マリア・ロロの憎愛 3
朝、一瞬、俺は寺に来たのかと思う。
校門に般若が立っていた。
俺を認めるなり大股一直線で歩いて来たクリフに「話を合わせろ」と問答無用で連れて行かれた先は『学院長室』とプレートが下げられていた。
「ちょ、ノックした方が…ッ!」
間に合わなかった。
音を立ててバーンと開けた扉に、クリフの「学院長!」と呼ぶ声が負けてない。
「そいつらが森に居たのには理由があ……」
首を巡らせた全員、お茶を手にしていた。入学式で教壇に立っていた学院長。ノーラ。ジャックにダニエル。その中に混じっている老人を見たクリフが、尻すぼみになっていく。
「ったのですが」
見たことのないグレーヘアーの男は堪えるようにして笑った。
「元気があって大変よろしい。そら…迎えも来た事だ、三人とも教室に戻りなさい」
上から下まで高そうな物に身を包んでいるお洒落な老人だ。立派な杖をついている。
「それからあの森には近づかない事。あそこに居るのは、君たちにはきっと必要のない神様だ」
ただ、目だけが異様に鋭かった。
結局俺は、何のために連れて来られたのか分からないまま。学院長に誘われた双子とノーラ、クリフを追いかけてドアが閉まる寸前ーー隙間から目があった老人は俺を見て、にこりと笑った……気がした。
「?」
「どうした? ナツキ」
「さっきの、知らないおじいさんに笑いかけられたような…」
「知り合いじゃないのか?」
「嫌、知らないひ…!?」
「ちょ、クリフ…!」
「狭い、狭いから! あと近いッ!」
阿鼻叫喚の図だった。クリフに壁ドンされたジャックとダニエルが悲鳴に近い声を上げている。
「一体どうしてこんな事になっている? お前たちに何か頼んだ記憶は無いんだが」
「…それはそうなんだけどさ」
「いざ夜になってみたら、ちょっと夜の綺麗な空気が吸いたくなったと言うか」
「そうこうしてたら、たまたま森に入って行くローゼスが見えたと言うか」
双子はしどろもどろだ。
「いやいやいや、オレ達だって見つかる予定じゃなかったんだぜ?」
「ローゼスを見つけたら、こっそり連れて戻るつもりだったんだ。なのに先生たち皆んな外に居て、寮の灯りもついてるしさ。なんかその…ボレロ公が殺されたって騒いでて」
俺だけじゃない、クリフも息をのんだ。
「…どう言う事だ?」
「ボレロ公って、あのマルコ・ボレロっていう嫌なヤツだよね?」
「ああ。街で死んでるらしいとか、見るに耐えない死に方だとか。とにかくすごい話でさ。あんま言いたくないんだけど…手に杭が刺さってたとか、口が縫われてたとか」
「今朝の呼び出しだって、オレ達が疑われてるのかと思ったけどさ。出来っこねーだろ? そんな猟奇的な事」
オイ!と片割れが脇を突く。クリフは般若の形相に戻っていた。
「ホント心配させて悪かったって! けど、フツーに何してたか聞かれただけなんだ。まぁ、夜中に抜け出した罰は受けることになったけどさ」
「賢者が居たのにはビビッたよな! でも、あとは拍子抜けするくらいだったよ」
クリフは腕を組んで考え込む。開放された双子がやっと陸に上がって来たような様を見ながら、ノーラは頷いた。
「私には、犯人の目星が付いているように見えた」
「女神の事も知ってそうだったよな」
「昨日森でローゼスと話してたヤツの事かな。あれが女神?」
ノーラは眉間に皺を寄せる。
「別に女神だと名乗りはしなかったが…」
そのまま口を噤んだ彼女を、クリフは横目で睨んだ。
「しなかったが、何だ」
「………そもそも、なぜお前たちに話さなければならない。これはワインドの問題だと言ったはずだし、第一、コソコソ見張られていたのだって私は納得していない」
反射的に言い換えそうとしたのか、クリフが口を閉じる。
「えっと、クリフはさ、ノーラが心配だったんじゃないかな」
「…心配だと?」
「ノーラだって意地悪されてるとは思ってないんでしょ?」
顰め面のまま、ノーラは答えない。
「心配ないなら心配ないで、全部話してしまって、だから心配ないんだと伝えた方がいいんじゃないかな。少なくともそうしてたら、付け回されるような事はなかったかもしれないし…」
睨むような目付きで三人を見た後、ノーラは無言で歩き出した。そのまま教室に戻って行くのだと、多分みんなが思ったと思う。
「虐められたの? と、聞かれたんだ」
ノーラを追いかけ、四人揃って駆け足になった。
「…いじめ?」
「私も聞き返した。虐められた覚えはないとも話した。そしたらその女、…女神ではなく、マリア・ロロと名乗ったんだが」
「マリア・ロロ?」
「知り合いか?」
「嫌。…だが聞いた事のある名前だ…」
「私だって話しているんだ。お前も知ってる事は全て話せ」
「分かっているし、そのつもりだーーセントズワインドに入学する時、父にキツく言われた事がある。マリア・ロロの箱庭にだけは絶対に近づくな、と」
「何だそれは」
「それ以上詳しくは教えてくれなかった。ただ、そこはタリス王国にあって王国ではない。法律が違うんだと言っていた。そのマリア・ロロとは、他に何を話したんだ?」
「君は違うんだ、良かった。…と言われた」
「ピムス・ウォーカーか」
ノーラは目を伏せる。長いまつ毛が、ノーラの日に焼けた肌に影を作った。
「だろうなと思った。だから、ピムスの事を知っているのかと聞いたんだ。そしたら彼女は」
もちろん。ボクの自慢のコレクションのひとつになってくれたんだぁ。
「コレクション?」
「ああ、間違いなくそう言った」
キミも人間が嫌になったらいつでもおいで。そしたら辛い事からもぉ、苦しい事からも守ってあげる。
「……まさか」
「マルコ・ボレロが殺されたと聞いた時、私もまさかとは思った。が、今朝の先生方の落ち着きよう。……今は、まさかも有り得るのではないかと思っている」
「確かに、この二つが無関係なはずがない、か」
ジャックとダニエルも俺と同じような顔をしている。
「えっとつまり?」
勇気を出してたずねると、ノーラとクリフは同時に俺を見た。
「もし、あのバカマルコ・ボレロがピムスの居場所に検討をつけたのだとしたら。あの男はどうあっても、ピムスにちょっかいをかけずには居られなかったと思う」
「普通、そこまでするかな」
「そもそもが普通じゃないんだ。………ピムス・ウォーカーが、サキュバスとのワインドだと言う話はしたな?」
頷く俺を見て、ノーラは俯いた。
「ーーピムスはおそらく、サキュバスの特性を受け継いでいるんだと思う。見た目は人間なのに、なぜだか非常に目立つのだとよく嘆いていた」
ノーラは息を付く。
「そもそも、入学当初にマルコ・ボレロから嫌がらせを受けていたのは私だったんだ。見兼ねた彼女がそれを庇った。その日からだ。…マルコ・ボレロは、異様な執着をピムスに見せ始めた」
両手で顔を覆ったノーラは泣きそうにも、溢れ出そうな何かを堪えているようにも見えた。
「私は彼女に恩義を感じていたし、それ以上に友人だと思っていた。私なりに守っているつもりもあった。けれど姿を消す日、彼女は言ったんだ。
貴方には何もわからない、と。
結局何も聞けないままピムスは居なくなって、退学届が出されていた事もあとから知った。
…私は、また知らないうちに友人を傷つけていた。……ナツキの時と何も変わっていないんだ」
不意打ちに面食らう。
「えっ、俺?」
ジャックにダニエル、クリフと続けてジト目を向けられて、思わず首をブンブン横にした。
「俺、ノーラに傷付けられた覚えなんてないけど!?」
「村に来なくなったじゃないか」
「それは! ここに来る為に、色々しなくちゃいけない事があったからで」
「あの時私は、お前がま。いや……正直に話した事も聞く耳を持たず、私の勝手な理由でお前を諌めた。崖から落ちた時だってそうだ。恐怖でいっぱいいっぱいで、ろくな礼も言わなかった」
「そんな事はないよ、ノーラ!」
「そんな事はある」
「ないって! 言ったじゃないか、あの時ノーラが教えてくれなかったら、何も知らないまま、じぃちゃんとばぁちゃんの事を誰かに話してたと思う。俺の無知のせいでもっと大事になってたかもしれない。崖の時だって、ノーラは恐くても言ってくれたじゃないか、また街に来いって! 遊ぼうって! あの日初めて、こっちの学校に通いたいって話したんだ。ノーラがいなかったらそんな事、心細くて考えもつかなかったと思う!」
一気に喋ったら久しぶりに息切れした。ぜぇぜぇ言っている俺を、呆けたノーラが映している。
「俺、すごく頑張って今、ノーラが居るこの学校に通えてるんだ」
そうか、と笑ったノーラの声は、少し掠れていた。
「やっぱりお前は変なヤツだな、ナツキ。でも凄いと思う。私もピムスと話したいんだ。私が彼女をどう理解出来ていなかったのか知りたい。ここを辞めて幸せなのか聞きたい。
聞きたいだけなんだ、ナツキ」
ノーラの目から、ぽろりと涙が溢れ落ちた。
「ノーラ。…そのマリア・ロロって人の居場所、本当は聞いてるんじゃない?」
「……」
「いつでもおいでって言うくらいだもん。ノーラは会いに行こうと考えてる。違う?」
ややあって、ノーラは微かに頷いた。
「じゃあ俺も行く」
「だが」
「人を殺したかも知れない人の所に、ノーラを一人では行かせられないよ」
「マルコ・ボレロの事もある、無事で済む保証がないんだ」
「だからさ!」
「ちょっとお二人さん、勝手に話を進めるなよ」
「そうだよオレ達だって居るんですけどー」
ノーラの目はまるで水をかけられたようだった。
「……気持ちだけ頂いておく」
「いやオレ達、まだ何の気持ちも差し出してないけどね」
「いざって時の為に助けを呼ぶ部隊だって必要だろ? なんせ相手は、元騎士を殺したかもしれないんだ」
「オレ達は待機に徹する。その代わり、クリフを連れて行け」
ずいと押し出されたクリフのやぶさかでもない顔を見て、ノーラは益々嫌そうな顔をした。
「他に示しがつかないぞ。やめておけ」
「そ、それは…お前だってそうだろう!?」
「これはただの私のワガママだ。杖を置く覚悟もしている」
「だったら僕だってそうだ!」
声高に言ったクリフは「それに」と続ける。段々小さくなる声は、最後は聞き取れない程だった。
「僕も……騎士として、どうしてボレロ公が殺されなければなかなかったのかは…知っておきたいからな」
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