第7章 西の魔女

第1話


 人気ひとけのない病棟は冷たく静まり返る。

 寒さに身震いすると、警備隊ポリッシスのトルーパー三曹さんそうはチラチラとこちらを気にする様子を見せていた。

 気を使われて居ることは、彼の額にうっすらにじむ雫から読み取れる。


 魔法学校の学生寮へ入るまで腫れ物でも触るかのごとく、お父様の周りにいた大人たちに手厚く接待されてきた。偉大なるフランダール家当主ででありまつりごとを担う宰相の娘ともなれば尋常ではない程にゴマをすられてすられて。教職員にでさえスられてきた少女は、消えることの無い背後にそびえる父の影にウンザリすることもあったりなかったり。

 西の魔女、エイダ叔母さまの所に暫く居たせいか、自分が大人たちにで見られていることを、すっかり失念していた。

 そもそも、元より偉いのはお父様であって自分ではないのである。

 ふと、彼女たちの出会う数ヶ月前の自分の立場を思い出してみたが、何もトルーパー三曹がそうだと言っているわけではない。もちろん、一回りも歳の違う男性に敬語で話しかけられるというのはあまり好きではないのだが……あの若い警備隊ほどではないが、彼からは敬えられはすれど過去に感じたあの人の周囲にいた大人たちの様な、嫌な感じはしなかった。

 けれどやはり、年長者からのそれは心地がよくない。もっとウルルクように軽口で接してくれればどんなに楽か。――いや、奴は奴で、はじめから妙に距離感が近過ぎていた気もするが。ネリはそれとなくトルーパーへ申し出るが 「宰相さいしょうに申し訳が立たないので」 と、見事に断られた。

 


【国立病院:集中治療室】

 彼女に繋がれたモニターにはいくつもの数値が点滅している。

 看護士アンフィメールによると、外傷はそこまで酷くないが幻覚魔法アリュ・シ・ナシオンが精神にまでおよんでいて、危険な状態なことは変わりないらしい。

 硝子ガラス越しにエイダの様子を確認していると、トルーパー三曹の無線が鳴った。

 

 「――あ?ああ、了解した」

 「……三曹?」

 「すみません、お嬢様。なんでもデクリオが少年の引渡しを先延ばす為に、所内で掛け合っているそうなんですが……その」

 「煮え切らないわね」

 「いえ、そのー……想定していたよりも事態が悪いようでして。というのも、拘置所に大指導主グランドデューク様が直々じきじきにお見えになっているとの報告が」

 「直々にって、そんな馬鹿な話があるわけ」

 「いっ、いえ……事実のようなんです。さすがに大指導主様に逆らうことはデクリオでも――申し訳ないのですが、自分も、これから拘置所へ向かってもよろしいでしょうか? アイツの事だから、無茶をしてでも少年をかばいかねないので」

 「そうね、その方がいいわ。あたしは一人で大丈夫ですから」

 

 慌てたトルーパーを送り出すと、バタバタと病棟を走る彼に看護士アンフィメールが注意をする声が遠くで聞こえた。

 ――それにしても、拘置所に大指導主が来るなんておかしい。

 要人が捕まったならまだしも……相手は子供であり、一般人のマルク・クレル。学校ですら目立たない少年の為に、わざわざ会いに行くだろうか。無線を聞いていたあの様子だと、マルクを解放させる為にというよりは、直接尋問をする為に訪れたと推測するのが正しいだろう。

 

 「何がどうして、大指導主さまが――」

 「あっ居た、……ネリ!」

 

 幼馴染みのことで思案していると、聞き馴染みのある中低音の声が少女を呼ぶ。廊下を歩く少年は早朝の寒さに肩を震わすネリを視界に入れると、手に持っていたストールをそっと掛けた。

 

 「おはよ、ネリ」

 「どうしてここに……?」

 

 幻狼族マーナガルムの彼は目線を硝子ガラスの向こうへうつす。

 ウルルクがつかえた彼女は、意識の中をさ迷っている。

 

 「夜中のあいだに何があったのかは聞かないよ。落ち着いたら話せる範囲で良い……エイダ様がこうなった経緯くらい教えてくれたら、それで」

 「――ありがとう。でもね、正直言うと……あたしも良くわからないの」

 

 ウルルクはエイダが病院に搬送された時にその知らせをホテルで警備していた魔法士パラゴンから聞き、駆けつけたらしい。ふたりの行動に一時いちじは不審に思ったが、夜遅くにあるじと少女が警備を掻い潜りホテルを抜け出すなんて只事ではない。

 血の繋がる家族である彼女らは……幻狼である自分には、言えないこともあるのだろうと考えたそうだ。

 ――そう言われてしまうと、なんだか申し訳ない。

 隠していたわけではないのだが……。

 ひとまず、沿革えんかく万華鏡カレイドスコープ賢者けんじゃの石の件は置いておき、魔法学校に保管されている『フランダール家の秘密』を叔母さまに連れられるがまま見せられていたと、少女は出来事を掻い摘んで話した。

 

 「じゃあ、マルバノがエイダ様を?」

 「幼馴染みに手間取ってたから、目撃はしていないのよ。恐らく、強力な幻覚魔法を扱える点を考えるとあの子……マルクに催眠を掛けたのも同一人物でしょうね」

 「本当に、そのマルクって奴の仕業ではないんだね?」

 「言ったでしょう? マルクはそんなことできるような度胸もないし、魔術の腕もないわ」

 「随分、信頼しているんだ?」

 「あの子は家族みたいなものだし、当たり前じゃない。……なによ、その顔。言いたいことがあるんだったら言いなさいよ」

 

 チラりと彼を見ると、想像していたよりも冷たい双眸ひるみそうになる。少しの間、目が合わさっていたが、ウルルクは直ぐに西の魔女へ視線を戻すと何かを考えているのか真剣な顔つきで黙り込んでしまった。

 

 ――ッピ、……ピ、ピ――……

 

 静かだった彼女の顔に、一瞬、くもりが見えた。

 ゾワりと悪寒おかんがしたネリはストールをキュッと掴む。暗雲あんうんが迫ってくるようなおどろおどろしい感覚。闇の力が治療室を埋め尽くすように蔓延まんえんするのを感じた。

 

 「まだ幻覚魔法が――っ!?」

 

 心電図の音がサイレンのように朝の病棟に響き渡っている。

 数人の看護士アンフィメールが治療室へ駆け込むが、ドアが中から施錠されているらしくひらくことさえ出来ない。

 彼女たちは杖を取り出し、解錠をこころみるも全く歯が立たないようだ。その様子が、少し離れたウルルク達からもうかがえた。

 苦しそうに顔を歪めたエイダの身体をう何かが見える。

 ――違う、これは幻覚魔法ではない。

 張り巡らされた糸が反射した。彼女が意識を戻さないのは幻覚魔法を掛けられたこともあるが、もうひとつ。図書館からずっと、エイダにあるモノが憑いていたのだ。

 マルバノの魔術師メイジが使役する魔法生物なのだろうか。

 

 「首がない……蜘蛛くも?」

 「大蜘蛛ジュウサンボシゴケグモよ」

 

 頭部の落ちた黒いからだにある、まん丸く膨れ上がった腹部には赤い斑点があった。通称、黒の未亡人と呼ばれる魔法生物は、その飼育が禁止されているほど猛毒を持つ蜘蛛である。

 どことなく感じたことのある魔力を、その大蜘蛛から受け取っていた少女は、魔法生物ではない可能性も視野に入れていた。

 

 「……看護士さん達を連れて、ここから離れて」

 

 こういう時、魔法生物学を履修していて良かったと心から思う。

 猛毒を持つが首がない蜘蛛。六本足で糸の上を器用に移動しているそれが、やけに気持ちが悪く思えて。

 一方、指示されたウルルクはネリがおこなおうとしている事を察すると、止めにかかる。少女はひとりで、あの蜘蛛と対峙しようとしているのだ。まだ魔力も戻っていないのに。

 

 「そんなこと出来るわけないでしょ」

 「……でも、やらなければエイダが助からないわ」

 

 叔母さまを助けないと――。

 強く願った時、胸元に出来たあざが煮えたぎるかのごとく熱を持ちはじめる。

 暖色にかがやく少女の鳩尾みぞおちからあふれ出る魔力は、そこにいる誰よりも暖かく強いものだった。

 西の魔女と少女をへだてる硝子にピシりと亀裂が入る。

 割れ間から『賢者の石』の魔力が治療室へ入り込み、その清らかな光に邪悪な大蜘蛛は動きを止めた。

 胴体が引き裂かれ、足が暴れ回っている。

 メキメキと気色の悪い音を奏でると、蜘蛛の中から女が体液にまみれ出てきた。

 

 「な……なんで……」

 

 幻狼オオカミは生唾を飲み込む。

 素肌をさらす女には、確かに見覚えがあったからだ。

 赤黒いローブを羽織り、シェファード夫妻の屋敷から逃げる二人の行く道を阻むマルバノの魔術師。

 

 「俺、あの時トドメ……刺したよな」

 

 少年は愕然がくぜんとし、立ち尽くした。

 ぬめりを帯びた魔術師はウルルクを視界に収めると目を見開く。

 

 「――ウルルクッ!!」

 

 女がこちらを見た瞬間、硝子が粉々に砕け散った。

 看護士達は悲鳴をあげ、一様に腰を抜かしてしまっている。少年を狙った攻撃に、ネリは既で気が付きウルルクを薙ぐように押し倒した。

 殺したはずのマルバノの女に負わされた太腿の傷が痛み、体勢を上手く整えられず少年の上にのしかかってしまう。

 衝撃で我に返った幻狼は降り注ぐ硝子の破片からかばうようにネリいだく。

 

 「あらぁ、ひさしぶりじゃなぁい? 坊や、――お姫様♡」

 

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