第5章 重圧

第1話

 


【水と魔法の街:リヨン・ミュノーテ】

 大指導主グランドデュークの用意したホテルのフロアの一室。

 警備員が昼夜常駐し、少女ら二人をマルバノから警護するという名目で、外に出ることすら許されず一週間が経とうとしていた。

 ふたりの元を訪れることが許されているのは、事情を知るエイダのみ。

 しかしネリは、あれから誰とも顔を合わすことはしなかった。どんな経緯であろうとも、せっかく故郷であるリヨンに戻ってきたのだから、会いたいヒトもいないわけではないが……。外出もできないので実家にも戻れない。

 与えられた一室で、エイダ叔母さまに頼んだ魔導書を受け取った少女はさっそく読みはじめる。ドアノブに掛けられた本と交換に、美味しそうなオマール海老のリゾットが八割残されたトレーを部屋の外へ出した。


 ――しばらくして、置かれた食事にも手をつけない少女の様子に、隣室を使うウルルクは何度目かの溜息をつきながら頭を抱えた。

 

 「またほとんど食べてないよ。……そういえばエイダ様、ネリに何の書物を?」

 

 大指導主との会合の後、少女からの頼まれ物を届ける為に、わざわざホテルへ寄った西の魔女。彼女も彼女で、コルティーツオで起こった事件の揉み消しに手間取っているようで。

 見るからに疲れきった主に、鎮静効果のある紅茶を淹れると、先程の少年と同じように深く息を吐きティーカップを傾けた。

 

 「精神鑑定では何ともなかったようだけど、ウルルクも少しは気を休めたらどうかしら? ただでさえ、前回の満月での消耗は激しいものだったでしょう。良いのよ、あの子の事は私達に任せて」

 「――いえ、俺がしたくてしている事ですから」

 

 ネリへの食事は、毎食ウルルクが用意していた。

 少しでも食べて欲しいと、栄養面や食べやすさを考えて。

 

 都市リヨン・ミュノーテに到着してすぐ、ネリはエイダに連れられ身体の治療のため病院へ向かうことになった。後に続こうとしたが、出迎えた大人達によってウルルクは別行動をすることになる。

 軽傷、というよりほぼ無傷だった少年は、少女より先にホテルへ案内された。そして返り血によって汚れた身体を洗われたのち、精神鑑定を受けさせられたのだ。

 度重なるマルバノからの襲撃と、あの日の出来事。

 影響がないわけがない。

 しかし街へ着く頃には、普段の飄々ひょうひょうとした姿だった少年の精神レベルは基準値をクリアしていて。得にカウンセリングもする事なく解放された。

 行動制限はあるものの、必要なものはエイダが持ってきてくれる為事足りている。

 忙しい方なのに、大指導主は雑用までさせるのか……と、ウルルクは主を想った。

 ただ、自由とは言っても、念の為に『契約の鉄錠フェール・ムノット』は常に両下肢りょうかしの足首に嵌められている。コンパクトなそれは大指導主から贈られたものであり、鎖などもないため比較的自由に行動できた。

 以前のものよりも不自由さは感じられないが、通常時でも幻狼オオカミの魔力を押さえつけられている感覚があり、少々不快である。

 

 「はぐらかさないで下さいよ。一体、彼女に何を――」

 「人体錬成の魔導書よ」

 「……は?」

 「気晴らしになるかと思って。あんな本、御伽噺おとぎばなしだから。死者復活なんてね、二千年の歴史があるフィラデルフでも成し遂げた者は居ないもの。神でもなきゃ不可能なことしか書かれていない、魔法使いの空想の産物。ただ、研究の内容自体は面白いものだから、暇潰しには最適だと思うわ」

 「何でそんな、酷いこと」

 「現実と向き合わせる為よ。今のあの子は、シェファード夫妻の死に囚われすぎてる。……目前もくぜんの、自分がマルバノに狙われているという事をしっかり自覚させないと。あの子まで、命を落とすことになりかねないから」

 「――そんな事しなくても、ネリはちゃんと」

 「はぁ……分かってないわねぇ? あの子にとって、シェファード夫妻は両親よりも慕っていた人間よ。二人の元に生まれていたら、家の重圧を感じずに普通の女の子として生きられたかもしれないって……そう話していたそうよ。――ネリが背負わされているのは、それほどのモノなの」

 「それは……それとこれとは、話が違いますから」

 「え〜、違わないわよぉ! ――と、あらヤダ。これから約束があるのよ。ネリちゃんにばっかかまけていないで、自分のことも少しは気にしてあげなさいね。目の下、くまが出来てるわよ」

 

 言うだけ言って去ろうとする彼女に、コート掛けから上着を取った少年は、真冬用に作られた裏起毛のローブを主の肩へ羽織らせる。

 フロアの廊下まで見送ると、連日の寝不足が祟ったのか身体が重くなってきたのを感じた。確かに、エイダの言う通り、この所ネリの事が気になって睡眠不足だったのは否めない。

 少年は皺ひとつない整えられたベッドへ倒れ込むように横になると、睡魔にいざなわれるまま、意識を手放した。

 

 

 ※※※

 

 

 西の魔女から貰った『人体錬成について』という馬鹿げた書籍に目を通していた少女は、サイドテーブルに置いた紅茶とチョコレートを交互に口にしながら暇を潰していた。

 ウルルクは毎日のように食事を用意してくれているが、正直、小母おばさまたちの件から食欲が湧かない。好みに合わせて、食べやすいものを用意してくれている彼には申し訳なさしかないが……人が水風船のように弾ける光景を見てからまだ数日。普通に食事を摂れるようになるのは時間が掛かりそうだった。

 双子の姉たちから贈られたチョコレートを数粒摘むと、都市部に戻ってきて受けた検診時に処方された薬を服用するため、ソファーから立ち上がった。

 サイドテーブルへ置いた本に肘をぶつけてしまい、音を立ててカーペットへ落ちる。ボト……と、ページを開くように落ちたそれから一枚の紙がひらりと舞う。

 

 『二十四時、噴水公園にて。モニュメントの目先、時計回りに三つ目のベンチ――西の魔女』

 

 黒薔薇の刻印の入った紙は少女が触れた瞬間、花弁はなびらへ変わった。

 エイダからの突然の呼び出しに、どのようにしてホテルのフロアに待機する警備員の目を掻い潜り、外に出るかを思案する。

 雇われたのは警備魔法士セキュリティ・パラゴン魔術師メイジほど能力はない彼らの目を盗むのは、差程苦労しないだろう。

 問題は彼らではなく、隣の部屋にいる幻狼族マーナガルムだ。

 一週間、毎日欠かさず最低一日五回は扉を叩かれている。

 ――自分を監視しているのは警備魔法士ではなく、ウルルクでは無かろうか。

 別に、顔を合わせたくないわけではない。

 ただ彼の顔を見ると……弱い自分が出て来てしまう気がして。あそこまで取り乱した姿を見せたのは、ウルルクがはじめてだったのだ。

 気恥ずかしさもあり、応答することが出来なかった。

 勿論、シェファード夫妻の件で塞ぎ込んでいたのもあるが……。

 どちらかと言うと、前者の理由が強かった。

 

 約束の時間が近くなり隣室の様子をうかがっていたが、夕方頃から物音一つしなかった。出掛けることは禁止されているので、部屋にいることは確かなのだが。

 就寝には大分早いが、昼寝でもしているのだろう。

 自分を過剰に心配する少年に何も告げず外へ出るのは気が引ける。

 しかし自分を思って喋らなかったとはいえ、あの時もウルルクは小父おじさまとの最後の会話を、ネリに教えることはなかったのだ。

 すべて少女を想っての事だが……約束は約束だ。


 ――彼だって何度か破ったのだから、すべて事細かに教えなくても良いだろう。

 言い出したのは彼の主、エイダなのだから。……何か少年が突っかかってくるようなら、彼女に何とかしてもらえばいい。


 若干、ネリは後ろ髪引かれながらも、ホテルの自室から足を踏み出した。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る