第3話
夫婦の屋敷へついて早々、アコ
夕飯の支度をするまでゆっくりしていなさいと、彼女に言われるがままベッドへ沈む。フカフカの洗いたてシーツは、疲れた少女に眠気をもたらす。うつらうつらと、次第に
木枠の
「眠たいの? 疲れてるもんね」
ベッドの縁に腰を下ろした少年は、どこか安心したような顔持ちで。
にこやかな表情は変わらないが、いつもの張り詰めた雰囲気はそこにはなかった。
赤い屋根の平屋は、夫婦で暮らすには十分な広さがあるものの、物の多いこの家に客間はひとつしかなく。以前ネリがホームステイ期間中、使用していた部屋は既に物置化していて。シングルベッドが二つ置いてある客間で、ふたりは寝床を共にすることとなった。
正直、いい歳頃なので別々の部屋で寝たかったけれど、こうして安楽地に辿りつけただけ良かったと思わねばならない。
ただ、それでも長い間世話になる訳にはいかないだろう。
マルバノが再び動き出せば、シェファード夫妻を巻き込みかねない。身を整え、ある程度準備が出来次第ここから出た方が良い――。
ネリは重みを増す瞼を感じながら、先のことを考えていた。
あの事があってから、マルバノの事が頭から離れない。
焦っている、と言われればその通りで。
近いうちに何かがあると、胸の内が騒いで仕方ないのだ。
「――ネリ?」
「大丈夫。少し…休むだけよ」
浮かぶような感覚に意識を手放しそうになりながら、ウルルクの呼び掛けに答えた。
※※※
朝日が
室内でも吐く息が白い。
暖房器具を急いで用意し、以前使っていた
いまだ寝息を立てる少年は、案外、寝相が悪いのだとここ最近知った。
シェファード夫妻の屋敷へ来て十日。
すっかり夫妻に気に入られた
物音を立ててもピクリともする様子がない。
「
キッチンにいたアコに朝の挨拶をするが、
ネリたちがまだ夢の中に居る時間帯、彼らは大抵キッチンでイチャイチャしながら朝食を作っていることが多いのだ。少女にとっては昔から見慣れた光景だが、それを見たウルルクが
「あらっ、おはようネリ。今日も手伝ってくれるの? 嬉しいわ♡」
「当たり前よ、ただの
「そんなことないわ。ネリが家に居てくれるだけで幸せなのよ、わたし達。それに、彼氏まで連れてきてくれるんだから、嬉しいことこの上ないの」
「だっ、から――彼氏とかそういうのではないって言っているじゃない。彼は……ウルルクは同居人だっただけで、別にそんなんじゃ」
「うふふ♡ あの子はそうじゃないみたいだけど」
「からかわないで。……ねえ、それよりライト
日付が変わる寸前まで少年と話し込んでいたライトは、二日酔いでダウンしているそうだ。温厚な
しかし、アコ
「嬉しくて舞い上がっちゃったのよ。あの人、男の子を欲しがってたから」
シェファード夫妻は子宝に恵まれなかった。
かといって夫婦二人きりなのも、それはそれで楽しいと、落胆することはなかったようだ。二人を見ていればわかる。とても幸せそうだから。
「ウルルクも……そう言ってもらえて嬉しいと思うわ。なんたって
彼もまた、親の顔を知らない少年だ。
実の息子のように扱う夫妻に、照れ臭そうだが、エイダのところにいる時よりも心からの笑顔が増えた気がする。
西の
ウルルクとエイダの関係性は、家族――というのとはまた違った形の愛だったのだと、今になって思うときがある。
小柄な少女には、かなりの重労働だ。
魔法があれば一瞬で終わる作業だが、夫婦は『動物にはひとつひとつ丁寧に、自分たちの手だけで育ててあげたい』という方針の元、牧場の仕事に関しては一切魔法を使わないのである。
――たとえ魔法で作業をしていいとしても、今の彼女には身体ひとつで働くしか方法はないのだが。
汗水垂らして動くのは、嫌いじゃない。
頭を空っぽにして動物たちの世話をしていると、家や学校の事を忘れられるから。
今でこそ、誇りに思えるが、中等部のころは思春期ともあって、何かと家の名を出されるのが嫌だったのだ。
西の魔女、エイダは父が心配していたと言っていたけれど。
全くもって信じられない。
娘が理不尽に退学処分を下されても、ソファーで足を組み黙っていた男だ。
そんな父親だけれど、チクチクと――魔女おばさまからの手紙にあった文言が、少女を突き刺して仕方なかった。
「――朝ごはんだって、ネリ」
実家のことを考えていると、背後から聞きなれた声がした。牛舎の扉に寄りかかるように、
「遅いお目覚めね。もう、二日酔いはいいのかしら」
「なんか、人聞きが悪いなぁ。俺は呑んでないってば」
「もうコッチはひと段落したから、羊たちの厩舎の柵を解放したら戻るわ」
「あ、手伝えなかったの怒ってるんだ?」
「……そのくらいで怒らないわよ。ま、でもあなたが気持ちよさそうに寝れたみたいでよかったわ。本当に」
「シェファードさん達ってさ……親って、あんな感じなのかな」
「さあね。どうかしら。あたしの親みたいな人達もいるし、一概には言えないんじゃない?」
「え、なに、なんでそんなイライラしてるの」
「してないわよ。――ほら、
「手伝うのは、いいけど」
牛舎から出ると、その足で厩舎へ向かう。最中、少女は口を開くことはなかった。
※※※
「あら、機嫌悪いって……あの子が?」
食器の片付けを手伝いながら、今朝の出来事をアコに相談する少年は、布巾でカップの雫を拭きながら溜息を吐いた。
そんなようすの少年を見たアコは、クスクスとリビングに居る少女に聞こえないように笑う。
「ごめんなさいね、だって……貴方達があまりに可愛いものだから」
「えー酷いですよ、アコさん。俺本気で分からないのに」
「あらあら。ネリより精神年齢が高いかと思ってたけど、案外同じくらいなのかしら。てっきり、もっと押せ押せなのかと思っていたのに」
「――あ、あー……そういうことか」
彼女はシェファード夫妻を俺に取られてしまったと、そう感じたのだろう。「どうしたらいいですかね」なんて言うウルルクに、アコは笑いを堪えきれなかった。
「ヤダ、もうそれ本気で言ってるの?」
「……いじらしいね、それが青春っぽくて可愛らしいんだけど」
――ぽん、
肩に置かれた分厚い手のひらが暖かい。
昼前になり漸く起きてきたライトは、大きく
「僕たちに、嫉妬しているんだよ。あの子は」
「そんな……まさか、あのネリですよ?」
「あの、ネリがだよ」
普段からちょっかいを掛けていたが、そんな
今の彼女の態度が嫉妬によるものだと二人から教えられた少年は、機嫌を損ねてしまった少女を想いあるものを作る為、アコにキッチンを借りることにした。
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