが勿論彼一人で戦っているわけでもない。彼以外のメンバーがこの隙にダメージを与えていく。


「早い早いと言うが、でかいからそう見えるだけだ。もっと早いモンスターはたくさんいるさ。それに爪や牙のダメージも他のドラゴンとは違って物理ダメージのみだ。盾を持った騎士なら問題なく耐えきれる。しっぽの硬直さえなければ回復が遅れるということもないだろう」



 言いながらギンエイはリュートを取り出す。それは攻略の解説が終わり、彼自身も戦闘に参加する合図。リュートから流れ出す曲はパーティメンバーの能力を大きく向上させていく。                                                                                                                                                                                                                        


「大丈夫だ。これで勝てる」


 攻めに転じる前の彼の決め台詞。今までの解説を実践しつつ強敵を粉砕していく。このパーティーの中心はもちろんギンエイ。だが他のメンバーも、ギンエイと同等の実力者ぞろい。そうでなくてはこんなバカげた動画を撮ることはできない。



 メンバーの中でも真っ白なプレートメイルのリザードマンの騎士と、大きな斧を持った人間族の戦士は舞姫のお気に入りだ。無茶苦茶なギンエイを守るのは白騎士の役目。ギンエイは常にその盾に守られている。またギンエイの奏でるリュートの強化を受けて戦士が放つ大斧の一撃は一撃で戦局を決める。それだって並みの戦士ではおいそれとは真似できない動きだ。例えステータス値をこの斧戦士同じに揃えたとしても、アゴニの爪と牙、それに素早い尾を搔い潜って超重量の斧を当てるというのは至難の業だ。


 見事モンスターを倒した後にはカメラ目線をキメるギンエイを他のメンバーが文句を言いながらハリセンでめちゃくちゃにするのがお約束になっていた。


「この野郎、何回取り直したと思ってんだ」


「前半ノーダメでいこう! とかふざけんなよ!」


「リュート始めるの遅いの意味わかんねえんだよ! なんでリハより遅れるんだよ!」


「だって、ホラ、盛り上がりに欠けるかなって、あああああっ!」


「変な声だすな!」


 きっとどの苦情も本気で、どれも冗談なんだろう。他の者が届かない高みで、互いをさらに高めあう。もしあの中に自分がいたら。それは素敵な想像だった。残念なことにゲームを始めたばかりの舞姫のアバターのレベルとスキルでは、到底届かない場所であったが。


 舞姫が≪エタリリ≫を始めた時にはサービスの開始からほぼ一年がたっていたが、新規で始める者は多く、中には自分と同じようにギンエイの動画に影響を受けて始めた者もいた。


 ギンエイに憧れて、舞姫は≪エターナルリリック・オンライン≫を始めた。それは当時、ごく一般的な「エターナルリリックを始めたきっかけ」だった。



 リアルの舞姫に、女の子の味方はいない。男の子とはもちろん関わらない。


 いつの間にか人前で笑うのが面倒になった。だからと言って、泣くのも怒るのも嫌だった。


 でも舞姫が一番嫌いなのは、いつも学校で自分が仕方なく浮かべている、うすぼんやりした笑顔もどきだ。



 ゲームの中で自分の代わりを務める分身を作るように言われて、どうせなら自分とは全く違うアバターを作ってやろうと思った。まず思い切り美人にした。それこそ芸能人でもちょっといないくらいの美人だ。その上でリアルの自分の一番嫌いな部分を排除した。


 だから舞姫のアバターは笑わない。人間族の神官ルリマキは文字通りの作り物の美しい顔に、何の表情も浮かべない。


 こうして始めたネットゲームは舞姫を虜にした。


 自身が自身の一番好きな姿でいられるネットゲームの中では誰も舞姫のことをずるい等とは言わない。ゲームの中では舞姫を、ルリマキを誰も否定することはできない。


 また舞姫にとってネットゲームは世界とはこんなに狭いものではない事を教えてくれる場所でもあった。


 舞姫の少々おかしなアバターに文句を言う人はいなかった。それどころか面白いと仲良くしてくれる人もいた。友達が、出来た。リアルのクラスメイトなんかよりずっと大事な友達だ。


 知らない人とパーティーを組んで、うまく行動できなければ怒られたりすることはある。でもそれは顔のせいではない。次回気を付けることはできるし、何よりどうしても合わない相手に合わせる必要がない。


 生来の勝気な性格は舞姫を強くした。レベルやステータスだけでなく、スキルの構成や装備の選択。そしてなにより実際に敵を前にした時の立ち回り。参考にしたのはもちろんギンエイの攻略動画だ。



 大事な友達である人間族の騎士であるゴウと知り合ったのは、ゴウがモンスター攻略の為のパーティーを募集していた所に参加した時だ。攻略が終わった後、自分より大分ベテランであろうゴウの方から話しかけてくれた。


「ルリマキさん、滅茶苦茶上手いね。良かったらまた今度誘ってもいい?」


「はい」


 上手く、しゃべれなかった。上手いから、自分の能力が高いから誘ってもいいかと言ってくれたのに。こんな嬉しいこと、他人から言われたことがないのに。何か返さなくてはと思ったがそれ以上の言葉は出てこなかった。



「おお、無表情、無口キャラ、いいね!」


 ゴウはどうやらそれを勘違いしたようだった。フレンド登録をして、互いにメッセージをやり取りできるようになると、それ使ってゴウが言った。


<こっちでしゃべったら他の人には見えないからさ。もし通訳が必要な時は声かけてね>


<ありがとう、ございます>


 その日から、舞姫のアバターであるルリマキには、無表情に加えて無口という特性を備わった。「はい」としかしゃべらないルリマキには、ゴウを通じて沢山の友達ができた。


 一年間思い切り楽しんだ。本当に夢のような時間だった。その後しばらく舞姫はゲームを離れることになる。リアルで手に入れたいものがあったからだ。リアルでもこの夢のような世界を手にするために、狭い世界から脱出するために、舞姫は自分の大切な世界を封印することを決意した。


 ゲームを休止する最後の日、大事な友達であるゴウにそのことを告げた。


<エターナルリリック、しばらく休止しなくてはならなくなりました>


<そうなの?どのくらい?>


<一年位かと思います>


<そうなんだ。それは寂しくなるねえ。リアル事情?>


<はい>


 寂しくなるのはこっちだ。自分にはこの世界にしか友達がいないのだから。


<そっかあ。リアル事情はしょうがないねえ>


<戻ってきたら、また一緒に遊んでくれますか?>


 本当は、一年後も友達のままでいてくれるか、と聞きたかった。ネットゲームで一年間ログインしなければ、全く周りについていけなくなる。ゴウとの差は今まで以上に広がってしまう。レベル的にも、情報的にも、ルリマキはゴウにとって「上手い」友達ではなくなってしまう。


<なに言ってんのwwww>


 ルリマキの決死の問に、ゴウが笑った。


<リアルで転勤とかで会えなくなっても、友達じゃなくなるわけじゃないじゃん。それと一緒だよ>


 そんなの知らない。そんなリアルなんか知らない。でもゴウが言うのだから、きっと友達とはそういう物なのだろう。


<はい>


<リアル事情でログインできなくなることなんてよくあることだしさ。リアル大事だよ。ここってさ、リアルで頑張って、それで来れる場所だと思うんだよね。だから何だか知らないけど、一年間頑張ってねえ。戻ってきたらレベル上げとか手伝うからねえ>


<はい>


 ゴウの言葉は一年間、舞姫を支えた。


 一年の間ルリマキは学業に専念し、見事高校入学の推薦を手にしたのだった。


 合格が決まってから入学までのわずかな時間は頑張った自分へのご褒美だ。久しぶりに友達に会える。少しの不安と大きな期待。ログインすると、すぐにゴウからメッセージが届いた。


<ルリマキさん、おかえり!>


 ゴウが言ったことは本当だった。一年間合わなくても、大事な友達のままだった。


<ただ今戻りました>


 ゴウは一年前の約束通りにレベル上げを手伝ってくれ、その間に変わったことなどを教えてくれた。しばらく離れてみると、ネットゲームの中の変化がどれだけ早いかが良くわかる。完全に浦島太郎だが、それはまた学べばいい話だ。ゴウとの共通の友達の中にも、一年と言う間に自分以外にも来れなくなった人もいるし、ログインが減った人もいるそうだ。これもゴウの言った通りだ。もしそんな友達が帰って来たら、自分もゴウと同じように、真っ先に声を掛けよう。無口な自分のアバターだって、大事な友達に「お帰りなさい」位は言う筈だ。


 こうして復帰して数日後、ルリマキはゴウと共に奇妙な依頼を受けることになる。それはいつもの冒険と同じように、ゴウからのフレンドメッセージから始まった。


<ルリマキさん、確かギンエイのファンだったよね?>


<はい>


 もちろん大ファンだ。彼に憧れて≪エタリリ≫を始めたのだから。


<うまくいったらギンエイと遊べそうなんだけど、どう?>


 どうもこうもない。あこがれの人と大事な友達と、一緒に同じ時間を過ごせるなんて。一年間頑張ったご褒美にしても破格だ。


<すぐに行きます。どちらに向えばいいですか?>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る