第8話


 落ちる――!?

 恐怖を押し殺し固く閉じた瞼を開く。ぼんやりとした視界に、ふたりの影を捉えた。

 当代大指導主グランドデュークと対峙する幻狼族マーナガルムの姿は、所々衣服も破れ手足から血を流している。


(本当にあたしを、探しに来てくれていたの)


 空間転移は予想以上に魔力を消費したのか、その手に握られた賢者の石は、欠片ほどに小さくなっていた。それをもう一度握り締め、ネリは大きく叫ぶ。


「ウルルクッッ!!」


 声はしっかりと、彼の元へ届いた。

 ハッとした表情のウルルクと同時に、虚をつかれた奇術魔術師コンジュラーだったが、若さには勝てなかったのだろう。

 瞬時に反応した幻狼は、落ちてくる少女を傷だらけの両腕で受け止めた。

 衝撃に少しよろめいてしまう彼に「ちゃんと受け止めなさいよ」と叱咤する。


「ええ〜、反応出来ただけ褒めて欲しいところなんだけどな」

「遅れて悪かったわ、ウルルク」

「いいよ。けど、もう少し遅くても良かったのに。まあ、真打は最後に登場するものだって――君の愛読してるロマンス小説に書いてあったしね? そろそろだと思ってた」

「……バカ、いつの間に盗み読んだのよ」


 言いたいことは双方、たくさんあった。

 けれども絶好のチャンスを不意にするわけにはいかない。


魔力ちからのない君が、どうするっていうのだね」

「魔力がない? そんなわけないでしょ」

「賢者の石……ですか」

「バカ言わないで。そんなもの使わなくても、貴方なんてあたしの敵じゃないわ」


 抱き抱えていたネリを床へ降ろし、支え合うように、ふたりは大指導主だった男へ歩み寄る。伸ばしてきた彼の手を踏みつけ、傍に落ちていた杖をウルルクが拾うと、へし折った。


「さようなら、先代大指導主グランドデューク様」


 殺されるとでも思ったのだろう。男は無様に命乞いをする。

 そんなわけはないのに。たくさん、亡くなった。この男の私欲のせいで街中の人たちが犠牲になった。簡単になんて終わらせない。罪は償うもの、放棄なんて許さない。


 そう言うと、少女はシーアの真っ白い杖を男の額に当てた。


真炎ヴェフラム・クロワサンス


 抵抗しなければ燃えることのない、焔の鎖が奇術魔術師コンジュラーを捕らえた。

 観念したのか、男はぐったりと壁にもたれ掛かり虚空を見つめる。


 ――これで、終わり。

 いや、マルバノはまだ生きている。彼らの解散の行く末と、この街の再建が済むまでは終わらないのだろう。


 しばらくして、研究所へ向かった父親ルグレや双子の姉妹、そして司法高官が迎えに来る。みんな、ボロボロだった。


「終わらせたのか」

「うん、お父様。とりあえず元凶は取り除けたと思う」

「……そうだな」

「「お疲れ様、ネリ! さすが私達の妹ね♡」」

「ランお姉様、タナお姉様もね」


 司法高官らが捕まえた奇術魔術師を連行すると、ちょうど決着が着いたと聞きつけ、自宅から母を連れてきたマルクに飛びつかれる。

 ネリやウルルクの様子を見て両親以上に泣いていた。


「泣いてる暇なんて無いわよ。これからが本番。生き残ったあたし達が、この街を立て直さなきゃならないんだからね。しっかりしてよ、マルク」

「……う、うんっ!」

「そうだ、お父様。これを」


 真っ白い杖を父へ渡すと、目に涙を溜めて母と寄り添う。

 はじめて見る厳格な父の涙に驚くが、自分の支えとなっていたシーアの存在をその杖で感じたのだろうと、ネリはそっとポケットからハンカチを差し出した。


「シーア様は、エイダに大指導主を継承するって」

「ああ。その準備は整っている」

「あの――」


 ウルルクは合間に割って入ると、主の容態を聞いた。

 どうやら、意識は戻り回復に向かっているという。ただ、病室を襲った蜘蛛女マルバノに放った魔法のせいで魔力が枯渇し、身体よりも魔力の回復に時間がかかっているらしい。

 ネリは握りしめたままの拳に、更に力を込める。


「ネリ……?」

「大丈夫よ、ウルルク。貴方のご主人様はあたしが何とかする」

「まさか、それを使うの」

「その方が早いし、みんなの為になる。エイダにはもう少し頑張ってもらわないといけないからね」


 そして、賢者の石はこの世から消えた。

 欠片ほどになった石は、エイダの体内へ溶けて行く。目を覚ました彼女の瞳の色は、漆黒から薄橙へ美しく変わっていた。

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