第5話


 うめく幼馴染みは想定もしていなかった頭突きによって、緊縛魔法を解除した。

 電流の走るいとはスルスルと落ち、ネリは膝をついた少年の肩へ掴みかかる。


 「少しは学習しなさい。前もこうやって頭突き食らったの、忘れたのかしら? ――ほらっ、いつまで寝てる気よ。起きなさいったら」


 緑かがった黄色い瞳は、今度はしっかりと少女を見据みすえていた。

 肩を揺すられ驚いたようにマルクは目を丸くし、少女の名を呼ぶ。


 「ネ、ネリちゃ……ネリちゃんっ、ボク……!」

 「本当、世話の焼ける幼馴染みね! 二ヶ月ぶりに顔を見れたと思ったらこれ?」


 狼狽うろたえる少年のには涙が溜まり、今にも零れ落ちそうなのを指摘する。いくつになっても手のかかるマルクに、なぜか安堵した自分が居た。

 まほうにより操作されていた彼のことは、後で詰めるとして。

 今は叔母さまのを問いただすのが先である。

 

 「記憶が朧気おぼろげで……」

 「覚えてることだけでいいから。あなたの他に誰かいた?」

 「ううん、ボクだけだった。夢の中で声がして、それで気が付いたら図書館に――」

 「……声?」

 

 昨晩は早めにとこへついたマルクは、ローブを深く被った男が突然、夢に現れ不自然に思ったが、自分の意思では目を覚ますことすら出来なかったと言う。

 影の落ちた顔は暗く、誰なのかは分からなかった。

 赤みのある黒いローブを着た魔法使いは、聞いたことが無い国の言葉を使うと、まるで暗示をかけるようにささやいたらしい。

 ここが魔法のない世界であったなら「何を言っているんだ、この阿呆あほうは」 と、ののしっただろうが、普段から夢をよく見るタイプのヒトへ催眠魔法マヌーヴ・ス・クシェを掛けた際に、よく見られる現象だ。

 そういったモノは現実と虚像のさかいが曖昧なために起こるという。

 そもそも、例えばネリのように夢を見ないヒトはこういったたぐいの催眠魔法に掛かりにくいと証明されている。マルクが夢見がちなのを知ってか知らずか……わからないが、それを利用されたことに間違いなかった。


 「赤黒い、ローブ……ね」

 「知ってるの?」

 「――マルク、時事問題は重要よ。フィラデルフ国において『暗赤色あんせきしょくのローブ』をまとうのは反国家組織だけ」

 「そ、それじゃあ……ボクがキミを襲うように仕掛けたのって」

 

 頭突きによって軽く脳震盪のうしんとうを起こしたせいもあるが、自分に突き付けられた事実に顔が蒼白としている。ここまで来た経緯を必死に思い出そうとしている少年のひたいから、タラりと血が垂れた。

 

 「やっぱり、少しやりすぎたかしら」

 

 さすがに催眠さいみんを解くためとはいえ、力が強すぎた。

 少女はポケットからハンカチを取りだすと、また少し背の伸びた幼馴染みのおでこに触れた。

 

 「ボクが未熟なのがいけないんだ」

 「ええ、それは否定しないわ」

 「――……ホントに、ネリちゃん……なんだね」

 「それはどういう意味かしら?」

 「……冗談です。ごめんなさい」

 

 二ヶ月前を思い出せば、彼にとってはあまり喜ばしくない別れだったにも関わらず、普段通りに微笑みかけてくれるのは有難かった。

 

 「暗示の内容は? エイダの……西の魔女の誘拐か。それともあたしの暗殺かどちらかでしょうね」

 

 少女はホテルに残してきた幻狼おおかみの様子が気がかりだったが、魔法士パラゴンと言えど警備隊ポリッシスの端くれだ。マルバノとやり合うことは出来ずとも、逃がすことくらいできるはず。

 それに、さすがに何かあれば大指導主グランドデュークが動いてくれるであろう。

 

 「それが……ボク、その西の魔女さんって人、見た覚えがなくって」

 「――は? さっきと言っていることが違うじゃない」

 「本当だよっ、本当に知らないんだ。寮から真っ直ぐここに来て、それで」

 「なるほどね、そういうこと」

 

 おそらく、あの時の幼馴染みは本人であって、マルクでなかったのだ。

 オドオドはしているが、あんな風にねっとりとした喋り方を彼はしない。催眠魔法で身体をあやつりながら、意識をどこからか乗っ取っていたであろう。

 だとすると、マルクと叔母さまは図書館の中でも、外でも出会ってはいないという事だ。いま思い返せば、西の魔女ともあろうエイダが、こんなチンチクリンに足を取られるわけがないのに。

 マルクに暗示を掛けたモノか――、その仲間なのか。

 少女が記憶媒体きおくばいたいの中へ入り込んでいる最中さなか、エイダは何者かの侵入に気がついた。あの空間へは限られた者しか入ることが許されていない。

 だから彼女は一度、様子を見るため壁の外へ出たのだろう。図書館内を見回っている時に、その侵入者……マルバノに襲われた。

 そして彼らにとっての邪魔者を退けた所に、マルクを誘導して継承者を襲わせたのではないかと、ネリは推測する。

 彼ではなく、マルバノが彼女を連れ去ったなら――。

 ドクンと心臓が大きく跳ねた。

 

 「嫌な予感がするわ」

 「予感っていうより……もう充分、ボクは嫌なことを実感してるよ」

 「ねえ、マルク。あたしは何者だか分かる?」

 「え、……え?」

 「だから、あなたの目の前に居るのはどこのどんなヒト?」

 「ネリちゃんもどっかで頭でも打ったり、した?」

 「良いからっ……、答えなさいよ」

 

 意味不明な質問をされ、答えを要求された少年は瘡蓋かさぶたのできた頭をひねる。

 

 「うーん、そう言われても。ネリちゃんは、ネリちゃんだよ。学校一の灼炎シャルールの使い手で、一番尊敬して止まない。――ボクの、大切なヒト……かな。あ、あれ? そういう事じゃなかった?」

 「…… 一言二言、余計だったけれど。まあ、いいわ」

 「ええ〜? 今のなんだったの」

 

 念の為、本当に催眠魔法が解けているかの確認をしたいだけだったのだが。

 思いの外こそばゆい返事をもらい、彼の気持ちに答えることの出来なかったときの事を反芻はんすうしてしまった。感傷に浸っている場合ではないのに。

 それに、魔法が解けていたとしても。

 マルクがマルバノを作りあげた深淵オプスキュリテの魔術師の家系であることは確かで。だとすれば……彼の親族に反国家組織の一員である魔術師がいる可能性は大いにあるだろう。この先、もしマルクの親しい親類しんるいを手に掛けねばならなくなってしまったら。


 ――そういえば、彼はどこまで知ってしまったのだろう。


 賢者の石、そして継承者が自分の幼馴染みだということも、きっと知っている。

 知っていて、マルクは何も聞いてこないのだと少女はちゃんと、わかっていた。

 暗示から逃れ、その命令をクレルの血筋のモノが果たせなかったとマルバノが気付いてしまっていたら。

 まだ魔力も戻っていないのに、今、この状況で襲われたらひとたまりもないのに。

 考えれば考えるほど、ネリは頭の中がパンクしそうだった。


 

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