1.みんな俺より元気だ

 西暦二〇七四年のとしは、おおむね平和だった。


 この場合のおおむねとは、全人類の七十%を指している。軍隊の場合、兵数の三十%が損耗そんもうした時点で全滅と定義される。つまり、全人類全滅でない限りは、おおむね平和ということだ。


 その、おおむね平和の代表格である日本の、とある大病院の、とある職員用食堂のすみっこで、五乃ごだい蓮支れんしが冷えた珈琲コーヒーをすすっていた。


「とにかく一年、お疲れさまだ……今年の俺。なんとかがんばれ、来年の俺」


 むなしいひとごとに、こたえる相手はいない。壁面の大型モニターには、年末恒例の歌番組が映っていた。


 五乃ごだいは今月、二十五歳になった。ちょうど、若者が周囲に感じるセルフ閉塞感へいそくかんとか、年配者が振り返りたがる人生の荒波あらなみとか、そういうヒット曲のテーマにかすりもしない年齢だった。


「すごいな……世の中、みんな俺より元気だ」


 ヒットする音楽は、多くの人間が共感したということだ。喜怒哀楽のどれであれ、ゆさぶられるには、精神的なパワーとかカロリーとか、そういうものが受け手の側にも必要だろう。


 大晦日おおみそかの残業を片づけ、帰り支度を済ませて、なんとなく珈琲コーヒーを片手に座り込んだら、立つ気が起きない。五乃ごだいはしみじみと、無味乾燥むみかんそうな平和をみしめた。


 五乃ごだいの仕事は、医療機器メーカーからこの病院に出向している専門技師で、少し長めの髪と、ジム通いで引き締めた身体に、それなりにちゃんとしたグレーのスーツとコートを着ている。


 社会人としての体裁ていさいを、なんとか整えた辺りで、電池が切れた。それが五乃ごだい一事いちじで、万事ばんじだった。


 珈琲コーヒーを飲み終わると、動かないでいる理由もなくなった。行動原理まで消去法で、五乃ごだいは立ち上がろうとした。


 寸前、食堂の自動扉の開く音がした。


「あ、レンだ! ヤッホー、こんな時間までお仕事、お疲れさん!」


 普段は聞き慣れない、華やかで、ちょっと押されるくらいの力感りきかんに満ちた声だ。


 五乃ごだいは、少し戸惑とまどってから、渋面じゅうめんになった。それほど奥でもない記憶の引き出しに、勝手な呼び名をつけた声のぬしが思い当たる。


「前にも言いましたがね、日本は距離感とか空気とか、大事だいじなんすよ。一条いちじょうさ……」


 立ち上がって、自動扉の方を振り向いて、五乃ごだいは絶句した。


 艶消つやけしクロームメッキのフレームと、プラチナホワイトのカーボン樹脂じゅしカウルが構成する胴体と手足、二メートルほどの身長に、蛍光グリーンとスカイブルーの流線ラインが美しい。


 全体的に、洗練されたスポーツシューズのようなデザインの、人型機械が立っていた。


 頭の部分が幅広のモニターで、画面には、アッシュブラウンのふわりとした髪を背中に流した、目鼻立ちも化粧けしょうも濃いめの美人が、笑顔で映っていた。


「おまえ……鳳澄ほずみ、か?」


「イエース、アイアム! オンラインで参上、レンタル・ヒューマノイドの一条いちじょう鳳澄ほずみさん(代理)かっこだいりよ。どう? イカしてるでしょ!」


 自分の台詞せりふを自分で無視して、五乃ごだいは呆然と、名字みょうじをつける、敬語で話す、をすっ飛ばした。人型機械が、器用にサムズアップをした。


 一条いちじょう鳳澄ほずみは、この病院の医局長である一条いちじょう桃弘ももひろの娘だ。二十二歳、ロサンゼルスの大学に留学していて、五乃ごだいとは一度、この年の秋に面識があった。


 五乃ごだいからすれば職場上長しょくばじょうちょう一条いちじょう桃弘ももひろと、同僚どうりょうではないが職場仲間の医師である三鷹みたか茉子まこ、そしてこの病院の理事長である鏑木かぶらぎ小百合さゆりの四人で、奇妙なアメリカ旅行をした。鳳澄ほずみは現地で合流し、道中を共にした間柄あいだがらだ。


 その時は、少なくとも人間だったはずだ。


「なんだ……? その、おまえ……なに……?」


「だから、レンタル・ヒューマノイドよ。軍民転換ぐんみんてんかんってやつ? この前、レンたちも話に入ってたじゃん。あれの平和利用バージョンよ」


 五乃ごだいは呆然としたまま、鳳澄ほずみのことと同じように、記憶の引き出しをひっくり返した。


 アメリカ旅行で五乃ごだいたちは、鏑木かぶらぎ小百合さゆり亡夫ぼうふ鏑木かぶらぎ日葵はるき・医学博士の、秘密の研究の足跡そくせきをたどることになった。


 それは最終的に、アメリカ国防総省が管轄かんかつする軍事機密、すでに実戦配備もされている遠隔操作型の機械兵士マシントルーパーと、統合ネットワークで連動する無人の諸兵科連合機械部隊コンバインド・マシーナリーフォースの開発史にまで行き着いた。


 機械兵士マシントルーパーは、人体と同程度の容積、重量、既存きそんの銃火器をそのまま運用できる操縦性を持ち、バッテリー駆動による静音性、複合樹脂装甲材ふくごうじゅしそうこうざいによる耐久性、各種情報リンクによる正確性を備えて、拡張モジュールによる多機能化・重火力化も可能な万能兵器だ。


 それをかなりの簡素化かんそか、ブラックボックス化、デチューンは当然しているにせよ、民間利用を早々にやってのける大胆さは、さすがフロンティアスピリッツとフリーダムとジャスティスの国だ。


「アメリカ国内なら、もうずいぶん普及してるけど、日本にも営業支店サテライトができたって聞いたからさ。使ってみたの! こっちはレンタル会社のオペレーションルームで、ゲームの筐体きょうたいに入ってるみたいな感じ。時差十七時間、まだ大晦日おおみそかの朝六時よ。ハッピーニューイヤー!」


 機械兵士マシントルーパー、オブラートに包んで言えばレンタル・ヒューマノイドの、頭部モニター画面の向こう側で、鳳澄ほずみがはしゃぐ。どういう仕組みになっているのか、ヒューマノイドも、まるで本人のように身振り手振りではしゃいだ。


 これ、いざ戦争になったら、相手国の中で一斉に軍事行動を始めるんじゃないか。


 五乃ごだいは、げんなりとしたが、まあ、日本は二十世紀後半からずっとそんなものだったので、気にしないことにした。


「状況は、それなりにわかったけど……いや、こっちだって、ハッピーニューイヤーはまだ早いぞ。時差まで言っておいて、なんで計算はサボるんだよ」


「細かいなあ、レンは。パパみたい」


 今度はモニター画面の鳳澄ほずみの方が、少しげんなりした苦笑で、肩をすくめた。ヒューマノイドも、肩をすくめた。


「パパも、年に一度は帰って顔を見せる約束だったんだけど、後回しにしてたら小言がうるさくってさ。しょうがない、帰ってあげるかー、なんて思ったら、今度はあたしの方が来年の卒業まで、いろいろヤバくなっちゃって……で、これを思いついたの。オンライン・リモート帰省、アメリカじゃ日常茶飯事にちじょうさはんじよ!」


「それは帰省になるのか? アメリカ人は未来に生きてるな」


「『こんな形でしか会えなくてごめんよ、ハニー。本当は今すぐ君を抱きしめて、ぬくもりを感じたいよ』『良いのよ、ダーリン。玩具おもちゃはいっぱいあるから、ソコにしっかり固定すれば、大体同じだわ』なんてね! あははははははっ! ロサンゼルス・ジョークよ!」


 鳳澄ほずみが自分の下ネタに、自分で大笑いする。初対面の時と変わらない勢いに、五乃ごだいは、改めてげんなりとした。

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