回顧3

 七歳で異界の地を踏んで半年。

 祖父母の目をかいくぐってはノーラと遊んでいた俺に、判決が下される日が訪れていた事を、この日の俺はまだ気づいていなかった。


 「――今回は随分と時間があいたな、ナツキ」

 「ホントだよ。二人揃って家を空ける事が少ないからさぁ」

 ノーラは大抵木の上に居る。その影響で、この頃には俺も木登りが得意になっていた。二人で足をぶらぶらさせながら、ノーラは色々な事を教えてくれる。人々の生活。食べ物はどんな物を食べているのか。お金の単位。

 ノーラは俺の常識の無さに、不安を覚えたらしかった。


 「お前が言う学校と言うのは、勉強をする場所の事だろう? 混血種を受け入れている所は少なくて、この近くで言えば王都になるが。…………あまり期待しない方がいいぞ」

 髪を結いながらも、ノーラは声に苛立ちを滲ませる。

 「表向きの理由は混血種の少なさだな。私たちだけでは経営が立ち行かないと、貴族院に併設されている所がほとんどなんだ。――貴族院ってのは、親が偉いだけのバカが行く所だよ。ようはカルティエジュニアのような奴だ」


 俺がこの世界に来てまず学んだ事。

 ノーラの天敵はカルティエジュニアだ。


 「さしずめ私たちは、貴族様のご機嫌を取る為に用意されている餌だよ。ここの生活とそう変わらないだろう」

 「……そうなんだ…」

 「まあ私もナツキに会って、考え方に色々あることを知ったからな。最近じゃ、人と話したり学んだりする事も悪くないと思えて来た。……けれど、くそ、上手く出来ないな」

 さじを投げらしい。ノーラは肩をすくめた。

 「面倒だな。…近々切るか」

 「ぼくが結んでみようか? ばあちゃんの見てるから出来るかも」

 「本当か? 頼む。出来れば耳が隠れるようにして欲しいのだが」 

 「分かった。貸してみせ」

 

 伸ばした手の甲に、バチンと音をたてて何かが当たった。

 「っ…たぁ」

 何が起こったか分からない俺の目が、落下する髪留めを滑り込むようにしてキャッチする――子分一、もしくは二を映す。

 「魔物が髪留めなんかしてんじゃねぇよ!」

  背後でカルティエジュニアが叫んだ。口を挟む間もなく髪留めのキャッチボールが始まって、三人はどんどん遠くに駆けて行く。


 「……放っておけ。アイツらが飽きたら探せばいい」

 「でも」

 「こんな事もあるかと思って、一番古いものを持って来た。失くしたら、それはそれで構わない」


 この件に関して言うならば、俺は未だ腹立たしい。本当ならノーラは、ノーラにあった可愛いゴムを選べるはずで、奪われたのならば怒るべきだった。何よりクリフはやり過ぎたし、そもそも落としてしまった自分が許せない。


 「でも、ノーラが髪も結べないっていうのはおかしいだろ!」

 「相手にしなくていい! ナツキ!」

 駆け出した俺は、追いつける自信があったのだ。祖母との体力づくりは欠かさずにしていたし、現に山道じゃない分ずっと早く走れた。

 ただ、平坦な道では追いつかれると踏んだ三人は背高草に潜り込み


 ――結果、崖を背に逃げ場を無くしていた。


 「返せよ!」

 ずいと手を伸ばすと、カルティエジュニアは後退る。

 「もう逃げ場はないぞ」

 「う、うるさい! だいたいお前っ、なんで魔物の味方ばかりするんだ!」

 「ノーラは魔物じゃない! 意地悪ばっかりしているお前の方らがよっぽど魔物だよ!」

 「き、貴様…ッ!」

 サッと耳まで赤くして、カルティエジュニアは憤る。

 「僕はカルティエ家嫡男だぞ! その僕を魔物呼ばわりするなんて……っ! 身の程を知れ!」

 怒りに任せて地団太を踏んでいた。その下で何か崩れるような、ぽろぽろと零れ落ちるような音がする。

 一瞬だった。

 メキメキとした爆音へ変わって、地面に亀裂が走ったかと思うと、あっと思う間もなくカルティエジュニアの足場が崩れる。

 「クリフ!?」

 「こっちだ、こっちに来い!」

 子分たちは這いつくばった。伸ばした手が届かない。凍り付いたような時間の中で、咄嗟に俺は一歩踏み出していた。何か考えがあった訳ではない。死ぬだけかもと過った気もする。

 けれど。


 手を差し伸べる人いなくったって、勇者だけは手を伸ばす


 祖母の声だけが、うるさい位に聞こえていた。

 「ッ」

 カルティエジュニアの腕を掴んだ。けれど、支えきれなくてずり落ちる。頭から落下を始めた俺は、段々近づく地面が怖くなって目を瞑った。

 「ナツキ!!!!!!!!」

 ふと柔らかいものに包まれる。

 「ウインドカッター!」

 耳元でノーラの声がした。かと思ったら、突然吹き上げた地面からの爆風に一瞬だけ身体が浮かび上がるのを感じて、身が竦む。

 「う、わっ」

 丸太のよろしく地面を転がった。ごろごろゴロゴロ転がって、ようやく止まった矢先に胸倉を掴まれる。突き出されたノーラの顔が鬼の形相だと気付くより先に、頬を引っ叩かれた。

 「無謀が過ぎる!」

 衝撃で目がチカチカする。

 「お前は本当に……。頼むから、もう少し考えて行動してくれ」

 「ごめん」

 ノーラは俺を搔き抱いた。ようやく生きた心地がしたようで、ノーラの優しさが染み渡る。今更ながら恐怖を覚えた俺は――

 「チッ…くそ」

 カルティエジュニアの呻き声で我に返った。振り返ると、赤く腫れた足首を押さえている。

 「の、ノーラ! 大変だ! ヒールは!?」

 「どうして私が。…と言いたい所だが、そもそもヒールは傷を癒す魔法だ。骨や筋はどうにもできない」

 「そっか、じゃあぼくが抱えて歩くよ。ノーラは平気?」

 背中を差し出すと、カルティエジュニアは大人しくしがみついた。背中越しでも酷く汗をかいているのが分かる。

 「街はどっちだろう?」

 「分からない」

 「……とりあえず進んでみようか」

 うなじにかかる息が熱い。もしかしたら熱があるのかもしれないと思いつつ、子ども三人、闇雲に歩く他なかった。


 そのうちぽつぽつ雨が地面を濡らし始めて、すぐに土砂降りへと変わる。叩きつける雨は来た方角すら分からなくした。

 「ノーラ!!! あそこに小屋がある!」

 「鍵は最悪私が壊す! とにかく入るぞ!」

 濡れネズミのまま三人、もつれるように入った小屋は蜘蛛の巣だらけだった。埃がすごい。鼻と口を押さえて暖炉に薪をくべながら、ノーラは渋い顔をした。

 「ナツキ、暖炉に火を付けるから……ちょっと、…いや、だいぶ離れた所に居てくれ」

 「え?」

 「覚悟をしておけよ、ファイアボルト!」

 「ヒ――ィッ!?」

 ドッカンと。

 暖炉が爆発した。距離を取っていてもひっくり返ったくらいである。あと追って来た煤でむせていると、ノーラはぷいとそっぽを向いた。

 「私はその、加減がどうにも苦手でな。……すまない…」


 ちなみにだが、俺が「…見た目によらず、……ノーラって不器用だよね」と言えたのは、十年くらい経ったあとの事である。


 この時の俺はかろうじて首を横に振ったのだが、爆発音に起きたらしいカルティエジュニアは、気だるげに口を動かした。

 「魔法が使えるなら、……どうしてやり返さなかった?」

 「…」

 「……」

 ノーラは涼しい顔で無視だ。

 「………ちょっとノーラ」

 横から突くと、すごく嫌そうな顔をする。

 「…」

 「……」

 「………ノーラってば」

 再度突かれて、ノーラは渋々口を開いた。

 「…………やり返したらお前と同じだろう。相手が弱いからと言って、暴力を振るったりするのは嫌いだ。…お前と違ってな」

 「そうか」

 カルティエジュニアはそれきり黙ってしまった。呼吸が浅い。頬っぺたがリンゴみたいに赤かった。

 「……やっぱりぼく、街を探しに行ってみるよ。一人なら、少しは早く動けるだろうし」

 「それがいいかもしれないな」

 「なんでもいいから喋ってあげて。気が紛れるか」


 悲鳴が聞こえたと思った。遅れて、外で鳥と獣が一斉に鳴いたのだと気付く。立て続けに雷が落ちて、更には小屋の扉が外から開くまで、何が起きたのか全く分からなかった。


 「おじいちゃん!」

 「鍵が開いているので来てみれば…こんなカビ臭い所で何をしている、夏樹」

 祖父だ。

 嫌そうに鼻を摘まんだ祖父は、いつかの美丈夫の姿をしていた。漆黒の瞳がノーラを見、クリフで止まる。めんどくさそうに指を鳴らすとたちまち魔法陣が現れて、カルティエジュニアの顔色がみるみるうちによくなっていった。

 「すごいおじいちゃん! ノーラ、あれがぼくのおじいちゃんでっ………ノーラ?」

 一方のノーラが真っ青だった。

 「ノーラ? どうしたの!? ノーラ!」

 「エルフの血が濃いのだろ。心配いらん、その方が運びやすいしな」

 言いながら、石のように固くなっているノーラの首根っこを摘まみ上げる。

 「背中に乗れるか? ナツキ」

 「…うん」

 カルティエジュニアを脇に抱えて、祖父は未だ雨が降る屋外へ出た。分厚い雲を見あげる。何を思ったのか、祖父は大きく息を吸い込んだ。ぶぅっと吹いた息がたちまち竜巻になって雲を弾き飛ばし――


 空には、それはそれは見事な夕焼けが広がっていた。


 「じいちゃん、嘘だあ」

 「手を放すなよ」

 ジャンプしだけですごい風だ。横にも飛んだ気がするけれど、掴まっているのに必死で見る余裕などない。気づいたら街の入り口にいて、祖父は見慣れた梅干し姿だった。

 「おい、娘」

 びくりとノーラが震える。

 「もう動けるだろう――このガキを連れて帰れ」

 まるで物を投げるよう。放り出されて、頬を打ったカルティエジュニアが目を覚ました。

 「ここは…!」

 「戻るぞ、カルティエジュニア」

 「カ!? か、カルティエジュニアとは何だ!! 僕はクリフだ! クリフ・カルティエ! そんな事よりいつの間に街にっ」

 「後にしろ!」

 急かされつつも、カルティエジュニアは祖父を見上げる。ぽかんと口を開けまま。

 「――誰だお前?」

 「馬鹿、おま…!」

 「ぼくのおじいちゃんだよ」

 「そうなのか。…連れて戻ってくれたのか? 礼を言う」

 「貴様は!!!!! …………もういい、置いて行く!!」

 「待てっ!」

 腕を掴まれて、ノーラは心底嫌そうだった。そんなノーラに気付いているのかいないのか、カルティエジュニアはもごもごしている。あの、その、を繰り返して、彼は明後日の方向を見たまま続けた。

 「わ…悪かったな! 巻き込んでしまって。おっ俺には俺の立場と言うものがあるから、その、仲良くはしてやれないが…助けて貰って、感謝はしている」

 

 その時のノーラの顔を忘れられない。


 口に突き出されたゲテモノを見るような顔で、ノーラは手を振りほどいた。

 「感謝など結構だ! 私はただナツキを…!」

 言い淀む。視線を泳がせて、ぎゅぅっと目を瞑ったノーラは何を考えたのか――自分で自分の両頬を打った。

 乾いた音が鳴り響く。

 「………また遊びに来いよ、ナツキ」

 「ぇ? ……いいの? ノーラ」

 「ナツキはナツキだろ」

 こっちで声がすると誰かの声が聞こえた。街の方が一気に騒がしくなって、「クリフ坊ちゃん!」呼ばれたカルティエジュニアは目を輝かせる。

 「呼ばれているぞ、カルティエジュニア」

 「僕はクリフだ!」

 「カルティエジュニアで十分だろ。勝手に戻れ、私は家に帰る」

 吐き捨てるように言うと、ノーラは恐々と祖父に頭を下げて、足早に歩きだした。舌打ちを残したクリフも駆けていく。二人の背中を見送って、俺は首を傾げた。

 「ねぇじいちゃん。どうして俺があの小屋に居るってわかったの?」

 「じいさんの目は魔眼と言ってな。大抵のものは見えるし分かる」

 「ノーラが混血種だって事も?」

 「もちろん」

 「じいちゃんすげー」

 俺は今日まであった出来事を祖父に話した。ノーラに会った日の事。色々と教えて貰った日々。カルティエジュニアが崖から落ちた事。

 「あいつ、ノーラの事を魔物だって言うんだ」

 「教えてやれ。儂らのようなものは、本来魔族と呼ぶのじゃ」

 「魔人とかじゃなくて?」

 「魔族と人は似て非なるものでの、一緒にはせんよ。しがらみが多い人に対して、魔族は本能にしか従わん。魔族の法律は一つじゃ――強いものに従え」


 真っ青で震えるノーラが過った。


 「…じいちゃんはこの世界、好きだった?」

 「どうじゃろうなぁ。退屈じゃったかな」

 「そうなの?」

 「愉快と思ったのは、ばあさんに会ってからじゃ。…あれは魔族が人に見えてどうにもならんかったらしい。勇者は色々見て来たが、魔族相手に剣を持てなくなった勇者など初めてでの」

 声をあげて祖父が笑う。

 「ばあさんに興味が湧いたのもその時じゃ」

 こんなに喋る祖父を、俺は初めて見た気がしていた。覗き込んでみるけれど、どんな顔をしているか分からない。


 分からないなりに。

 「ぼく、もっとこの世界の事を知りたいな」

 こんな風に祖父に話して貰えるこの世界を、俺は好きだと思ったんだ。


 「…じゃがなあ…ナツキにここはチと厳しいぞ。お前は誤魔化すのが特に下手じゃから」

 「うん。…この世界でのじいちゃんとばあちゃんの事は、ノーラに教わったよ」

 「あとはまぁ、せめて義務教育を終えん事にはな」

 「いいの!?」

 「まずはばあさんに叱られん事にはの」

 「………ばあちゃん、怒ってる?」

 恐る恐る聞くと、祖父はククと笑った。

 「そりゃぁもうカンカンじゃ」

 「ひえ」

 風間夏樹、七歳。この日をきっかけに、祖母によって扉の鍵を変えられた俺は、祖父母の世界に行く事も、ノーラに会う事も出来なくなった。

 

 そして十六歳。

 俺は再びあの扉をくぐり――セントズワインド貴族院へ入学して、早くも一週間が経とうとしていた。

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