2.デキるようになったわね!

 鳳澄ほずみが、もといヒューマノイドが、ずかずかと食堂に入ってくる。


 手に、けっこうな大きさのビニール袋を持っていることに、五乃ごだいは今さら気がついた。人間の観察力の、限界というものがよくわかる。


「もうコート着てるってことは、帰り支度よね? はい、これ! 差し入れだから、適当に何個か持ってって」


 食堂のテーブルの上に置かれたビニール袋から、中身が転がり出る。もうすぐ誕生から一世紀を迎えようとする、赤と緑の和風カップ麺だった。


「おー……ありがとな」


 五乃ごだいは、とりあえず素直に、礼を言った。


 帰省の手土産てみやげっぽくないな、と一瞬だけ思ったが、そもそも本人が移動していないのだから、現地調達は当然だ。電子決済機能があるなら、むしろ現地土産げんちみやげを自分あてに買い回るのが、正しい使い方かも知れない。


 それでも、赤と緑の組み合わせに、五乃ごだいは言わなくていいことを言いたくなった。


年越としこしだから、そばはわかるけど……なんで、うどんもセットなんだ? オトコなら、太くて長くてコシも強く、ってか?」


「あ、先に言われちゃった。デキるようになったわね!」


「そりゃどうも」


 だいぶロサンゼルスのノリに馴染なじんできたようだ。ロサンゼルス住民の感想はわからないが、代表者の鳳澄ほずみのせいにして、五乃ごだいは緑のそばを取り出した。


 ラップとふたをはがす。状況が許す限り、もらったらすぐにいただくのが、差し入れの作法というものだった。


「ちょっと。そこまでわかってて、なんで緑のそばなのよ?」


「差し入れなんだろ? 好きに食わせろ。俺は、ロサンゼルスのマッチョガイじゃないからな。長ければ細くつつましくで、充分なんだよ」


「そんな元気のなさじゃ、モテないでしょ」


「大きなお世話だ」


 自分でも思っていたことを直撃されて、五乃ごだいがまた、渋面じゅうめんになる。モニター画面の向こう側で、鳳澄ほずみがニヨリと笑った。


大晦日おおみそかなのに深夜残業。帰り際にも、なんとなく職場でダラダラ。カップ麺を平気で食べるってことは、家で待ってる料理もなし……誰ともつき合ってないっての、本当みたいね」


「おまえ、自分の差し入れを食わせる気がないのかよ? 俺のことなんか、からかってないで、さっさと本命のところ行けって」


「本命?」


一条いちじょう先生せんせいは、九階の医局長室だ。北棟きたとうのエレベーターを降りてすぐ、インターコールの端末がある。IDカードは、ほら、俺のを使え」


 一般外来と入院病棟は八階までで、それより上階へ行くエレベーターは病院職員の専用だ。五乃ごだい鳳澄ほずみに、首から下げていたIDカードを外して、ほおる。


 意外ときれいな動作で、ヒューマノイドがキャッチした。こういう動きは自動制御なのかも知れない。


 技術者として興味を引かれたが、この状況で全身を見回したり触ったりすると、法的にはともかく相互認識的に犯罪が成立しそうなので、五乃ごだいはおとなしく緑のそばに給湯器のお湯をそそいだ。


 鳳澄ほずみがIDカードを、ひらひらと振る。


「ありがと。レンって、ぶっきらぼうなくせに気が回るよね」


「礼くらい、素直に言え」


 テーブルに戻って、カップ麺が満載まんさいのビニール袋からばしを出したところで、ふと、五乃ごだいの思考が引っかかる。


「あ、ちょっと待て! そんな格好、いや、電波たれ流しで院内を……」


 言った時には、もう遅かった。


 これまた妙にスムーズな動きで、ヒューマノイドが食堂を出て行った、まさに瞬間だった。なるほど、基本動作は外部センサーを同期して、パターン化されているのだろう。


「まあ、今どきの機械で混信もないか」


 電波が混信するということは、対象以外に内容や位置関係を傍受ぼうじゅされるということだ。


 民間産業でも、情報の保護や事故防止で、規格の技術レベルは高い。まして兵器の大部隊を遠隔操作する最新軍事技術の転用に、それらの対策がされていないわけがない。


 五乃ごだいは気を取り直して、緑のそばをすすった。興味のかけらもない歌番組も、記憶に染みついた味を再確認しながらであれば、それなりに楽しめるというものだ。


「食べ終わる頃には、戻ってくると良いんだけど……あんなのじゃ、一条いちじょう先生せんせい、説教が長くなるかもな」


 IDカードを、預けたままにはできない。食べ終わっても待たされるようなら、ついでに赤いうどんも食ってやろうか、と考えていると、自動扉の開く音がした。


 鳳澄ほずみにしては早すぎる。


 見ると、小柄こがらでショートボブ、今月と来月だけ一歳差になる二十六歳の、職場仲間の医師、三鷹みたか茉子まこが立っていた。ケーシー白衣の上下が、少しくたびれている。


「あ、レンくんだ。お仕事上がりですか、裏切り者ですか。お疲れさまでーす!」


 これまた、からかうような半笑いに、五乃ごだいが顔をしかめた。


三鷹みたか先生せんせい……その呼び方、いいかげんに……」


「聞かれて困る彼女ができたら言って! 一晩おいて『五乃ごだいさんプラス敬語けいご』に戻してあげるから」


「誤解の上に誤解を重ねるスタイル、やめてもらえますか」


 三鷹みたか童顔どうがんで、愛嬌あいきょうがあり、きびきびと働いて病院内の評価も高い。夏にこの病院で鏑木かぶらぎ博士はかせ看取みとった件、秋のアメリカ旅行の件で、一緒に巻き込まれた五乃ごだいには、かなり親しげに接してくるが、それで喜ぶほど五乃ごだいも単純ではない。


「この病院、可愛い看護師さんいっぱいいるし、レンくん良い人ってみんな言ってるよ。がんばってねー」


「絶望的な情報、ありがとうございます」


 三鷹みたかの顔にも、私は眼中にないけれど、と大書きされている。


 病院スタッフというのは、ちょうがつく格差社会だ。高学歴、高収入、常に清潔せいけつ主幹業務しゅかんぎょうむを遂行する医師たちは、まず、よほどの性格破綻者せいかくはたんしゃでなければ他のスタッフから尊敬される。


 看護師は伝統的に、現代でも女性が多い。そして医師を含めて、交代制の昼夜勤となれば、病院内の人間関係は濃縮のうしゅくされる。


 こんな状況で、特に女性スタッフが、出向の技術者なんかとどうこうなれば、妥協しました、と大声で吹聴ふいちょうするようなものだ。


 競争原理は、生物の進化と資本主義の鉄則だ。理不尽ではない。


 五乃ごだいは肩をすくめて、そばを、またすする。テーブルに転がる大量のカップ麺に、三鷹みたかも気がついた。


「なにこれ、すごい! うどんとおそばが山盛りだね。食べて良いの?」


「どうぞ。鳳澄ほずみ……ええと、一条いちじょう先生せんせいの娘さんからの、差し入れです」


「え? 鳳澄ほずみちゃん来てるの? どこどこ、教えてよ! 会いたい!」


 来てるか、と言われれば来ていないし、どこか、と聞かれればアメリカのロサンゼルスだ。


 五乃ごだいは一瞬だけ考えて、すぐに説明をあきらめた。

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