第11話 眠りにつく騎士
今日は久々のログインだった。丸二年ぶりだ。二年前はゲームが大好きだった恋人の翔太に付き合って一緒に遊んだ。あまり長い期間ではなかったけれど、その時はなかなかに楽しかったと思う。
久しぶりのゲームの世界は色々なことが変わってしまっていて、すぐには馴染めそうになかった。もっともそれほどゲームがやりたかったわけではなくて、ただなんとなくログインしてみただけではある。
その日あった占い師さんの言う傷口に、自分で触ってみたくなったのかもしれない。
可愛がっていた後輩が急に付き合ってくれなんて言うから、どうしていいかわからなくて、何でもいいから翔太との思い出に触れてみたくなったのかもしれない。
あの占い師さんは一つだけ間違えた
私が失ったのは恋ではなくて、愛だ。
ドワーフの騎士こと石田美咲とその恋人だった前田翔太は、今の職場で出会った。二年の交際を経て、間もなく慎ましくも幸せな結婚する予定だった。
交通事故だった。
石田美咲の運命の相手はあっけなくこの世を去った
もう二年前の話だ。
翔太の死の直後は自分がどうやって生活していたのかも覚えていない。気が付けば一年が過ぎていた。
それから自分を取り戻し、周囲に取り繕うことができるようになるのにもう一年。
翔太さんだってきっと、あなたが元気でいてくれることを祈っている。そんな風に言われて、そうだねと返して、美咲自身もそう思った。
いつまでも悲しんでばかりではいられない。生きている自分は前に進まなければならない。
自分では出来ていると思っていたけれど、翔太が死んで日から二年と五十日目の今日、仕事を終え、帰宅しようとしたときに思いがけない出来事があった。
「美咲さん。お話を聞いていただけませんか」
翔太が弟のように可愛がっていた職場の後輩、丸山豊が美咲に交際を申し込んできたのだ。
豊は翔太の大学からの後輩で今の会社にも翔太の誘いで来たらしい。会社の帰りに翔太が声を掛け三人で食事をしたりした。
ちょっと頼りないところもあるが義理堅いやつで、翔太は豊のそんなところが気に入っていて、豊も翔太に良く懐いていた。
美咲にとっても弟みたいな存在だった。翔太が死んだ時には色々と心配して助けてくれた。意地になったみたいに仕事を続け、実家に帰ることを拒んだ美咲のことを、本当によく助けてくれた。
たぶん美咲が自覚している以上に助けて貰っていたと思う。
「翔太先輩には本当にお世話になりました。その恋人であった、いや、えっと、恋人である美咲さんに対して、その、無神経で調子のいい奴と思われるかもしれませんが、考えて見て貰えませんでしょうか」
「どうしたの、急に」
それだけ返すのが精いっぱいだった。嬉しいとは思わなかったが、腹立たしいとも思わなかった。驚いたというより何を言われているのかわからなかったのだ。
「急ではありません!」
急ではありませーん、と急に大声をだすものだから美咲は思わずびくりとなる。豊が何を言っているのかいまの状況を少しだけ理解する。
「あ、その、すいません。でも思い付きとかじゃないんです。その、昔から、いや翔太先輩が生きていたころから、その、邪な思いを持ていたわけではないのですが、憧れていて、でも先輩が亡くなったからというわけでもなくて、その」
豊は一生懸命だった。翔太への義理と、美咲への言い訳と、豊自身への言い訳と、美咲にも自分にも言い訳したくない気持ちと。
それを全部いっぺんに伝えようとして、言葉が渋滞している。
そんな一生懸命にどう向き合っていいかわからないまま、
「ごめんね、ちょっと考えさせて」
そういって、その場から逃げるように。
いや、文字通りその場から逃げ出した。
後ろで豊が、がばっと頭を下げたのが分かった。
気が付くと部屋に帰ってきており、椅子に座っていた。夜の九時を回っている。食事もとらないままだったが、空腹は感じなかった。
座ったまま、豊に言われたことを思い出す。
豊はきっと本気だ。
豊のことは嫌いではない。だが弟のようなもので恋愛対象ではなかった。
でも翔太はもういない。
何時までも悲しんでばかりはいられない。生きている自分は前に進まなくてはいけない。
そう言うことなのだろうか。
どうするのが正しいのだろう。今どのように感じるのが正しいのだろう。
誰かに相談したかった。翔太に相談したかった。でも部屋の中には翔太につながるものは何もない。
立ち直らなければならないと、全部処分してしまったから。写真も、SNSの履歴も、全部。
ふと気づくと帰ってきてすぐに立ち上げるのが習慣になっていたパソコンが見慣れない画面になっていた。
ゲームのアップデートの画面だ。電源を入れた時にネットを開こうと思って間違えてアイコンをクリックしたのかもしれない。
<エターナルリリック・オンライン>
ややあって、それが以前に翔太と一緒に遊んだゲームだと思いだす。二年ぶりのアップデートが間もなく終わろうとしていた。
かすかな翔太への繋がりを求めて、美咲は<エターナルリリック>にログインした。
インしてみると、自分は町の中にいた。二年前にそこでログアウトしたのだろう。
リアルの町と同じように作り物の街は自分と関係なく賑わっており、その街に立つ自分のアバターは、自分と関係なく胸を張って立っていた。
隣で楽し気に話をする二人がいる。<占い屋>との看板が出ていた。誰に聞いて貰うわけにもいかないいまの気持ちを相談するのにはちょうど良いかもしれなかった。
「なに?占い屋さん?へえ、面白そう!」
アバターは自分の心を隠してくれる。リアルで取り繕うのよりもずっと楽だ。二年前とかわらず見るからに元気そうな自分のアバターは、きっとこんな風にしゃべると思った。
「へいらっしゃい、占い屋だよっ!なんでもみるよっ!」
占い屋さんの隣にいた人間族の戦士が答える。自分もそれに調子を合わせる。
「へえ、威勢のいい占い屋さんだね!」
「わりわり。占い屋さんは俺じゃなくてこっちのコヒナさんね」
「どうぞ~。よろしかったらこちらに御掛け下さい~」
緑のドレスに大きな帽子、ジャラジャラといろいろなアクセサリーを付けた小さな占い師が、にこっと笑った。
「何を見ましょうか~?」
「んとね~。職場でね、コーハイからコクられちゃってね~。でもね~。年下だからどーしよっかってね~」
自分の元気そうなアバターと、楽しそうに話していた二人につられて、口から出た相談内容は軽薄なものだった。だが真面目に聞いて貰いたいわけではないので、これでいい。
でも次に
「では~、その方との今後、と言った形で占ってみましょうか~?」
そういわれて躊躇ってしまった。
「ん~。いや、待って、普通に恋愛運で!他にもなんかあるかもしんないし!」
見て欲しかったのは、豊には申し訳ないけれど、豊との今後ではない。本当は恋愛運でもなく、今どうしたらいいのかだったのだけど、今更それを言い出すことは出来なかった。
「はあい。では、恋愛運として、カード3枚、開いてみてみますね~。少々お待ちください~」
そう言って占い師は動かなくなった。思ったより時間がかかる。本当に画面の向こうでタロットカードを並べているのだとわかった。不思議な緊張感が満ちる。
——<恋占い>が、始まる。
こんな風に見てもらうなら、本当は恋愛占いじゃなくて、私はどうしたらいいかを。
「結果が出ました~」
「おお~、待ってました!」
さっきのテンションのまま返事を返す。このまま今後の出会いや恋愛のアドバイスを聞くのはちょっとキツイかもしれない。
しかし。
「今は、恋をしない方がいいです~」
じゃらじゃらとアクセサリーを付けた小さな占い師は、そう言ってくれた。
「それは、何故?」
「今は、恋をしようとしても、できないと思います~」
「…うん」
「過去の位置に出ているカードは、《
「うん」
当たり、だ。失恋とはちょっと違うけれど。
「2枚目のカードは《
「…うん」
これも当たり。
「3枚目のカードは、《
ああそうか。私は悲しい。まだ、悲しんでいたいんだ。
「ねえ、占い師さんさ、私まだ悲しんでいてもいいと思う?」
言って欲しいことを言って貰えたから、本当に聞きたかったことを、ぶつけてみる。
「よく言うじゃない。恋を忘れるには新しい恋って。いつまでも過去にしがみついてちゃいけないって。自分でもそう思うんだ。だから頑張ってみたんだよ。でもまだ休んでていいのかなあ。頑張らなくてもいいのかなあ」
占い師さんが頷く。
「《
ああそうか。私の心には、まだ剣が刺さっているのか。それなら確かに恋なんかできない。
「そうかあ~。足が折れてたら歩けないよね。なるほどねえ。だから「出来ない」なんだね。うん、そうだね」
「しばらくは、傷が癒えるのを待って、ゆっくり休んでいただくのがいいと思います~」
そうだ、それがいい。
「ねえ占い師さん、いつかはこの傷治るのかな。通に笑ったり恋したり、できるようになるのかな」
ついでだから甘えてみることにした。
「私の、タロットの占いはあまり長い時間を見るようにはできていません~。だから、占いとしてお伝えすることはできませんが~」
そうか、この占い師さんにも、先のことはわからないんだな。
「傷はいずれ癒えるものだと聞きます。だからそれまでゆっくりお休みください。いずれ来る新しい恋のために、心の傷を癒し、力を溜めて下さい~。3枚目のカードはいずれ再び戦地に赴くために、体を休める騎士のカードです~」
占い師さんは私がつらい失恋をしたと思っている。多分、フラれたのだと。それで落ち込んでいると思っているから、アドバイスがちょっとだけズレている。でも言っていることはわかる。
「ふふ、戦地か。なるほどね。そっか。ありがとうね」
それならば、何時か私も立ち上がれるのだろう。あれからもう二年、でもまだ二年だ。もう少しは休んでもいいのだろう。
「ねえ、占い師さんはいつもここにいるの?」
「ログインしていればおります~、でも一月くらいで別のゲームに移動します~。またしばらくすると戻ってくると思いますが~」
次に会えるのは何時になるだろう。自分が今後ここに来ることは少ないと思うし、来ても会えない可能性が高そうだ。でも、ちょうどいいのかもしれない。
「そっか~。じゃあ今日会えたのはラッキーだったんだね。じゃあもし、逢えたらさ。その時にはまた、見てもらえる?」
「もちろん、喜んで~!」
その時には起き上がって進んでいるなんて結果が出るだろうか。それとももう少し休もうと言われるだろうか。
いつまでも悲しんでばかりはいられない。生きている自分は前に進まなくてはいけない。
でもそれは、今でなくてもいい。
だって心臓に剣が刺さっているのだ。まだ傷は塞がっていないのだ。
占い師さんに別れを告げ、町の中を歩いてみた。せっかく来たのだから、もう少しこの世界を見て行ってもいい。
そういえばこの世界にも、自分の家なんてものがあったことを思い出す。アイテム袋を探すと自宅用の帰還石が入っていた。
ゲームの中の自宅は、リアルで住んでいるアパートよりは多少広いか、という程度。その小さな家に不釣り合いに大きな本棚が壁一面に敷き詰められている。
もっと可愛い装飾にしたいと美咲は言ったのだが、翔太が本棚を置くと言って聞かなかったのだ。とうとう根負けしたが、まさか壁一面が本棚になるとは思わなかった。
―此処は、二人の家だった。
立ち直るためにとリアルでは多くのものを捨ててしまったけれど、この家では二年前のまま、時が止まっていた。
美咲が選んだベット。並べて置いた作業台。食卓はたしか、翔太が作った。テーブルクロスは美咲が作った。
よく見ればどちらにも、名前が入っている。壁紙や家そのもののデザインだって、二人で話し合って決めたの。
柱にかかっているのは二人で撮った写真。
狭い家の中に、翔太との思い出がいっぱいだった。
気が付けば美咲は泣いていた。でも泣いてあたりまえだ。私の心にはまだ剣が刺さっている。痛いのだから泣いて当然だ。
「翔太、翔太ぁ~」
最後に泣いたのは、何時だったか。もう泣かないと決めたのは何時だったか。
時を止めた部屋の中に自分のアバターを置いて、声をあげて泣いた。
顔を上げるとゲームからは強制ログアウトさせられていた。ずいぶん時間がたっていたらしい。
時間は12時を回ろうとしている。夜更かししてしまった。明日も仕事だ。すぐに寝る準備をしなくては。
でも寝る前に豊にメールを送ることにした。
<今日はごめんなさい。でもやっぱり、私はまだ立ち直っていないみたいです。今はまだ、他の人とのお付き合いは考えられません>
すぐに返信が来た。
<美咲さんのお気持ちも考えず、申し訳ありませんでした。しばらく控えさせていただきます。本当に申し訳ありませんでした>
色々伝えたいことがあるだろうに謝罪だけを示した文面。豊の人柄が改めて伝わる。そもそも豊が今日という日を選んで思いを伝えてきたのは、豊の命日から四十九日を避けてのことだ。
多分考え方としては間違っているのだけれど、嫌いな気の使い方ではない。豊は美咲にも翔太にも誠実であろうとしている。
いい奴なのだ。
自分等に構っていないで誰かを探せばいいのにとも思うが、それを口に出すのは違う気がした。
自分には他の人のことを気にかけるだけの余裕は無い。余裕なんか無かったのだと今日改めて知った。少なくとも今はまだ。
部屋の明かりを消してから少しだけカーテンを開けた。これは朝に光が入ってきてすぐに起きられるようするための美咲の習慣だ。
外灯や信号の光が差し込む部屋の中、石田美咲は眠りについた。
タロットの実物を見たことがない彼女には知る由もないことだが、その姿は、ステンドグラスのある部屋で眠りにつく騎士が描かれた、タロットの≪
https://kakuyomu.jp/users/Kotonoha_Touka/news/16818093080701300186
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます