第7話

 短い間ではあるが、一緒に故郷リヨンまで長旅をしてきた相棒が、絶滅寸前の幻獣の王族だ? しれっと暴露され、一瞬思考が停止したネリは、目の前で口元を隠しながら微笑んだ先代大指導主を見上げる。


「聞かなかったことにして頂戴ね」

「……都合のいい耳は持ち合わせてないけれど、でも、今はそんな事どうでもいい。ウルルクが幻狼王の息子であれ何であれ関係ない」


 真っ直ぐシーアを見つめるネリは手のひらにある石が震えたことに驚くと、それを彼女へ伝えた。

 それまでにこやかだった面影を潜め、シーアは眉間に皺を寄せる。それが何を意味するのか、少女はなんとなくわかっていた。


「嗅ぎつけた先が、貴女だったことは褒めて差し上げたいところですが。――スウォン、早急に準備を」


 彼女に促され、小神族エルフはマナの樹の真正面へ立つ。両手を空へかざしたかと思えば、彼の周りにひかりの粒が集まり出す。賢者の石の共鳴がはじまると、また一回り小さくなった。


「解放された、今の貴女なら大丈夫でしょう」

「……もし大指導主の拘束が成功したら、その時はシーアも戻って来られるの」


 すると、彼女は首を横に振った。


「国にとって大指導主が一時的にでも存在しないのは良くない。あなたが、シーアが戻らなくては再建は果たせないのに?」

「ここから二度と出ることは出来ません。千古ミル・水甕ヴァスから救出するのには、膨大な魔力が必要なのです。ワタクシは使ってしまったマナの樹の魔力を、再び回復させなければならない。それに、大指導主としての役目はもう終わりました。次期大指導主は既に決定していたのですから、その者に託します」

「……次期大指導主?」

「マナの樹の消耗が激しいことはわかっていたのです。在任中にその座をエイダに受け渡すのは、貴女の父親であるルグレや司法高官ジャスティシアも承知の上でした。けれど、一足遅かった」


 委任状も、何もかも済んでいる。あとはエイダの承諾印さえあれば継承が完了するのだと彼女は言う。

 そう聞いたネリに不安はなかった。しかし、大怪我をしていて、民衆の前に出れるような状況ではない。


「なにも全て、エイダに背負わせるつもりはワタクシとてありませんよ」


 シーアは胸元へ仕舞っていた杖を取り出すと、少女へ託す。


「これをあの子に」


 光の粒が結晶して出現した扉が呼んでいる。

 向こう側にいる彼の元へ。

 準備が整ったと叫ぶスウォンと優しく微笑んだシーアに見送られ、ネリは扉を開いた。



 ※※※



 大指導主の執務室は、本棚から落ちた本や陳列されていた魔導具などが散乱している。

 幻狼マーナガルムは重たい魔導書の角が当たった頭部を抑え、流れる血を拭った。自らの血の匂いに反応し、普段は隠している耳と尾が揺らりと相手を挑発するように動かす。


「次は当ててあげましょう」

「……今のも、狙ってたんじゃなかった?」

「邪魔をするなら幻狼とて容赦はしない。研究所にいるマルバノも、すぐ音に気付いてこちらへ来るでしょう」

「それはどうかな。案外、簡単に見限られてたりして。だってそうでしょ? 達は利害関係を結んでいただけで、決して味方でも家族でもないんだからさ。アンタは独りだ。けど俺達には仲間や家族がいる。それが、どういうことか分かる?」

「……はっ、わかりたくもない」

「そ? 残念。――守るべきものがあると、ヒトは強くなれる。そう易々と違法魔術師モーヴェ・メイジなんかに負けるわけがないっ!」


 踏み込んだ先、ウルルクは長い爪で男の喉を掻っ切ろうと飛びかかった。それをいなした彼は方向転換すると、次々と魔法攻撃を放つ。素早さでは魔法使いに劣らない。幻狼はすぐさま体勢を整えると、長足を活かし男を蹴り飛ばした。

 体術には自信がなかったのだろう。

 蹴り飛ばされた彼は壁へ打ち付けられ、杖を手放す。その一瞬の隙を着いて、爪を光らせた時だった。


 ――ネリの匂い。


 間違いなく、彼女の香りが鼻を掠めた。

 振り向くとそこには千古の水甕。溢れ出した光は、執務室の天井に二枚扉を描く。バンッッ!! と大きな音を立て、その扉が開いた。

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