孫ぃぃいing!!!〜名乗る為には世界平和が必要です!!〜
へびはら
回顧1
五歳の時、両親の葬式に、母の祖父母を名乗る二人が現れた。写真でしか見た事のなかった彼らは亡くなったと聞いていたのだから、当時の俺――風間夏樹は、ひょっこり両親が棺桶を上げて出て来るのではないかと期待してしまったものだ。
「初めまして、夏樹」
祖母は、褪せた写真からそのまま抜け出たようだった。シャンと伸びた背筋に、白髪交じりの金髪を高く結い上げて、握り返した手が妙にゴツゴツしているなあと思った記憶がある。
「おおかたお母さん――明からは、死んだって聞いてたんだろう?」
お化けでも見たような顔をしていたのだろう、青い宝石みたいな瞳は笑った。
「この通り、あたし達夫婦は見た目も――経歴もちょっと変わっていてね。大人になるにつれ、明はそれが受け入れられなくて出て行ってしまったんだが……。どうだろう。夏樹さえよければ一緒に暮らさないかい?」
「いっしょに、くらす?」
周りを見ると、父の親戚だという人たちは揃ってザワザワしていた。「死んだんじゃなかったの?」とか、「似てないけれど、大丈夫なのかしら」とか色んな声が聞こえて来る。返事に困ってしまうと、祖父はフンと嘲笑した。
「明は儂似じゃ」
ピタリとざわめきが止む。
猫背気味の祖父を覗き込むと、顔はしわくちゃで、母に似ているのかは俺でも分からなかった。でもなんだかその一言で、水を打ったように静かになった会場を愉快に思った事は覚えている。
「あ、の」
「ん?」
「けいれき、って何?」
「そうだねぇ、おじいちゃんとおばあちゃんの…生き方、いや、職業。んー、全部が全部なんだろうけれど。明には捨ててしまいたかったんだと思うよ」
「悲しくなかったの?」
思わぬ直球に驚いた顔で祖母は瞬いた。
「いや、ごめん。そうだねぇ……とても…うん、とても悲しかったよ。けれどおじいちゃんを好きになって、生まれて来てくれた明の事だ。例えどこに行こうとも元気でいてくれたら、それもいいかなと思っていたんだ」
一瞬。
一瞬だけ母の遺影を見た祖母は、何と表現していいか分からない顔をしたあと、首を横にした。
「今もそうさ。夏樹を守って死んだんだ、誇りに思っているよ」
この時の俺は迷っていた。
一言で断るにはもったいない人のように思えたけれど、父の妹――叔母さんの家に行く事はすでに決定事項で、そこには仲のいい従兄も暮らしていた。今日初めて会った祖父母を頼って全く知らない土地に行くと言う事は、未開発の地に足を踏み入れるように感じて怖かったのだ。
「おじいちゃんとおばあちゃんは何のお仕事しているの?」
好奇心だったのか、ひとつでも多く母の事を覚えていようと思ったのか、今となっては定かではない。
「耳貸しな」
ちょいと手招きした祖母は、寄って行った俺に小さな声で囁いた。
「おばあちゃんはね、聖騎士だったんだ。王様に命じられて勇者にもなった」
「…」
「けどさ、魔王だったおじいちゃんがあまりにイケメンだったもんだから、二人でここに逃げて来たんだよ。駆け落ちってヤツだね」
びっくりして祖父を見ると、しわくちゃ顔がにんまり笑う。声の出し方も忘れてしまって、ぱちぱち瞬きを繰り返すだけの俺を、祖母はぎゅうっと抱き寄せた。
「だからね、夏樹がもし親戚のお家に行く事を決めたとしても、勇者と魔王の孫だって事だけは忘れちゃいけないよ。夏樹はね、望む通りに強く生きれるはずだ。明のように。そして、明が決めた…夏樹のお父さんみたいに」
変な嘘を吐く人だなあと思ったんだ。
なのにじわじわと、本当にじわじわと、「子どもを置いて」「この子はどうなるんだろう」「かわいそうな子」一日中、聞いてばかりだった言葉が頭をかけめぐって、するりと俺は言葉を零していた。
「おじいちゃんの魔法、見せてくれる?」
大人たちが再びざわざわし始める。
「夏樹くん」
佳也子叔母さんの心配そうな声が背中にかかったけれど、わき目も降らず、一身に俺の視線を浴びていた祖父はいたずらを見つけたようにニヤリと笑った。
「腰を抜かすなよ」
風間夏樹、五歳。両親の葬式。同日、祖父母が魔王と勇者だった事を知る。そののち未開発どころか――辺境の山奥、奥の奥の奥に越すことを決めた、一生において忘れない、そんな日々の始まりであった。
ここで一つ。
五歳の俺は、決して魔王や勇者を真に受けていた訳ではない。悲しみに沈んだ孫の為に、ウィットに富んだジョークを言える、そのユーモアに心を動かされたのである。
が、それは焚火を灯す為に放たれたファイアボルトによって身体ごとひっくり返された。祖父はちょいと指先を動かせば、梅干しみたいなしわくちゃ顔を、母そっくりの美丈夫へと変えたのである。
どうやら本当に魔王が祖父らしい。
となると、祖母が勇者だという話も真実味を帯びていく。時折、真っ黒なスーツの男たちに囲まれて、祖母に警護の仕事を頼みに来る人が来た。大きなスーツケースを置いて帰るその人が総理大臣だと知ったのは、小学校に上がった歳である。
「あのおじさん、知ってる」
知っているおじさんが映る。小学生にとっては大事件だった。
「え? おじさんってそうりだいじん? なんで?」
「あの人、ばーちゃんの友達だ」
「え!? 夏樹くんのおばあちゃん、何しとんしゃーと!?」
「!? あのね、うちのばあちゃんはね…っ!」
夕方、瞬間移動で祖母に自宅へ連れて帰って貰いながら、俺はぐずぐずと鼻をすすった。
「おや、どうしたんだい、夏樹。鼻が真っ赤っかじゃないか」
「僕はうそつきなんだって、みんな、勇者や魔王はいないっていうんだ」
祖母はカッカと笑った。力任せに頭を撫ぜられて反射的に目を瞑る。コブだらけの分厚い手は力加減がとても下手くそだという事を、俺はこの二年で学んでいた。
「夏樹はカッコいいね。そんな夏樹にとっておきを教えてあげよう」
「とっておき?」
「勇者ってのはね、特別剣技に秀でているとか、魔力量が多いとか、そういう基準で選ばれる訳じゃないんだよ。勇者はその時一番勇気ある者が選ばれる。――みんなが諦めてしまっても、一人だけ立っていられる。手を差し伸べる人いなくったって、勇者だけは手を伸ばす。そういうヤツが勇者になる」
「ばあちゃんもそうだったの?」
「ばあちゃんもそうさ。ばあちゃんは立ってさえいればよかった。あとは仲間が守ってくれたからね」
夕日が沈んでいく。木陰から差し込む橙色の光に照らされて、包み込まれた手の力とは裏腹に、祖母の顔はどこまでも優しかった。
「生きるっていうのはね、見えているものだけで精一杯なんだよ。だから誰かの為に何かするっていうのは難しい。言っちまえば勇者なんてものはね、夏樹。誰にだってなれるし、一瞬で辞めちまえるものなんだよ」
「だからばあちゃんは辞めたの?」
祖母は笑う。
「ばあちゃんの勇気は、国に帰れなくなってぜーんぶ捨てる事になったとしても、じいちゃんと居る事を選べる勇気だった。それだけの事だよ」
俺は知っていた。
木造平屋建て。そう広くない家の一番奥に、扉があること。壁にただはめられただけの扉には、嫌に重たい金属鍵が取り付けられていること。その先に――祖母や祖父が生きて来た世界があるのではないかと、俺は考えていた。
そこはどんな世界だったんだろう。
考えているといつの間にか涙は引っ込んでいて、祖母は満足そうに頷いた。
「夏樹。夏樹だって、ばあちゃんから見れば立派な勇者だよ。夏樹には信じていることを伝える勇気がある。だから自分が正しいと思った事は信じれるだけ信じてあげな…疲れたら、一旦辞めちまえばいいのさ」
夏樹くんのうそつき。
そう言われた時、俺は母の姿が過った。俺にとっての当たり前はみんなにとっての普通ではない。それは嘘つきという言葉であっさり片付けられてしまう事に、心の片隅が冷たくなっていくのを感じた。
母の心は冷え切ってしまったのだろうか。そしてまた、いつか俺も疲れるであろうことを――祖母は覚悟しているんだと思えた。
「じいちゃん、ぼくに魔法教えてくれるかなあ」
「夏樹が頼めばいつでも教えてくれるさ。ただ、もう少し大人になってからだね。大きくなった夏樹の人生に、魔法は邪魔になるだけかもしれないから」
「母さんは魔法の練習しなかったの?」
「しなかったよ。明は普通に憧れていたのさ」
「そっかぁ」
「でもまあ、体力くらいはつけておくかい? 夏樹には、ばあちゃん先生はちょっと厳しいかもしれないけれどさ」
「やる!」
「そーかい、そーかい」
玄関先では祖父が手を振っていた。足元には腹に穴の開いた熊が倒れている。「内臓処理の手間も省けていいってもんさ」豪快に笑い飛ばす祖母がひらりと手を振り返して、俺も大手を振る。
風間夏樹、六歳。
この一年後――俺は祖父母に内緒で開けた扉の向こうで生涯の友と出会う事になる。
これは、魔王と勇者の血を継いだ俺が名乗りたいと願う日々の、ほんの始まりにしか過ぎなかった。
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