第5話

 

 

 ここにきて日課になっている牧場の手伝いの為、朝早くに目を覚ました。

 一番に牛舎へ出向いているはずのライト小父おじさまの所へ行こうとした際、血相を変えたアコ小母おばさまに何故か制されてしまう。

 あまりの形相に訳を尋ねたが、理由は教えてくれなかった。

 

 昼前になりようや厩舎きゅうしゃから戻ってきたライトは、どういうわけだか知らないがウルルクと共にいた。

 仲間外れかと、普段なら頬を膨らませたかもしれない。

 ただ、三人の様子を見て只事ではないのだろうなと、少女は黙ったまま、彼らが話してくれるのを待つ事にした。

 屋敷へ戻ってきてからというもの、小父おじさまは自室にこもり、何やら各所へ連絡を取り慌ただしくしているようだった。小母おばさまも小母おばさまで、普段片付けもしない物置に行ったきり顔を見ていない。

 仕方なしに今朝の魔法新聞に目を通していると、少年が客間へ来るよう手招きをしてくる。

 そっと読みかけの新聞をテーブルに置いて、指定席であるソファーから腰を上げた。

 

 

 神妙な面持おももちは崩さず、ウルルクは部屋に入るなりドカッとベッドへ座った。常時、しなやかな所作をする彼の珍しい行動に困惑しながらも、ネリは少年がしゃべりだすのを待つ。

 

 「明け方、厩舎の羊たちが……殺されてた」

 

 突然の激白に、少女は大きな双眸そうぼうを見開く。

 

 「――どういうことか、ちゃんと説明して」

 

 今朝三時頃。

 真っ暗闇の中、異様な気配を感じたウルルクは小父おじさんを起こし牛舎へ向かった。

 ランプで足元を照らしながら扉を開けたが、牛たちはスヤスヤと気持ちよさそうに眠っている。気のせいだったのか。念の為に牛舎を奥まで確認したあと、何事もなくて良かったと互いに胸を撫で下ろし、邸に戻りもう一眠りしようと鉄扉を閉め、施錠している最中さなか

 羊たちのわめき声と共に、何かが裂けるような痛々しい音が牧場に響く。

 ウルルクは音のした方へ走った。

 昨夜、施錠したはずの厩舎の扉は開け放たれていて。

 揺れるランプで照らされた地面には、点々と赤い水滴が垂れていた。

 牛舎から戻ったライトに制止され、少年は厩舎の入り口付近で待機する。先に中へ入った彼の、息を飲むような声に急ぎ足でライトの元へ駆け寄った。


 ――ヌチャり、


 靴底にやや粘着質な液体が大量に流れている。

 ぬめりをびた地面に気をつけながら、下を向いていた顔を上げた。

 何十匹といたはずの羊たちは、無惨にも息の根を止められていて。中には切断され、バラされたものもある。ピクピクと動く筋肉が異様に生々しかった。

 辺りを見回すと、そこかしこに肉片にくへんが転がっている。

 込み上げる物を必死に飲み込み、呆然と立ち尽くすライトへ近寄る。

 育ててきた家族同然の動物たちの悲惨な光景に、大の大人が鼻をすすり上げながら涙を流す背中を、彼が落ち着きを取り戻すまで擦り続けた――。

 

 「一体、誰がこんなことを」

 「あ……待ってください、おじさん。俺、これどこかで」

 

 幻狼族マーナガルムであるウルルクは、ヒトの数倍鼻が利く。

 血生臭い異臭の中に、かすかに刺激のある臭いを感じていた。記憶に新しい、嗅いだことのある臭いで間違いない。

 

 「それは確かなのかい、ウルルク。だとすれば……大変だ。急いで知らせないと」

 「俺たちが、ここに来たから――」

 「君らのせいじゃない。だからそんな顔をしないでくれ。大丈夫、この子たちの事は残念だけれど、悪いのは」

 「それはそうかもしれないけど、でもっ」

 「……ウルルク、いいかい? あの子には、ネリにはまだ話さないと約束して欲しい。心優しい自慢のだ。きっと羊たちの事を知ったら泣いて悲しむ」

 「――おじさん、」

 「少しの間で良い。こちらの準備が整うまで、あの子には……頼む」

 「わか、りました。俺もネリのあんな顔、二度と見たくない。――けど、隠し事はしないって彼女とは約束したので」

 「ああ、そうだな。昼までには諸々終わるだろう。頃合を見て、君から話してくれると助かるよ。ウルルクなら、ネリも落ち着いて聞けると思うからね」

 「そんなことは……」

 「おおっと、それから。さっきは有難う、大人気おとなげない所を見せてしまったけど。ウルルクが居てくれて良かったよ。――君も、もう僕の自慢の息子みたいなものなんだから、一人で背負おうなんて思わないで何でも相談しておいで」


 先程とは違う意味でも、涙が込み上げてきた。

 頬に流すことはなかったが、たしかに熱を持った瞳に耐えながら、羊たちに手を合わせる小父おじさんに習い彼も手を合わせる。

 それから、アコ小母おばさんやネリが起きるまでに何とか厩舎を片した。

 犠牲になったのはここに居た羊たちのみで、他の厩舎にいた動物たちは傷一つなかった。羊の厩舎が一番、屋敷から離れていることもありこの場所を選んだのだろう。

 いつ、また襲撃されるか分からない。

 帰宅後、小母おばさんにいち早く報告し血で汚れた身体を洗い流した後、少年はその時に備えた。

 幾時間か経ち、約束の時間。

 こちらを気にしつつもソファーでくつろぐネリに声を掛け、今に至る。

 

 「――こんな、早いなんて」

 

 青ざめた少女は口元に手を当て、聞いた限りの惨劇を想像したのか、今にも吐き出しそうだった。震えた息を吐いた彼女を、ウルルクはそっと抱き寄せる。

 押し返されるかと思ったが、ネリは素直に肩にもたれかかった。

 ニットが涙を吸収し、数分経った頃。

 

 「あの子たちと昨日、走り回って遊んだのよ。それが――どうして? よくこんな、酷いことを出来るわね。るならあたしにすればいいのに……! 一体、マルバノは何処まで非道なの?!」

 

 反国家勢力マルバノは、禍々まがまがしい赤黒い花『マルバノキ』から名を取っている。

 西の魔女の屋敷で襲われたあの日。

 五感奪取の魔法を掛けられる寸前に鼻をかすめた、生臭い刺激臭。

 あれは、マルバノキの花の匂いだ。

 厩舎を襲ったのは『俺たちの居場所は掴んでいる、逃げ場などない。次はお前たちだ』という警告だったのだろう。

 

 「……ウルルク、駄目よ。絶対にこんなの駄目」

 「うん、わかってる。おじさんとおばさんは――俺たちを守ろうとしているみたいだけれど、そんなのはダメだ。あの人達に何かあったらいけない。……準備は整えた、ネリの支度が終わり次第、ここを出よう」

 「ええそうね、そうしましょう」

 「――それと、その……ごめん。先に謝っておきたいことがあるんだ」

 

 コルティーツオに来てからというもの、魔法とは無縁の生活をしていた。魔力の使い方を忘れるなんて事はなかったが、運悪く今日は月に一度の満月で。

 その為に、魔力の供給が不安定になっている。

 あるじであるエイダ様に頂いた魔導具『契約の鉄錠フェール・ムノット』もない。

 血のたぎりを制する事は、アレがなくても出来る。

 ただ、魔力を制御する魔導具を装着せずに満月を迎えるのは、生まれてはじめての事。たとえ変化したとしても平常心を保てるだろうが、イレギュラーな事に対応出来るかどうかは、いまだ未知数だ。

 タイミングの悪さに乾いた笑いが出る。


 「仕方ないわ。運命ってそういうものなのよ――きっと」


 少女は懐かしむようにベッドシーツをなぞる。


 「平気よ、あなたなら。万が一、暴走しそうになったら……そうね。このあたしが、身をていしてめてあげるわ」


 ごちゃごちゃになった頭を軽く整理し、何を一番にすべきなのかを考える。

 手荷物を小さく纏め、ネリは少年とはかった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る