第8話


 「満月って……どうも苦手なのよね」

 

 夜の帳がおりる頃。

 夕飯を食べ終え、特にすることもなかった少女は、置いてあった小説を拝借し自室で休んでいた。

 吊り下げ式のランプの中、蝋燭ろうそくに揺れる暖かい光。本から目を移し、それを見やりながら、夕食中、どこかうつろというか、心ここに在らずといった表情だった彼を思い浮かべる。

 窓の外に見える赤い月。

 今日は満月だ。

 綺麗だけれど、どこか恐怖を感じる丸い月。

 

 「赤い、満月……月が満ちるときけもののチカラは増幅し、己の意志を無くすモノは月の光に呑み込まれん――確か生物学の授業で習った気が……なんだったかしら」

 

 随分むかしに習ったことだ。ヤケに気にかかるそれを思い出すため、脳内の引き出しを洗いざらい開けていく。

 温厚な小人族ドワーフでさえ、狂わす月の光。満月の夜は、外に出てはならないと古くから言い伝えられていて、それが当たり前だった。

 ――幻狼族マーナガルムは月の影響を受けやすい。

 そうだ。月が満ちる満月の日は、幻狼はそれに惑わされると聞いたのだ。

 人型に擬態した彼らも、この日ばかりは望まなくして本来の獣の姿になってしまう……と。

 

 では今、ウルルクは――?

 

 正常に成長した幻狼は、大人になるにつれ己の魔力でコントロール出来るようになるとは言うが、それは群れの中での話だ。幼子のころより魔法使いに育てられた彼は、それに含まれるのだろうか。

 窓から盛れる赤い光に、ゾクゾクと背筋が張る。

 言わ知れぬ恐怖を感じた少女は、蝋燭に灯る火を消し、隣の部屋へ足を運んだ。

 

 


 「いない、ノックしたらすぐ開けてくれるのに」

 

 階段下を覗くが、明かりは着いていないところを見ると一階には居ないのだろう。玄関の方から、チラチラと炎の揺れる影が見えるが……あれは安全灯だ。

 

 ――ガッ……ガッ……

 

 「……そこにいるのね」

 

 微かに聞こえた金属音の方へ向かう。

 書斎の扉は魔法で戸締りされているので、魔力のないネリには開けることが出来ない。試しに扉を押してみるが、ビクともしなかった。

 

 「こんな時のために、実家から持ってきて正解だったわね」

 

 バールのようなものを手に、ブラスキーを強引にこじ開ける。

 力仕事は苦手だが、必死に力を込めた。

 三つのうちの最後のキーが外れ、大きな音を立てて床に落ちる。

 

 ――あ……なんで……。

 

 細々と苦痛に歪んだ唇から漏れた声は、聞きなれたベルベットボイスだった。

 

 「ツラいなら言いなさいよ」

 

 白銀の毛に覆われた獣。

 昼間見たおりの中、自分で鍵をかけたのだろう。物々しい鎖に繋がれた幻狼オオカミは、今宵の満月と同じ紅蓮に燃ゆる双眸そうぼうで、二回りも小さい少女を見つめた。

 

 「綺麗ね、こんな美しい姿なら隠す必要ないじゃない」

 

 檻の隙間から、腕を伸ばしウルルクへ触れる。

 雪の結晶のようにきらめく獣毛を撫でると、大袈裟に身体を揺らした。

 

 「あたしが、怖がるとでも思ったの?」

 「…………」

 「そのくらいで怖気おじけ付くあたしじゃなくってよ。随分軽く見られたものね」

 

 ――怖がっているのは、あなたの方じゃない。

 少女は声を沈め、自分の中の獣の血に脅える少年を優しく宥める。落ち着きを取り戻した彼は、変化したままだが彼女と普段通りに話せるまでになっていた。

 

 「みにくい姿を見られたら、幻滅されるかもって思ったんだ。君が、そんな子じゃないのは分かってるつもりだったんだけど」

 「胸を張りなさいよ。あなたは誇り高い幻狼族で……お節介で助平すけべなウルルクなんだから。そんな調子のあなた、見ていられないわ」

 「お節介って、ヒドイなぁ」

 「ツッコミ所間違えてるわよ」

 

 幻狼の血を全く制御出来ていないわけではないようで、ネリは安心した。自我を失う幻獣もいると聞いていたから、そこを心配していたのだ。

 至って冷静な彼を檻から出そうと試みた彼女だが、本人に拒否される。こんな小さな書斎の檻で、一人寝かせるなんて出来ない。

 一度部屋に戻り、毛布と枕を持って書斎へ戻ると、ウルルクは絶句した。

 

 「そこで寝るつもりなの?」

 「ええ、あなたが檻から出ないならね」

 「気にしなくていいのに」

 「なら、あたしの事も気にしなくて結構よ」

 

 煌々こうこうと部屋を照らすランプを消して、檻に寄りかかるようにして毛布にくるまる。寝心地はいいものでは無いが、いつもより心安らかだ。

 

 「変化魔法シャンジュモンは習得しているの?」

 

 幻狼族は基本的に、群れの中では獣の姿でいる事が多いと聞いていた。時代の流れで人型の方が生活する上で便利だと知り、段々と変わっていったらしいが。

 彼らの『固有魔法』である変化は、生まれた時に周りの大人たちから教わる魔法だ。特殊な魔法なので、一族しか伝えられない特別なもの。

 それ故、親のいないウルルクは教わる術が無かったはずだ。

 

 「半分独学だったから、だいぶ時間が掛かったけど。何とか出来るようにはなってるよ。ただ、エイダ様は教え方があんまり上手くないし……それに」

 「?」

 「ヒトの方がモテるし、こっちの姿好きじゃないんだよね」

 

 ――あ、そう。

 シラっとしたけがらわしいものを見る目で彼を凝視した。

 今のしおらしい姿のあなたも嫌いじゃないわよ。と言ってあげようとしたが、キメ顔でこちらを見てくるのにイラッとしたネリは、毛布を頭まで被り嘘寝を決め込んだ。

 


 ※※※

 


 ――チュン、チュチュ。

 小鳥のさえずる音が聞こえ、いつの間にか寝ていた少女は目を開けた。くるまっていた毛布を剥ごうとした瞬間、凍えるような風が彼女の肌を突き刺した。

 

 「なっ、なんで窓開いてるのよ! 寒いじゃないっ」

 

 書斎の窓が薄く開けられ、風通しが良くなっている。ガチガチと震えながら窓を閉めると、檻に居たはずの幻狼の姿がないのに気がついた。

 

 「おはよ、ネリ」

 「……ウルルク、もう起きてたの」

 

 振り返ったそこには、昨日の姿はなく。

 いつもの彼が身嗜みバッチリの状態で扉近くに立っていた。

 

 「何言ってるの、昼前だよ」

 「嘘……あたしが寝過ごすなんて。はじめてだわ、こんなの」

 「部屋に戻って寝ててもいいよ?」

 「――そんなだらしの無い事しないわ。せっかく晴れているみたいだし」

 

 毛布を畳み、枕とセットして肩脇に抱える。

 彼と一緒に書斎を出ると、昨夜ぶっ壊したブラスキーが元通りに直されていた。

 

 「馬鹿力なんだもん。直すの大変だったんだよ」

 

 さすがに申し訳なかったな、とネリは素直に謝る。

 そんな彼女の空腹を訴える腹の虫が鳴り、少年はクスりと笑った。

 

 「……一食少ないんだから、当然でしょう」

 「あははっ、そうだね。着替えてきなよ、作っておくから」

 「…………ホットケーキ。生クリームたっぷりの」

 「はいはい。かしこまりました、姫様マイ・マ・シェリ

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