回顧2

 さて我が家には、壁にはめ込まれただけの扉がある。

 七歳になった俺にある日、この扉の先を確かめるべく時が来た。まず言っておく、不思議な声に呼ばれたとかではない。


 「ばあちゃん。………マジか」

 ばあちゃんが設定する暗証番号が、全て結婚記念日だという事に気付いた七つの俺の叡智である。のちに通帳の暗証番号くらいは変えた方がいいと説得する事になるのだが――この扉の先は、俺が想像していたよりずっと暗く、古い、寂れた街だった。


 「こんな風になってるのか」


 顔を出したのは外壁も崩れたあばら家。蝶番が外れて傾いた扉の奥に、広がる日本家屋を誰かに見られたら大変だと、俺は慌てて扉を閉めた覚えがある。

 十五分ほどの散策して、俺はすでに退屈していた。

 今になって考えてみると、暗いと感じたのは人の声がなかったからだと思う。店はどこも扉を閉めていて、露店もない。立ち話をしている人は見かけるけれど、皆俺の姿を見るなり隠れてしまう。


 結果見たこともない鳥を数えながら歩いていた俺は「お前らもっとよく狙え!」と言う元気な声に、浮足立って首を巡らせた。同じ年くらいの男の子が三人、石を投げている。

 石は――木の上に居る女の子に向けられてた。

 「ちょっ、止めなよ!」

  六つの目がじろりとこちらを向く。

 「誰だよ、お前」

 金髪が剣呑な目で口を開くと、後ろ二人は口々に声を上げた。

 「街の人間じゃねーな! 口出しすんじゃねーよ!」

 「クリフのいしは、カルティエ卿のごいしなんだからなッ!」

 金髪が得意げに胸を張っている。一方の女の子は顔を伏せたまま、不安に駆られた俺は彼女を指さした。

 「その子、…生きてるよね?」

 「何言ってんだ、お前。魔物は石くらいじゃ死なねぇよ」

 「ま!?」

 「だろ? ったく、街にこんなヤツが居ると思うだけでゾッとするぜ」

 女の子がピクリと動いた。震えている。

 なんだか非常に胸糞悪い光景だった。

 「――魔物とか人とか良く分からないけれど。どう見ても女の子だろ、優しくしなよ」

 「魔物に男も女もあるかよ」

 「オスかメスはありそうだけどなー」

 だんだん苛立って来た。露骨に眉を潜めた俺に、金髪が薄ら笑いをみせる。

 「何だ? 文句あるなら言えよ」

 「言わないよ。君の意志はカルティエなんちゃらのご意思なんだろ。……それよりその石、ぼくに投げてよ」

 「――は?」

 「彼女に向かって出来るなら、ぼくに投げる事も出来るだろ」

 一瞬ためらう素振りを見せる金髪。左右で子分が息まくのを見ると、調子を取り戻したように、手の中で石を弄んだ。

 「まぁそうだな。街に入って来た危険を追い払うのも…貴族の息子である僕の務めだからな。やっちまえ、お前ら」

 子分二人が力いっぱい石を投げてくる。ちょいと避けてやると、三人は目を見張った。

 「そんなんじゃぼくには当たらないぞ。ばあちゃんが投げてくる石の方が百倍速いからな」

 「お前のばーちゃん石投げてくるのかよ。コエー」

 「そういう意味じゃ! …とっ!」

 金髪の石がなかなか早い。不意を突いたつもりらしく、イラついて舌打ちしている。そこから十分ほどかけた攻防の末、身体が温まって来た俺とは対照的に金髪は肩で息をしていた。子分は酸欠ではぜぇぜぇ言っている。

 「おま…っ! くそ、化け物かよ…っ」

 「そう思ったならそうかもね」

 「……もういい。行くぞ、父上に報告だ」

 どうしてそんなに偉そうに去れるのかが分からない。子分を引きつれる背中を見送って、俺はようやく木と向き合う事が出来たのだが、女の子は何を言っても全く反応が返して来なかった。


 「三人組はいなくなったよー」

 「だいじょうぶ?」

 「誰か呼んで来ようかあ!?」

 いよいよ誰か呼んで来た方がいいんじゃないか?

 踵を返した時、ようやく女の子は面を上げた。

 「平気だ」

 ちなみに全然平気でもなかった。顔の右半分は血で濡れている。額の傷を見て卒倒した俺を、軽く着地してみせた彼女は「変な奴」と一瞥した。

 「私を助けて、お前に何の得がある」

 「君が気にする事じゃないよ。それよりその傷」

 「これこそ気にして貰わなくて大丈夫だ。ヒール」

 瞬く間に傷口が癒えていく。見惚れる俺を、対して映す彼女の視線はだんだん冷ややかなものになっていった。

 「魔物染みてるだろう? 助ける必要などなかったんだ」

 「そうじゃなくて。治せるなら、早く治せばよかったのに」

 「アイツらは私が動けば動くほど喜ぶからな。ジッとしているのが一番だ」


 出会った頃の彼女は俺より背が高かったように思う。日に焼けた肌に、薄いシャツとズボン。夜闇のような濃い紫色の髪。その隙間から覗いていたのは、ちょっとだけ尖った耳だった。

 「ぼく、風間夏樹って言うんだ。君は?」

 「………ノーラ。ノーラ・ローゼス。カザマナツキとは…変わった名前だな」

 「夏樹でいいよ」

 「ナツキ。感謝はしているが、あまり私に関わるべきじゃない。君だって魔物は憎いだろう?」

 首を横にすると、彼女は怪訝な目をした。

 「そもそもぼくには、君が魔物には見えないよ?」

 「…父が人間だからだろうな」

 「ふぅん」

 「ふぅんって……お前、本当に変わったヤツだな」

 「そもそも魔物の血を継いでいるって言うのならぼくだってそうだよ」

 言ってしまったあと、胸がドキドキした。嘘つきだと指をさすクラスメイトの顔が過ったけれど、この世界では嘘にならない。そのことが小さな俺を奮い立たせたんだと思う。

 

 「ぼく、魔王の孫なんだ」


 「魔王?」

 けれどノーラの反応は、俺が想像していたものと雲泥の差があった。

 「魔王。…えっ、居たんだよね?」

 「…いる事はいるが」

 「おばあちゃんは勇者なんだけど」

 ノーラは渋い顔のまま。

 「…お前のそれは、冗談か何かか?」

 「え?」

 「だとすれば人を不快にさせる。止めた方がいいぞ」

 一刀両断されて、俺は泣きそうな声をあげた。

 「どういう事? なんで!?」

 「そういう冗談は言うものじゃない。私だって、今日の事がなければ二度とお前には関わらなかった」

 「ど、どうして」

 「考えてもみろ、今なお私が石を投げられるのは魔王と勇者のせいだ」

 ノーラが何を言ったのか、分からなかった。その反応を見たノーラもまた理解が出来ないような顔のまま、言葉を続ける。

 「未だ魔物が闊歩し人間を襲うのは、魔王と共に勇者が消えたからだ。魔族は残り、勇者は居なくなり、今なお戦いは終わっていない」

 「そんな」

 「みんな疲弊しているんだ。そして原因は、魔王を倒さずに消えた勇者のせいだと考えている。だから絶対に言うべきじゃない。わかるだろ?」


 開いた口が塞がらない。

 この世界においても、勇者と魔王の孫だとは名乗れないのである。

 

 駆け落ちと言う言葉の意味を、殴られるような衝撃で俺は理解した。

 「………ありがとう、ノーラ」

 「は?」

 「ぼく、まったく知らなかったんだ。でも」

 でも、と。

 俺は何度も胸の内で繰り返した。

 両親が死んで真っ暗になった俺の世界に、祖父のファイアボルトがどれだけの衝撃を与えたか。どれほど大切にされているか伝えたくて、うまく言えないもどかしさがたまらない。

 「ぼくにとっては自慢なんだ。お父さんとお母さんが死んだことはすごく悲しいけれど、おじいちゃんとおばあちゃんのおかげで今、すごいキラキラしてる」

 「…」

 「だからたぶん誰の子だとか、何処の子だとか聞かれたら、ぼくは勇者と魔王の子どもだって答えちゃうと思う。けどむやみに話さないようにするよ! 教えてくれてありがとう、ノーラ」

 ノーラが苦いものを嚙んだような顔をする。

 友達になれるかもと言う時に訪れる絶望は、二回目になると少しは耐性もついていたけれど、辛い事に変わりはなかった。そっとその場を後にしようとした俺は、ノーラの「ふぅん」と言う低い声に踏みとどまった。

 両手を掴まれる。

 「ノーラ?」

 「ナツキにとってそれが必要な冗談なんだという事は理解した。――よくわからないが、私が隣に居た時は、お前の口を塞いでやることにするよ」

 「へ?」

 「なんだ?」

 「――てっきりぼくはさよならなのかと」

 瞬いたノーラは、首を傾いだ。

 「それは、今日の事がなければ関わらなかったという話だろう? ……本当に妙な奴だな。まあいい、よろしくな、ナツキ」

掴まれた手が二三度上下する。呆然と見ていると、ノーラはぽつりと付け足した。

 「あえて言うなら、お前の考え方は嫌いじゃない。…悔しい事ばかりだが……私も、父と母の子に生まれた事は、幸せに思っていたいと考えているんだ。なかなか難しいがな」

 後にも先にも、年相応に笑うノーラを見たのはこれが最初で最後のような気がする。これが唯一無二の俺の親友――の一人、ノーラ・ローゼスとの出会いであり、彼女を語る上では欠かせないもう一人の親友にも繋がっていくのだが、彼の話はまた次回に取っておく事にしよう。

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