マリア・ロロの憎愛 4

 「寮の門限まで、あと一時間」


 城へと続く大通りからひとつ逸れただけで、賑やかさが嘘のように人影がまばらになっていく。古めかしい建物と建物の間隔も広くなっていって、やがて開けた土地に出ると、夕陽を背に巨大な建物がそびえ立っていた。

 どことなく教会に似ている。


 「門限までに僕たちが帰らなかったら、ジャックとダニエルが学院長室へ駆け込む手筈になっている。咎められるだろうが、…まぁ殺されるよりはマシだろうな」

 クリフの声に、錆びたリング状のドアノブに手をかけていたノーラは一度、手を離した。

 「もしーーもし万が一戦闘になった場合は、私が魔術で応戦している隙に逃げろ。承知していると思うが立ち止まったり、ためらったりしたら巻き込むぞ」

 意味深な笑みを浮かべるノーラに、俺はそろりとたずねた。

 「もしかしてノーラって未だに…」

 「確認は以上だ。………覚悟はいいな」


 ギィィイ。

 全身を使わないと開かないドアが重くゆっくり開いていく。夕闇で慣れていた瞳に、強烈な光が差し込んだ。

 「何だこれは…」

 愕然としているクリフの声。遅れて、ようやく明るさに慣れてきた俺の目に入ったのは――異質な光景だった。


 たくさん並ぶテーブルとソファを囲むようにしてガラスが張ってある。ショーウインドーのようにして飾られているのは、


 人や魔族。


 何十もの生きている目がこちらを向いた瞬間、全身の毛が逆立つのを感じた。自然と後ろに下がる。クリフにぶつからなかったのは、彼も後退っていたからだろう。


 「あれれー? ねぇキミ、こないだ森で会ったエルフと人間の子だよね? もう来てくれたんだ、嬉しいなぁ!」

 「…あれがマリア・ロロだ」

 小さく囁いたノーラは、彼女の背後に立っている山みたいな大男に視線を流した。

 「あっちの男は居なかった。…が、見るだけで物騒な奴だな」

 ズボン一枚。あとは頭のてっぺんまで包帯ぐるぐる巻きだ。所々赤黒く汚れているのが気味悪い。分厚い背中に、大剣二本を背負っていた。

 「ん〜?」

 身を乗り出したマリア・ロロは、白いワンピースを来た少女だ。銀色の髪がさらりと肩から滑り落ちる。

 「んんんんんん~~~~~?」

 左目だけ、血に染まったように赤かった。

 「エルフの子も滅多に見かけない貴重品だけどぉ。…そっちのキミはもーっと珍しいね。血は薄いのにこの圧力…よっぽど強い魔族の親だ。めちゃくちゃ興味あるなァ」


 「前回も会った途端に、私がエルフとのワインドだと見破ったが……あれは一体どう言う仕組みなんだ?」

 「…魔眼かも」

 「魔眼? 何だそれ」

 緊張からか、無意識なのか。クリフは剣の握りに手をかけている。

 「じいちゃんが持ってるんだ。何でも分かる目だって言ってた」

 「ーーナツキのおじいさんならともかく、なんでマリア・ロロがそんなものを」

 「それはねぇ、盗んだから」

 俺たちのひそひそ話に自然な体で入って来たマリア・ロロは、笑顔のまま大男の背を叩いた。

 「これも盗んだの。いいでしょー、強いんだァ! …まぁ、ちょーっと強すぎてアッと言う間に勝っちゃうから、退屈な事も多いんだけど」

 上目遣いに頬杖をつく。

 「それでぇ? そっちの人間は何しに来たの? ボクのコレクションを見るんだもの、タダって事はないよね。お金いーっぱい持ってなきゃダメだよ」

 その妙に大人びた表情がうそ寒い。

 「人間ってホント訳わかんないよね。こんなに美しくて可愛い子たちを勝手に怖がっちゃってさ、その癖お金持ったり地位を得たりすると、お金出してでも見に来るんだもん」

 「コレクションって」

 なんとか絞り出した声は掠れていた。

 「じゃあこの人たち、みんなワインドなの?」

 「そぅ、君たちの学校ではそう呼ぶんだよねぇ。知ってるよ。未練がましいよねぇ? アイツのせいで虐められちゃう子たちを、ボクがここで保護してるの」

 「保護…? これが?」

 呆然と、ノーラはショーウィンドウを眺めている。

 「保護でしょぉ。だって、ココに居れば痛い事も苦しい事もないだもん。人間って嫌なヤツばっかりでしょ? キミだって混血種ってだけで嫌われたり、傷付けられたりして来たんじゃない?」

 ぐるりと見渡したノーラの目はクリフで止まって、戸惑っているようにも見えた。

 「ココに居たらボクが守ってあげられるよ。キミに酷いこと言う奴も、傷付ける奴も許さない。みーんなやっつけてあげる」


 「それで貴様は、ボレロ公を殺したのか?」


 ノーラの視線を受けるクリフは至って冷静だった。マリア・ロロが首を捻る。

 「ボレロぉ? 誰それ?」

 「前の新月、死体で発見された男だ」

 「新月に来たお客さんってこと? ボク、人間の見分けはつかないからなぁ」

 「ピムス・ウォーカーって子を訪ねて来たんじゃないかと思うんだ」

 言うと、

 「……ああ、あの、金さえ払えばいいんだろ人間ね」

 マリア・ロロの声音が明らかに下がった。

 「あの子すんごい怯えてた。なのに酷いことばっかり言って手まで出そうとした。ホント最悪なヤツ」

 「だから殺したの?」

 「アイツ死んだんだ? へぇ、殺したつもりはなかったけど」


 鮮血と黄色のオッドアイが、とろりと溶けるように笑顔を彩る。

 「ボクはただ二度とうちの子に手をあげられないように打ち付けて、酷い事が言えないように口を縫ってあげただ〜け」

 

 ノーラは色を失くした。

 「まさか、それは…ピムスが望んだ事なのか…?」

 「変な事言うね、キミ。どうしてピムスが関係あるの? ボクの物に手を出すなんて、ボクに殺される覚悟がなくちゃしないでしょ」

 「……ピムスに会わせてくれ」

 「ダメだよ。あの子は酷く怯えてるから、まだ当面表には飾らない」

 「頼む、話がしたいだけなんだ」

 「ダメったらダァメ。ここはボクのお城も〜ん。ボクのルールには従ってもらう。キミがボクのコレクションに入るか」

 マリア・ロロはにっこり微笑んだ。

 「ボクのオモチャに勝てるなら、考えてあげてもいいよ」


 ノーラの顔は絶望している。浅い呼吸を繰り返す彼女を背中に隠して、俺は大男を指差した。

 「――その勝負、オモチャ…さんか俺の、どちらかの身体に触れた時点で決着がつく。そういう勝負なら受けてたつよ」

 

 「ふざけるなよ…こんな話正気じゃない…やめておけ」

 「そうだナツキ。…無茶苦茶だ、やめろ」

 ピムスと会うのは諦めるから。

 呟いたノーラとクリフを、俺は制した。

 「どうするのマリアさん。する? しない?」

 「ん~~~ちょっと退屈そうだけど…暇だしまあいいや。じゃあ行くね~~~~、よ〜い、スタート!」


 突然の開幕にも関わらず、大男は鉄砲玉のように飛び出して来た。巨体とは思えないスピードだ。ぐんっと一瞬で距離を詰められて、俺は背後に立つノーラを突き飛ばす。

 「危ないからクリフと居て!」

 「ナツキ、危ない!」

 俺の倍以上はありそうな手の平は、すぐ目の前にあった。

 「もう終わりぃ〜!?」

 マリア・ロロが頬を膨らませる。すぐそこまで迫った手の平を、俺は床スレスレまでしゃがみこんで避けた。そのまま股下を潜り抜け――岩のような背中にタッチする。

 「俺の勝ち」


 マリア・ロロはぽかんとしていた。そのまま二度、三度と瞬いて、全身を使ってブルブル震えたかと思うと、ソファの上を飛び跳ねる。

 「すっっっご〜い! ボクのオモチャも結構速いはずなのに、どーしてあんな簡単に避けれたの!? もしかして予知能力持ってるとかっ!!?? そう言う魔族の血!?」

 「そんなすごい物じゃないよ。徹底的に叩き込まれてるだ」

 「よしッ! じゃあ次ボクの番ね!!!」

 ドンッと大砲が放たれたような音がして、ソファが後ろに傾いた。気が付いたらマリア・ロロが居る。伸びて来た手を避けると、風がかまいたちみたいに頬を切った。

 「ちょ、話が違うだろ!?」

 「ボクも遊びたくなったんだもん!」

 怒涛のように手が迫って来る。二本どころか十本、十五本はあるように見える手が次々と押し寄せてきて、なんとか躱す俺とは対照的に、マリア・ロロは欠伸でもしているような声だ。

 「う~~~ん。腕の動きが鈍ってるなァ」

 「後ろだッ! 男がいるぞ!」

 クリフの声に、俺は両手で床を弾いた。飛び上がった場所に大きな手が降ってきて、文字通り床を掴む。握られた床がぽろぽろ崩れ落ちるのを見て背筋が粟だった。

 「ホント卑怯だな…!」

 「ここではボクがルールなの…だからッ」

 一瞬、大男に気を取られる。そのタイミングで突然マリア・ロロが方向転換した。

 「こう言うのもアリかなぁってさァ!」

 その先には咄嗟に杖を取ろうとしているノーラが居る。そんな彼女を手繰り寄せ、クリフが覆いかぶさった。

 「オイ!!!!!! 止めろッ!!!!!!!!」


 思わず叫んだと同時、色んな事が起きた。


 まず、クリフとノーラに迫っていたマリア・ロロが突如、糸が切れた人形のように体勢を崩した。振り返って、俺を見る目が丸まる見開いていく。

 「………君、まさか…」

 言い終わらないうちに、学院長室に居た老人が瞬間移動で現れた。彼はマリア・ロロへ杖を向けると、


 「ヘブンズスクリームッ!!!」


 陶器みたいに白い天使が次から次と現れる。

 『ひぃやぁぁあああああ!!!!!!』

 天使たちは悲鳴を上げた。耳を劈くような声に撃たれたマリア・ロロは一直線に壁へぶつかる寸前、大男に受け止められる。

 「………アーリー・キデンズか…」

 血が混じった唾と一緒に、マリア・ロロは吐き捨てた。


 いいかい、夏樹。今後家柄を聞かれる事があったら、キデンズ家だと答えな。

 「…キデンズって…」


 「悪いが彼らは連れ帰らせて貰う。君の商売客ではないから、構わないね?」

 「ボクがいいよぉって、帰すと思ってるの?」

 アーリー・キデンズと呼ばれた男はホホッと笑った。

 「君相手で、私が連れて帰れないと?」

 「…」

 「……」

 「………キミを見てから興醒めしたよ。遊んでただけだし、い〜よ」


 胡座を組んだマリア・ロロは、硬く杖を握るノーラに笑みを向けた。


 「エルフの子はさ、ホント人に嫌気がさしたらいつでも来ていいんだからね」

 そうして、オッドアイがとろけるように俺を映す。

 「それからキミ、名前は?」

 「……夏樹。ナツキ・カザマ。……だけど」

 「ナツキ君かぁ…君はぜーったいまた来てね! 来てくれなかったら、ボクから会いに行っちゃうから」

 想像したらとっても怖い。ので、とりあえず頷いてしまうと、マリア・ロロの目はアーリー・キデンズに向くなり睨め付けていた。


 「キミは嫌い。二度と来るな」

 「まぁそう言わず。こう見えて、ワタシは君には感謝しているんだ」

 にっこり笑って、アーリー・キデンズは杖をふる。すると瞬く間に俺たちはーー今朝訪れた、学院長室に立っていた。

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