I wish be happy
「お茶を飲んで戻るといい――各寮の事はついでにブラウン兄弟へ任せておいたからね。三人とも、あとで元気な姿を見せてあげなさい」
カップから立ち上ってくる湯気で頬が暖かい。
「………賢者」
沈黙を経て、吐き出されたノーラの声は責めているようにもすがっているようにも聞こえた。
「どうして、あんな恐ろしい場所を野放しに…」
「ワタシが生まれた村は魔王領がすぐそばでね」
「あの」
遮ったノーラにお茶を勧める仕草をすると、自身もカップを持ち上げる。
「強い魔物が頻繁に現れる土地だった。おかげで幼馴染と二人、十歳の頃には名のあるパーティーになって、君たちの年齢にはセンガルズ国で雇われていたよ。ワタシは大魔道士、彼女は聖騎士団団長――幼馴染でもあり戦友でもある彼女が勇者と呼ばれる頃には、……ワタシたちは魔王領へ進軍をはじめていた」
俺は、手にあるお茶の事もすっかり忘れて、祖母の幼馴染から今、賢者と呼ばれる人を食い入るように眺めていた。
「ワタシたちはそこで、初めて魔族を見たんだ」
アーリーはしばらくお茶に口を付けたまま、眉間に皺を寄せる。
「生きる為に魔物と戦って来た。だが、ワタシたちとそう変わらない生活をしている彼らへ武器を向ける事が人殺しとどう違うのか。自分たちのしている事は正しいのか……これは本当に侵略行為ではないのか」
苦悶の表情から、俺と目を合わせた彼は少しだけ微笑んだ。
「彼女がね、ワタシ以上に思い詰めていたことは知っていたんだ。魔族と頻繁に会っている事にも気付いていた――まさかそれが魔王だとは思いもしなかったが――それを咎めるべきなのか、結局、ワタシには最後まで分からなかった。
………彼女が魔王と共に姿を消して、今迄の功績で爵位や賢者といった称号をもらったりしたのだけれどね、どれだけ楽しく過ごしていてもどこか頭の片隅に必ずあるんだ。
もし彼らに子が産まれたとしたら……その子はこの世界で、どんな風に生きられるのだろうか、と」
気付けばノーラも前のめりになっている。
「いても立ってもいられなくなってね。旅をはじめてみると、混血種と言う存在は考えていた以上に多い事を知った。人の目に、魔族の目に触れないよう暮らす彼らにとって、この世界がどれほど生きにくいかを目の当たりにしたんだ。
さすが賢者は人道的だなんて、皮肉も賞賛もたくさん言われたけれどね。彼女が最後に目撃されたカルティエ村に近い場所で、ワタシは混血種が学べる場所を作ろうと考えた。
セントズワインド――聖女の杖。
戦わなくなっても、ワタシは彼女の杖でありたかったんだと思う」
だがねぇ。
うわ言のように呟いたアーリーは渋い顔のまま、白髪混じりの髭をなぞった。
「実際はなかなか思った通りにいかなかったよ。言ってしまえば金銭面だったから、悩んだ挙句に貴族院と併設して造る事は成功したがね………これもまた一つの形かも知れないと思いたかったワタシに対して、ピムス・ウォーカーやマルコ・ボレロのような生徒は後をたたなかった。
学院の横にあるあの森は、長く自殺の森と呼ばれていたんだ」
お化けをみたように青くなるノーラの横で、クリフは静かにカップを傾けている。
「いつからか、そんな森にマリア・ロロが現れるようになった。学院に疲れ、国に戻る場所もないワインドたちにとって最後に救いの手が伸びる場所…あの森が女神の森と呼ばれるようになるまで、そう時間はかからなかったよ」
「ですが、彼女は人を殺しです。なぜ…」
理解が追いつかない様子のノーラに、アーリーは笑みを向けた。
「――ロロの箱庭はね、貴族以外は城下に住む人間ですら知らない場所だ。そしてここには暗黙の絶対ルールがある。決して彼女が愛するコレクションを傷つけない事――禁を破れば、いかに金を積もうと情に訴えようとロロは殺しにかかってくる。魔族のロロに人間の法は関係ない。当然…今回のような事は今までもあった。
だが、わかっていても貴族たちはお金を払って、危険で甘美な蜜を飲みに集まって行く」
「…そんな」
「世の中には、正しい事と間違っている事が一つづつではない。またそれはハッキリ分かる形もしていない……だからこそこの学院は法を学び、セントズ、ワインド関係なく触れ合い肥やす場所にしたいと今でも思っている。
流されて決めるのではなく、選び取れるような者になって欲しいと願っている。
…現実は上手くいかないものだが……それも含めてワタシは、この学院をただ辛いものではなく、生きる糧にして欲しいと思っている――なぜならこの世界に生まれてきただけで、ワタシも君たちも…とても強いはずなんだ」
次の日、放課後。
物憂げな顔をして歩くノーラを見つけた俺は、半ば強引に連れ出して城下町へ向かった。昨日の道を思い出しながら辿っていく俺の背をノーラが叩く。
「ナツキ、まさかとは思うがマリア・ロロの所へ行こうとしてるんじゃないだろうな!?」
「うん」
「うん、って…! ピムスの事はもういいから、お前もこれ以上マリア・ロロには関わるな!」
「けど、次はもう少しちゃんと話を聞いてくれるんじゃないかと思うんだ…………多分だけど」
「今小さく多分って言わなかったか!? おい! ナツ……」
「ナツキくんだ〜〜〜!!!!!」
扉を開けてすぐ。
白い物体が全力でぶつかって来た。そこはかとなく柔らかいものに包み込まれて、引き剥がすと、ワンピースがふわりと揺れる。
「待ちくたびれたよ〜!」
手放しで喜ぶマリア・ロロに、ノーラは鳩が豆鉄砲を食ったような顔していた。
「……これは…一体…?」
「勝負の時に、誰がじいちゃんなのか気付いたんじゃないかな」
えへへとマリア・ロロは照れたような顔をする。
「実はボクね、一回だけ魔王様に会った事があるんだァ。ちょ〜っと魔眼を盗みに入ったら見つかっちゃったんだけど…。……一瞬だけど、キミホントすんごいソックリだった!!! ゾクゾクしちゃった! そんな超超超レアものなら、言ってくれたら勝負なんて吹っかけずに聞いたのに!」
昨日今日の付き合いだが、話した所で確認と称したマリア・ロロが突撃して来た気がする。俺の腕に絡みついて、マリア・ロロは上目遣いにパチパチした。
「むしろボクぅ、キミの為ならいくら積んでもいいよ? 何が欲しい? お金とか? 地位とか? 国でもいいよ!」
国て。
さらりと並べられる単語じゃない。
「えーっと、その、ありがとう…? でもそう言うのじゃなくって、今日は俺、君に相談があって来たんだ」
キラキラしている目が眩しい。
「…俺の住んでる所にさ、お金を払って、お姉さんやお兄さんとお話しを楽しみながらお酒を飲む店があるんだけど……ロロの箱庭も、そんな風に出来ないかな…って」
ちょこんとマリア・ロロは首を横にした。
「何で?」
「人と魔族の間で話せる空間があったら、お互い、恐怖心から変わっていくものもあるかなって思ったんだ。分かり合える可能性がある事は、俺たちの存在が証明してる訳だし」
「う〜ん…コレクションが増えるのは嬉しいけど……うちは人間が嫌になった子たちばっかりだからなぁ。ボクも外に出して、あんまり傷は付いて欲しくないし」
「キミがコレクションと呼ぶ子たちは、絶対飾っているより磨いた方が綺麗になると思うんだ。磨くからには傷がつく可能性もあるけれど……マリアさんが守っているこの空間なら、必要以上の傷を負うことはないと思う。
これはマリアさんがいて、初めて試せることじゃないかと思うんだ」
「――話の途中で悪いんだが」
ノーラが俺の背から顔を覗かせる。
「確かに私も嫌な目にはたくさんあって来た。だが、だからと言って私たちは守って貰わなければならない程弱い存在なんだろうか? ……そうだと決め付けられるのは多少不愉快なんだが」
不貞腐れたような声を出すノーラを、マリア・ロロの目は穏やかに見た。
「なるほど。確かにキミはピムスには似合わなそうだねぇ」
「………どういう意味だ」
「オモチャに勝てたら考えるって約束だったからさ、ボクも一応、ピムスにキミが来た事は伝えたんだよ? でも彼女、キミに会いたくないって言うんだ」
「!?、どうして…っ」
「ピムスはさ、う〜〜んと……コンプレックス? って言うのかな。ボクには覚えがないんだけど、そういうものが人よりちょっとだけ多いんだ。ボクからみれば、そういう繊細な造りが綺麗だなァって思う所でもあるんだけど。
君みたいに華やかだったり、強度があったりするのも魅力的だけど。でも、触れられたらそれだけで壊れちゃうような脆い子だっているんだ」
「…」
「キミたちは、壊れたからって捨てられる物じゃない。みんなをキミと同じ物差しで考えたらダメだよ」
「わ、私はそんなつもりじゃ…」
「ピムスさんは、ノーラの友達なんだよね」
そう言うと、ノーラはゆっくり俺を見た。深い紫色の瞳が揺れながら頷く。
「じゃあさ、こうすればいいんだよ」
深く息を吸い込むと、俺はありったけの力を込めて叫んだ。
「ピムスさ――――――――――ん、聞こえてますか――!! 俺、ノーラの友達で、ナツキ・カザマって言いま――す!!!! ノーラは君に会いたくて、すごくすごく頑張ったんだ!! だから話だけでも聞いてあげて欲しい!!!
ほら……ノーラ」
ノーラの唇は震えていた。
「でもピムスは…」
「向こうに聞こるとは限らないからさ、ノーラが思った事を言ってみればいいんじゃないかな」
戸惑いながらも少しづつ。息を吸い込んだ背中を押すと、ノーラは一気に吐き出した。
「ピムス!!!!!!!!」
ぎゅうっと拳を握りしめる。
「し、心配したんだ!!! すごく、すごくすごく…!! 会ったら聞きたい事も色々とあった! お前の何をわかってなかったのかとか、幸せなのかとか」
堰き止めていたものが崩れ落ちたように、
「でも、今、そんな事はどうでもいいと気付いた!!」
一粒の涙を追って、ぼろぼろと大粒の涙が床を濡らしていく。
「私は杖なのに、友達なのに、守ってやれなくてすまなかった!!!お前の事を分かってやれなくて本当にすまなかった!!」
しゃくりあげながら。涙を拭いながら。ノーラは懸命に声を張り上げた。
「逃げてくれてありがとう――生きていてくれて、本当に…ありがとうッッッ!!!!!!!!」
ぐずぐず泣くノーラの声が、水を打ったように静かな屋敷に響く。その声にかき消されるくらい小さく、コツンと何かが当たったような音がした。
「…ピムス…?」
「だといいね。聞こえてると良いね、ノーラの気持ち」
「………ああ…本当に。そうだな」
「いいね、キミ、思ってる以上に面白いっ! 面白いよナツキくん!!」
キャッキャとマリア・ロロが手を叩く。あのピムスがね、と呟いたのが、側に立つ俺にはかろうじて聞こえた。
「キミが考えた事はみんなに伝えてみるよ。みんなが試してもいいって言うのなら、ボクは今日からでも磨き始める。それでいい?」
「うん。でも無理をして欲しい訳じゃないんだ。出来る事がある時は言って欲しい」
「やった、約束ぅ〜! これでボクはァ、いつでもナツキくんに会えるね!!」
覗き込んでくるマリア・ロロの真っ赤な左目に、俺が映る。
「でもねナツキくん、これだけは知っておいて。昔の魔王様はね、魔族にも人間にも興味がなかったの。
――だけど今魔王を名乗ってるアイツは違う。
ナツキくんとは絶対に分かり合えないし、キミの存在を知ったら確実に命を盗りに来る。だから絶対にバレちゃダメ」
美しい笑顔は女神そのもの。マリア・ロロは心底愛おしそうに俺の頭を撫でた。
「あんなヤツに壊されるくらいなら、ボクが誰にも見つからない所に隠すからね。ナツキくん」
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