第5話

 

【アルプゥ山脈:氷山ミヌレ・イスベルグ

 日が登り始めた頃。

 窓から差し込む太陽の光で目を覚ました。隙間風が寒い。

 身を起こしてまぶたを擦ると、手元に紐で括られた手紙のようなものが置いてあった。

 

 『愛しい子供たちへ――

 守りきれなくてごめんなさい。

 貴方たちが無事、逃げ延びたようで本当に嬉しいわ。

 例のマルバノは全身火傷を負ったみたいだけど、一命を取り留めているわ。大指導主グランドデューク監督の元、司法高官ジャスティシアが回復を待ってから尋問を掛けるそうよ。

 仕事の都合上、私も立ち会うことが出来ないのが非常に残念でならないけど……。

 組織は現在、私や貴方たちの追跡は中断しているらしいから、実家の方へ戻って――と言いたいところなんだけど、そうもいかないのが現状よ。

 フランダール本家は常に彼等の監視下だし、私のところも安全とは言えないの。

 貴女のお父様……兄様がね、事態を把握してから直ぐに連絡をくれて。彼の旧友であるシェファード夫妻に応援を要請したみたいなの。

 すでに向こうの了承も得ているから、安心して。

 ――ルグレ兄様、本当に貴女のことを心配していたわ。今は居場所を探知されてしまう可能性を否めなくて、直接連絡を取ることが出来ないから……。

 口数の少ないヒトだけど、あの人、相当悔やんでいたのよ。

 本家に置いておけば……仕事を投げ打ってでも自分の手元で守ればよかったって。

 あんな兄様、はじめて知ったから驚いちゃった。


 それから、ネリちゃんは勿論知ってると思うけど、シェファード夫妻はこの状況で数少ない信頼のおける魔術師メイジよ。私や、兄様が保証する。

 だから、ウルルク。貴方にもきっと良くしてくれると思うわ。


 ああ、屋敷のことは気にしないように。

 町長にも、説明は済んでいるから大丈夫。巻き込まれた人は誰一人いないそうよ。

 貴方たちを、危険な目に合わせておいて傍に置くこともできなくて……本当に、ごめんなさい。

 あいしているわ、いとしい子どもたち。

 

 追伸:この手紙は確認次第、燃やして処分すること。ウルルク、私の姪っ子を宜しく頼んだわよ』

 

 せっかくこの街へ来たのだから、もう少し堪能したかったけれど。

 残念に思いながらも、街の人たちがマルバノとの厄介事に巻き込まなくて良かったと安堵した。

 

 『シェファード夫妻』は、類稀たぐいまれに強力な魔法を扱える人間である。

 魔法使いと違い、大指導主から授かる『人口魔法石ヌーマイト』を用いて発動する魔法は、元々魔力を持つ者よりも幾分いくぶん劣ってしまうのが通常だ。

 だが彼らは、魔法使いと比べても非常に優れていて、入学してすぐその頭角をあらわにした。ふたりは魔法学校在学中揃って優秀な成績を納めており、数える程しか存在しないとしても有名になるほどだった。

 ネリの父親であるルグレ・フランダールとは級友で、共に勉学を競い合った仲である。

 現在は魔術師としての仕事からは引退し、静かな山奥の農村で『羊飼い』として魔法とは無縁の暮らしをしているのだが、稀に魔術師としての仕事の依頼もこなしているという噂はあった。

 ネリが中等部に所属していた時に『魔法のない世界とは』というテーマで論文を書くことになり、その際、参考にするため農村へ短期ホームステイをすることになったのだが、その場所こそ両親の学友であったシェファード夫妻の住まいであった。

 

 「人里から隔離された山中なら、確かにマルバノも探し出すのに時間が掛かりそうね。しばらく身を隠すには持ってこいの場所だわ」

 「――なるほどね。尋問が終わるまでの時間稼ぎって感じか」

 

 肩越しに覗き込むようにして、少年は彼女に話しかけた。

 起きていると思わなかったネリは、大袈裟に驚く。背後を取られても気付かないくらい、信用してしまっている自分に落胆した。

 ――というか、近い、近過ぎないだろうか。

 超至近距離……肩に顎を乗せられている状態で紡がれる彼の声は、高級砂糖菓子のように快美なモノで。思わず耳朶みみが赤く染まる。

 怪訝な顔で睨みつけると、少年は艶然えんぜんと微笑み、後ろから抱え込むようにしてお腹側へ腕を回してきた。

 

 「おはよ、ネリ。よく眠れた?」

 「ええ。お陰様でぐっすり眠れたわ。あなたはまだ寝足りないようだから、眠らせてあげましょうか? 物理的に」

 

 少女が眠った後も、しばらく辺りを警戒していてくれたウルルク。「調子に乗りました」と素直に陳謝した彼だったが、正直、物理的……と言ったのは冗談であって。もう少し横になっていても構わなかったのに、と少女は気にかけた。

 短時間睡眠で事足りる幻狼オオカミは、彼女から少し距離を取り、硬い床で就寝していた代償なのか。凝り固まった身体のきしみみをストレッチしてほぐす。

 存外、柔軟な彼の体躯からだに感激していると、距離を取ったはずのウルルクは再び手元の手紙を覗き込むかたちで接近してきた。

 

 「で、手紙の内容はそれで全部?」

 

 パーソナルスペースの狭い彼に、毎度毎度突っかかるのも疲れるので、ネリは泰然たいぜんと頷き返すとそれを受け取った少年が、一瞬で塵へと燃やした。

 

 「場所は覚えてる? 手持ちも食料も少ないし、近いといいんだけど」

 「南へ下ったとこにある都市から、鉄道で五時間くらいかしら。地図上で見たことしかないのだけれど、確かこの辺に鉄道トンネルがなかった?」

 「トンネル? ああ、確かとうげを越えた先の……。もう何年も前に、老朽化で閉鎖されたはずだけど」

 「――閉鎖ですって? 困ったわね、鉱山街からも乗り継いで行けなくはないけど……この状況じゃ街に降りるわけにもいかないのに」

 「そっ! そこなんだよねえ」

 「目的地である『コルティーツオ』までは中心都市ミラーノからしか行けないし、中心都市ミラーノだって正規のルートだと……とてもじゃないけど歩いては行けないわね」

 

 アルプゥ山脈の山の中のひとつ、そのふもとに位置するコルティーツオは、人口五千人程の村。緑の豊かさと地形に恵まれ、リゾート地として栄えている。

 そんな村から少し離れた山中で、夫妻の牧場が営まれているのだが。

 山村故に、現在直通の汽車は都市ミラーノからのみで、交通に関しては非常に不便なところとなってしまっていた。

 峠を降りた小さな駅からは、十数年前まではミラーノまで汽車が確かに出ていた。

 過疎化が進み、利用客も減り汽車や線路自体の老朽化もあって、使用されなくなったのである。

 ただ、鉄道が通っていた時代に使用していたトンネルは、そのまま残っていて。ネリの記憶では、そのトンネルを直進すれば中心都市ミラーノまで行けたはずなのだ。

 自他ともに認める方向音痴だが、暗記は得意だった為、地理の授業で見た地図を覚えていた。勉強していて損なことはないな、と改めて自画自賛する。


 「少し危険だけれど、その閉鎖されたトンネルを通れば人目につかずミラーノまで行けるわね」

 「崩落の危険は今のところないとは聞いてるけど、万が一ってこともあるよ」

 「……いまのあたし達には選択肢が少なすぎるのよ。少しでもマルバノと接触しないであろう方法で着きたいの。鉱山街へ降りて、それこそ万が一、街の人でも巻き込んでしまったら――考えただけでゾッとしないわ」

 

 確かに、無関係のヒトに被害が出るのだけは避けたい。彼女の言う事も一理あると、ウルルクは納得した。であれば、行動するのは早いに越したことはない。

 

 「準備が整ったら、ここを出よう」

 

 小屋にある保存食や携帯用ナイフなどを適当に詰め込んだ二人分のリュックを、それぞれ背負い、朝霜を踏みしめながら少女たちは下山した。

 

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