マリア・ロロの憎愛 1

 祖母の説教をたっぷり受けた次の日、南京錠が取り換えられるのを、泣きじゃくりながら俺は見ていた。

 「夏樹が中学を卒業するまでの九年間。あちらへ行きたい思いが変わらなければ――九年後に扉を開けると約束しようかね」

 「本当!?」

 「本当さ、ばあちゃんは約束を絶対に守る。ただし、条件が三つある」

 覗き込むようにして目線を合わせると、祖母は人差し指をたてた。

 「この九年間でばあちゃんとの稽古に加えて、一日最低でも一回、じいちゃんと鬼ごっこをしてもらう。どんなに負け続けてもやめない事。これが条件その一だ」

 アイスブルーの瞳はひたと俺を映したまま。二本目の薬指が立てられた。

 「こっちの勉強はもちろん、あちらの事も学んでもらうよ。じぃちゃんの血がなす技なのか、どうやら言葉は通じるらしいけれどね。字や歴史、常識、日常生活に差支えのない程度の事は叩き込むよ。夏樹が根を上げない限り、ゲームや本を読む時間はないと思っておきな」

 「うん」

 「そしてこれが最後の一つ。頑張った夏樹が九年後、あちらの学校へ通う事になった時の話だ。


 ……決して、ばあちゃんとじいちゃんの孫だとは名乗らない事」


 言って、吹き出すように祖母は笑う。大きな手のひらが、ぐしゃぐしゃになるまで髪を撫で回した。

 「そんな不安な顔をするもんじゃないよ。夏樹がじいちゃんとばあちゃんの孫だという事に変わりはないんだから。

 けどね」

 笑顔に影がかかる。


 「あっちで生きる夏樹に、じいちゃんとばあちゃんの名前で邪魔になりたくないんだよ」


 「邪魔になんて」

 祖母は静かに首を横にする。

 「それが事実だ。約束出来ないのなら、この話はナシだよ」







 ばあちゃん。

 「優しぃぃぃいいい俺様が貴族ってやつを教えてやるからよぉ。どこの家のガキか名乗ってみろよ。あぁ?」

 俺は入学一週間目にして、早速ピンチです。

 

 セントズワインド貴族院。王都タリスの一角に建つ四年制のこの学校は、貴族九割、いわゆる混血種が一割通っている。ここでの学校生活は早い話、ノーラが想像していた通りだった。


 ぎゅっと俺の袖を掴んだのは、突き飛ばされて、鱗肌に血が滲んでいる少年だ。

 「混血種風情が堂々と表門をくぐるんじゃない! 貴族の俺たちに恥をかかせる気かッッッ!」

 突き飛ばした男と、少年。そして庇おうとした俺を囲むようにして人垣が出来ている。誰も彼も遠巻きだった。

 陰湿な目にじっとりと見下ろされるうち、少年の肩を掴む手に、知らず知らず力が篭る。

 「だったら君が裏門から入ればいいだろう」

 「何?」

 「君が裏門から入ればいいと言ったんだ」

 神経質そうな男の顔に筋が浮かんだ。笑い損ねたみたいに唇が引き攣っている。

 「面白い冗談を言うじゃないか、お前。俺が? 混ざりもののコイツらではなく、俺が裏門から入るのか? ボレロ家第二子であるこのマルコ・ボレロこそがコソコソ通学するべきだと?」

 「俺から見れば、今この瞬間が恥ずかしくないのか不思議だけれど」

 「はぁ!?」

 マルコ・ボレロは足を持ち上げた。ヒッと後ろで息を飲む声が聞こえる。踏み下ろされた足を腕で受け止めると、ご丁寧にもグリグリと靴底をこすり付けられた。

 「いいねぇ、お前。アイツ以来、久々に愉快な奴だと思ったよ。そのオモシレー態度のお礼に、優しぃぃぃいいい俺様が貴族ってやつを教えてやるからよぉ。どこの家のガキか名乗ってみろよ。あぁ?」

 「…」

 「言えねーの? 言えねぇよなあ?! ここに俺様以上の爵位を持つガキなんて存在してねぇはずだもんなぁ!?」

 飛び跳ねた土が顔にかかる。

 「俺は」


 いいかい、夏樹。今後家柄を聞かれる事があったら、キデンズ家だと答えな。ばあちゃんの古い友人でね、許可はちゃんと取ってある。


 「俺は…っ」

 喉まで出掛かって、ためらった。

 今までの事が忙しなく脳裏を過ぎる。わかってはいるけれど、そこから先がどうしても言葉にならなかった。

 「俺はっ、…ま」

 「お戯れはそこまでにしてはいかがですか、ボレロ公」

 「……クリフ・カルティエか」

 忌々しそうにマルコ・ボレロが吐き捨てる。名前に釣られて振り返ると、金髪イケメンと目があった。

 その背後から男が二人、ひょっこり陽気に手を振ってくる。

 「オイオイ、とんだ珍獣が居るかと思えばお前かよー」

 「久ぶりだなぁ。オレたちの事覚えてる?」

 たっぷりの間を置いて。

 彼らが双子だった事に初めて気付いた俺は、うっかり口を滑らせた。

 「…子分いち、に」

 「新一年生ちゃーん、それじゃあ大先輩に怒られたって仕方ないぜ?」

 「俺はダニエル。こっちはジャックな! しっかり覚えろよぉ」


 「この通り、礼儀も知らない一年です。ボレロ公がお話相手に選ぶまでもありません」

 言って、

 淡いグリーンの瞳が、腰に刺さった金色の剣を一瞥する。

 「それとも。…こちらで正式に申し上げた方がよろしいですか?」

 「………いい気になるなよ、クリフ・カルティエ」

 唾と共に吐き捨てられた言葉にカルティエジュニアは笑顔を返した。恭しく頭を下げる。

 「肝に銘じます」

 「フン…まぁいい、今日の俺はすこぶる機嫌が良いからな。お前らでしっかり躾けておけ。……二度目はないからな、ガキ共」

 それで機嫌が良いンかーい。

 と、内心による俺の渾身突っ込みを受けているとは知らないマルコ・ボレロは手を振りながら去って行く。


 律儀に首を垂れていたカルティエジュニアは、俺を見るなり冷たい目をした。

 「本当に相手を弁えない奴だな、お前は」

 「…ほんとにカルティエジュニア?」

 性悪ガキ大将がどう進化を遂げたらこうなるのか。微塵も分からない俺を前にして、端正な眉間に皺が寄る。

 「次にその名で呼んだら叩き切る」

 「了解。ありがとう、クリフ。…助かった」

 「別にお前を助けた訳じゃない。ワインド側と無闇にもめ事を起こしたくない、それだけだ」

 

 セントズワインド。

 この世界では、聖女の杖と言う意味の言葉らしい。


 貴族をセントズ。混血種をワインドと呼ぶこの学校は、生徒同士の武力行使を当然ながら禁止している。だが、それじゃあ収まらない時の為に設けられたのが代表戦だ。貴族側から一名、混血種側から一名、もっとも強い人間を担ぎ上げ、この二名で決着を付ける。


 「その剣を持ってるって事は、まさかクリフって」

 「すんごいだろー? 二年生なのに騎士だぜ!」

 「まぁボレロ公から騎士の座を奪おうなんて考えるヤツがいなかったって話だけど。そこを攻めれちゃう所がカッコいいんだよなー」

 鼻高々のジャックとダニエル。

 「いやそんな事より」

 大事な所はそこじゃないと俺は声を大にしたい。クリフがセントズ側の代表者だと言う事は――


 「ウチの生徒に何の用だ。カルティエジュニア」

 公私共に、ノーラの天敵という事じゃないか。


 「僕はクリフ・カルティエだ。……何度も言ったはずだかな」

 「お前などカルティエジュニアで十分だと、こちらも言ったはずだがな」

 バチバチ火花が見える。気がする。


 ノーラが二つ歳上だった事が発覚したのは、一週間前の事。

 腰に下げた杖に手をかけたノーラに、俺はわっと声をあげた。

 「ちょ、待って、ノーラ! 違うんだ、クリフは俺たちを助けてくれて…っ! なんだったかな。マルコ、なんちゃらって人にこの子が突き飛ばされたんだ! それでクリフが――」

 ノーラが一気に殺気立つ。

 「……マルコ・ボレロか。…あのクズ」

 宥めるつもりがとんだ燃料投下をしたらしい。今にも追いかけて行きそうなノーラを、クリフは制した。

 「言葉には気を付けろ。相手は公爵家の息子だぞ」

 「騎士である貴様が機嫌取りなどするから、あんな奴がつけあがるんだ!」

 「魔力だろうと剣技だろうと、権力には敵わない。そのやり方では通用しないと、いい加減学んだらどうだ」

 ノーラは一瞬、今にも泣き出しそうな顔をした。

 「権力を持っているのは父親だろう! なぜアイツが公爵と呼ばれなくちゃならないッ!」

 そのあまりの剣幕に、少年が悲鳴をあげる。頭を抱えた彼の姿で――ノーラは今の状況を思い出したのか、ようやく杖から手を離した。

 「……怖がらせたな、すまない。怪我は?」

 少年が首を振っている。居たたまれなくて、俺はつい口を挟んでしまった。

 「腕を擦りむいてるんだ」

 「そうか。ヒールをかけよう」


 人垣も登校中だった事を思い出したらしい。徐々にざわめきが戻る中、その場を後にしようとしてた俺は腕を取られた。

 何食わぬ顔で通り過ぎながら、クリフが耳打ちする。

 「いいか、あの女から目を離すな」


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