第2話

 

 結局、負傷している太腿ふともも事情を考え一番成功法な非常階段からの脱出を決行した。

 このホテルの非常階段の警備巡回は、朝十時と深夜十時の二回だけなのは既に叔母さまから情報を得ている。部屋を脱出するのが簡単すぎて、わざと気付かないフリをしているのかと思うほど、いとも容易たやすく部屋から抜け出すことが出来た。

 大都市の一流ホテルともあろうに、警備の甘さに呆れる。

 とはいえ、見つかれば大騒ぎになることは間違いない。

 慎重に人気の無い階段まで歩んでいく。

 非常階段を降りれば、目的の公園は直線距離にして数十メートルだ。

 

「言われた通り、来たけど」

 

 人魚のモニュメントが見つめる方角から時計回りに三つ目のベンチ。

 少女は誰も居ないその場所へ腰を下ろすと、誰かに話しかけるように口を開いた。

 

「――時間ぴったりね♡ 良かったぁ、誰にも見つからず出てこれた?」

 

 暗闇を照らす街灯の下。

 見慣れたローブのなまめかしい女がヒールを鳴らして近付いてくる。

 

 「警備は大したことないもの。厄介やっかいなのはウルルクよ。一日に何度あたしの部屋をノックすれば気が済むんだか」

 「それだけ、ネリちゃんの事を心配してるってコトじゃない?」

 「――だったら余計、あんな嘘つかないでほしいわ」

 「ウソじゃないわよぉ。落ち込んでたのは本当でしょ」

 「まるでヒトを廃人はいじんかのように言うんだもの。現実逃避なんてしていないし、あたしはしっかり先を見ているわ。……そりゃ、アコ小母おばさまやライト小父おじさまの事、今だって何とも思わないわけはないけれど」

 

 少女を外へ誘い出すにあたって、ホテルの部屋に閉じこもっている『理由』が必要だと判断したエイダは、少年へ大袈裟にネリの状態を伝えていた。

 さすがに、第二の両親とも言えるシェファード夫妻があんな形で亡くなってしまい愁然しゅうぜんとしている少女の部屋に強行突破してしまうほど、馬鹿な子ではない。

 しかし、今日のことを知れば、無理やりにでも着いてこようとするであろう。

 彼をホテルへ留めておくには、ネリが部屋にと思い込ませておく必要があったのだ。

 

 「むしろろ、だからこそよ。後ろなんて見ていられない。これ以上……誰も巻き込まずに済むように、一刻も早く『魔力』を取り戻さないと。あたしは、こんな所で守られて、立ち止まっているわけにはいかないのよ」

 

 ――満月の力で暴走した幻狼オオカミの血。

 それを止めたのは、少女から溢れ出た魔力。

 少年をしずめるため無意識に発動されたあれは、確実に何らかの『魔法』だった。

 あれ以降、ネリの中にあるはずの魔力は再び奥底へ眠ってしまった。

 身体が火照ほてるほど、湧き上がっているはずなのに。

 間違いなく、魔力は戻りつつある。コントロールが効かない……というか。

 自分のモノでは無いかのような、魔力に操られそうになる感覚――。

 それは心地の良いものではなかった。

 

 「ところで胸のあざ、調子はその後どうかしら?」

 

 帰ってきて早々、リヨン・ミュノーテの医療機関へ運ばれた少女は、全身くまなく検査を受けさせられていた。

 その場に立ち会っていた彼女が見た、ネリの鳩尾みぞおちに現れた『鬼百合タイガー・リリー』の花にも似たあざ。先端に花を下向きに咲かせ褐色の斑点が無数に散らばり、その花弁はなびらは後ろ向きに反り返っているのが特徴的な花。

 紋章のようにも見えるそれは、淡い赤橙せきとうのようにヒカリを放っていて。

 検診が終わる頃には、発光は治まったが。

 薄気味の悪い花を模した痣だけは残ってしまっていた。

 

 「痣? 平気よ、とくに痛みもないもの」

 「そう、なら……良いんだけど」

 「何、何だか言いたげな表情ね」

 「いいえ? 何でもないわよぉ。気の所為じゃないかしらぁ♡」

 

 煮え切らない返答に、ネリは白い息を多く吐いた。

 

 「まぁ、いいけれど。それよりも――こんな遅くに何処に連れていくつもり? 昼寝はしたけれど、凄く眠いの。なるべく早く済ませたいわ」

 「そうね、ネリちゃんに風邪でも引かせたらウルルクに噛み付かれちゃいそうだし。そろそろ移動しましょうか」

 「それ……洒落シャレにならないのよ、エイダ」

 

 

 ※※※

 

 

 歩き慣れた石畳の上を歩く。西の魔女のほうきまたがり連れてこられたのは、かつて通っていた『リセ・トゥール・ド魔法学校』の校舎だった。

 施錠された門を開けると、正面からではなく教員用の裏口へ向かう。

 

 「こっちの方が近道なのよねぇ」

 

 大指導主グランドデュークの元、仕事をすることが多い彼女は出入りが特に制限されておらず、一般教員の立ち入りが禁止である通路であっても構わず歩いていく。

 この先にあるのは国有数の魔法図書館。

 何万冊もの魔法書や、貴重な魔道具が管理されている。

 天井まで続く陳列棚の中央をカツカツと進むと、エイダは国の重要文献の並ぶ本棚の前で足を止め、懐から杖を取り出す。

 司書でも入ることの出来ない地下保管庫が先に存在するのだが、ネリは幼い頃にここに入り怒られた経験があった。

 地下保管庫への鍵を持つ者は少なく、ネリ父親と双子の姉たち、エイダを含む大指導主の直属の魔術師メイジ数人が所持することを許されている。

 双子の姉たちへ頼み拝借した時のことを思い出し、軽薄だった過去の自分にゲッソリとする。教員と親に囲まれ、軽く十二時間正座で説教を食らったのは、あれが最初で最後だ。


 「解錠エファンセ


 鍵の開くような音が、深夜の図書館へ響く。

 静かに巨大な本棚が動きはじめると、左右に別れた棚の中から地下へ続く螺旋階段が現れた。――が、先は真っ暗で何も見えない。

 叔母さまは杖をしまうと壁に立て掛けかれた携帯ランプへ火をともし、少女へ手渡す。受け取った少女は足先を照らしながらゆっくりと階段を降りていった。


 

 ほこり臭いが、古書こしょ独特の香りに興奮を隠しきれない少女は、過去のことは頭の隅に追いやり地下空間に整列された本たちに心奪われていた。

 

 「懐かしいでしょう」

 「えっ……な、なにがよ」

 「うふふ♡ 知ってるのよぉ〜? ネリちゃんが小等部のとき、ここに侵入したこと。ルグレ兄様に聞いた時は笑っちゃったわ」

 「お父さまが……?」

 「あの人って顔が綺麗な割に、表情にとぼしいから常に怒ってる〜とか洒落が通じない〜とか。学生時代から言われ放題で。けどね、本当の兄様は……おしゃべりで子供が大好きな優しい方なのよ? 人見知りが激しいから、普段はあまり話さないだけ。それが余計に、周りからは怖いと思われてしまう原因なんだけど。ネリちゃんに似てとても責任感が強いヒト、全部ひとりで抱えようとする――貴女が生まれてからは、特にそれが露骨ろこつになったわね」

 「……ねぇ、エイダ。前に手紙を送ってきた時も言っていたけれど、やっぱりそんなの……とてもじゃないけど信じられないわ。お父さまとはほとんどど親子らしい会話なんて、したことないから」

 「これからいくらでも出来るわよ。マルバノさえ――と、ちょっと離れていて」

 

 再びローブから杖を抜き取ると、突き当たりの壁に向かって詠唱しはじめた。窓もないこの部屋で、渦巻くようにエイダの周りに風が吹く。

 

ヴークモンドよ、・ルート・アファシーアせっ!」

 

 ――……。

 

 「ちょっと、何も起こらないじゃない」

 「うふふ♡ だと思うでしょ〜? そのまま歩いてみて」

 

 肩を押され、グイグイと壁へ追いやられていく。

 ぐにゃり――突然、空間がゆがむような感触に驚いて足を引いてしまう。「大丈夫よ」 背中を支えた叔母さまはそう言って、今度は足を止めたネリの手を取り『壁』の中へ率いて行った。

 

 

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