マリア・ロロの憎愛 2

 いいか、あの女から目を離すな。


 クリフが置いていった言葉の意味も分からないまま。

 学年の違うノーラを探すのはそれだけで大変だったが、どこそこで見かける彼女は大抵、ワインドの生徒に寄り添っていた。

 すぐにもマルコ・ボレロへ立ち向かって行きそうな剣幕も杞憂だったと感じ始めた放課後。


 人気のない教室にノーラが入って行くのを見かけた俺は、心配になってあとを追いかけた。締め切られた教室から漏れ聞こえてくるノーラの声は刺々しい。もう一人男の声もする。

 「ノーラ…ッ!」

 居ても立ってもいられず突撃した俺を、ノーラは丸々と開いた目に映した。

 「びっくりした。どうしたナツキ、そんなに慌てて。何かあったのか?」

 「………えっ」

 あり得ない二人が二人きりでいる。ポカンとしていた俺は、クリフの咳払いで我に返った。

 「――僕が呼んだんだ」

 棒立ち状態の俺を見かねたらしい。

 「お前が? ナツキを?」

 「別に構わないだろう。セントズとワインドの会議に、第三者が居てはならないなんて決まりはないんだからな。そんな所に突っ立ってないで入れよ」

 持て余すようにして組んでいる脚がうらめし…じゃない、羨ましい。悠々と腰掛けるクリフはノーラに目を戻した。

 「それでローゼス。例の娘は見つかったのか?」

 「いや」

 一方のノーラは、橙色の夕陽を浴びながら窓辺に立っている。伸びていく影のシルエットが美しい。

 絵力が半端じゃなかった。

 よし、お暇しよう。

 決心した俺を、クリフが顎で中にしゃくってくる。

 「――そもそも自殺が早合点だったんじゃないか? 実家に確認は取ったんだろうな」

 「当たり前だろう。……家族は退学した事も知らない様子だった」

 そして内容が退席し辛い。

 迷った挙句、俺は隅の方に腰かけた。


 「新月の午前二時、女神の森にて神は迎えに現れる。……てっきりその時間に首を括れば救われるような話かと思ったが。…違ったのだろうか…」

 ぽつりとノーラは付け足す。

 「あとは新月の二時に行ってみるしかない、か」

 「止めておけ、僕たちが寮規則を破るなんて示しがつかないぞ」

 「それは。……………わかっている」

 「わかっていない。死体を探すくらいで気が済めばと思ったが、そもそもピムス・ウォーカーは自発的に消えたんだろう。退学届だって、受理されていたのを確認したじゃないか」

 ノーラは下唇を噛んだ。

 「お前はお人好しが過ぎる。いくら杖を持っているからとは言え、僕達が一生面倒を見てやる訳じゃないんだぞ」


 ふと。

 夜を思わせる紫色の瞳が俺を見た。薄っすらと笑みが向けられて、返す暇もなく、ノーラはクリフに目を戻す。

 「同じ後悔を二度もする趣味は私にないんだ。――ピムスの事は、そもそもお前たちセントズに関係ない事だからな。報告くらいに思ってくれていて構わない。


 ……問題はマルコ・ボレロだ。


 あのような行為を続けるようであれば、こちらはセントズ側に代表戦を申し込ませてもらう。マルコ・ボレロの処罰を求めるつもりだ」

 挑発的に微笑むノーラは目を見張るほどに美しかった。

 「お前も、そろそろチキンを治しておいた方がいいんじゃないか?」

 その笑顔のまま、窓辺から手を離したノーラは髪を靡かせる。教室を出ていく彼女について行こうとした俺は、

 「お前はここに居ろ」

 クリフに呼び止められた。ノーラと距離を取るようにして、ウインクひとつした双子が通り過ぎていく。



 「えっと、その――ピムスって?」

 腰を戻した俺はクリフに向き直った。

 「僕がセントズワインドに入学した頃にはローゼスとつるんでいた女だ。サキュバスを親に持つワインドだと聞いている」

 「なんで自殺なんて話に」

 「彼女はマルコ・ボレロから執拗な嫌がらせを受けていた」

 窓から見える鬱蒼とした雑木林。顎で示すと、クリフは頬杖をつく。

 「森があるだろう? あの風貌で、どうしてだか女神の森と呼ばれているんだが……ワインドの間では、昔からあの森については噂があるらしい」

 「新月の夜二時ってやつ?」

 「ああ。ピムスもやたら熱心にその話をしていたそうだ。ローゼスは、噂を信じたピムスが森で自殺したのではないかと考えたようだが」

 クリフは顰めた顎を撫でた。

 「僕から見れば、アイツこそ、噂を間に受けるほどに追い詰められているようにしか見えないんだが」

 そんな彼を上から下まで眺めていると、居心地悪そうに眉を潜める。


 「何だ」

 「いやなんか、随分昔と違うなーって思って。ノーラの事も、あの女とか、ローゼスとか呼ぶし」

 クリフは鼻に皺を寄せた。

 「言っておくがな。僕は本当にあの女を魔物だと思っていたんだ」

 その顔に、ようやく見慣れた少年が重なった。

 「大人はアイツを魔物だって言うし、何を言っても、石を投げてもうんともすんとも言わない。――僕は貴族として、誇りと街を守れと習った。


 魔物は敵だ、ともな」


 なのに。

 絞り出すようなクリフの声には、悔しさのようなものが滲んでいる。

 「僕の問いかけに答えた時から、お前と話をする姿を見てから、僕はアイツが魔物には見えなくなってしまった。石を投げるのが怖くなった」

 「…」

 「今でも思う。敵だと言うのなら、言葉など通じなければ良いのに、ってな」

 祖父の言葉が過ぎった。


 愉快と思ったのは、ばあさんに会ってからじゃ。…あれは魔族が人に見えてどうにもならんかったらしい。


 祖母も、こんな恐怖を覚えたのだろうか。勇者を続ける事が怖くなってしまったのだろうか。

 「じゃあどうしてクリフは騎士になったの?」

 前のめりになった俺を見て、眉を顰める。

 「だってその話じゃノーラと戦えないのに、わざわざマルコ・ボレロから騎士の座を奪ったんだろう?」

 ついでにものすごく嫌そうな顔をした。ぷいとそっぽを向かれる。

 「……別に。馬鹿正直に向かって行くローゼスに敵が多くて、見てられなかっただけだ。誰かさんの影響だろうがな」

 「つまりはノーラが心配だったって事?」

 「そこまでは言ってない」

 「…でもなあ。俺には想像つかないんだよなあ。ノーラってさ、言い返しもせずに、ずっと木の上で丸くなってただろう? そんなノーラが規則を破ってまで抜け出すところが想像出来ないんだよなぁ。……忍耐強く連絡を、待ってそうだなとは思うけど」

 現にすぐさまマルコ・ボレロへ突撃しそうだったのに、実際は正式な手順を踏もうとしている。


 そう言った俺に、クリフは短く息をついた。

 「…そうであってくれればいいと、僕も思っているんだがな」


 結局、その後もノーラは普通に学校生活を送っていた。最初は注視していた俺も、すっかり自分の学校生活に追われてしまう。


 新月の夜が来た事にすら気付いていなかった。


 月明かりの届かない城下町。

 「ひ、ひぃぃぃいいいい…ッ!」

 ランプの灯りに照らされて、マルコ・ボレロの死体が発見された。


 両手を壁に打ち付けられた彼の遺体は、太い糸でびっちり口を縫い止められていたと言う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る