第6話

 香ばしい香りと冷たい気配に気付かれたのだろう。

 少年が声をかける前に、書斎の扉が開く。

 開かれた扉は入室するとゆっくりと閉まり、真鍮しんちゅう製のブラスキーが掛かった。

 エイダは書斎の中央に設置された机に、古紙や書籍を乱雑に置いた状態で、何かにペンを走らせている。

 

 「やられたわ」

 

 サイドテーブルに珈琲とビスケットの乗ったトレーを置く。

 カップを手に取り口をつけると、彼女は深い溜息を吐いた。

 

 「まさか、こんなに早く居場所が割られるなんて」

 「街に手配していた魔術師メイジが三人も殺されたと言うことは、そろそろですか」

 「……どうだろう。結界魔法で屋敷は特定出来てないみたいだけど。猶予は一ヶ月ってところねぇ。ウルルクも準備はしておいて」

 「――はい、エイダ様」

 

 先程、リビングで言っていた古い友人とは、同期の魔術師たちのことで。もちろん、彼は始めから知っていたが、まだネリには知られて欲しくない事があり、彼女から口止めされたいた。

 普段のひょうげた態度をとる彼女はここには居らず。唸りながら、大指導主グランドデュークから送られた書類と睨み合っている。

 

 「こんな時に申し訳ないんだけど、大指導主グランドデュークから長期仕事の要請があってねぇ……三週間は屋敷を空けることになりそうなの」

 「有事の際には、ヤツらの足止めを。彼女は何があろうと、俺が逃がしきります」

 「――ええ、頼むわよ」

 

 魔法協会から破門された魔術師たちが、ここ最近になってから西の魔女の行方を追いかけていた。

 『生きとし生けるもの全てに平等を』と考える歴代の大指導主に背き、組織を立ち上げた魔法使いは少なくない。国の方針に異を唱える彼らは『マルバノ』と名乗り、反国家組織として違法魔道具や禁忌魔法を扱い、自分たちの思想に反する者を粛清せいしゅくするために活動する集団だ。

 大指導主の側近とも言われるエイダを、前々から忌み嫌っていたのは、エイダ本人も知っている。職務の最中、命を狙われた事も多々あった。

 しかし、いま組織が狙っているのは西の魔女ではなく。

 調査の末、彼女の元へ身を寄せる『幻狼族マーナガルム』と『フランダール家の娘』を狙っての犯行だと判明したのが、たった三日前だ。

 以前から、隣町などに遠出した際、どこからか悪意に満ちた殺気が自分に突き刺さるのはウルルクも感じ取っていた。

 警戒していた矢先、魔法学校を退学になったという少女がこの街に来て。それからというもの、ふもとの街や屋敷に近い拒絶ルフゥーの森にまでも、その気配を感じるようになったのだ。

 希少価値の高い幻狼おおかみである自分を狙ってくるのは、何となく理由はわかる。分からないのは――。

 なぜ、魔力のなくなった少女までも狙っているのか?

 彼の主であるエイダは、薄々……いや、確実に少女について何かを隠していて、それが原因なのも理解しているのだろう。ひた隠しにしている主に、当の本人であるネリですら知らないことなのではないかと、彼は推測していた。

 彼女を問い質したところで、不確かな情報を渡そうとはしない事は、十年以上共にして良くわかっている。信用されていないのではなく、知ることで危険に晒してしまうのではないかと、彼女なりの気遣いなのだ。


 本格的に動き始めたヤツらを捕獲しようと、エイダは信用できる古い馴染みの魔術師たちに依頼をかけた――が、彼女と肩を並べる優秀なはずの魔術師たちは一夜にして殲滅されてしまった。

 殺そうとしているのか。

 はたまた、捕まえて密売でもする気なのか。

 詳細は分からないが、この土地をもう時期離れなければならない事は確かだった。

 

 せっかく心を開き始めたネリと、最悪、今生の別れになるかもしれない――。

 少女と出会う前は、この命が惜しいなんて考えたこともなかったのに。

 ウルルクは近い将来を想像し、顔を曇らせた。

 

 「なるべく早く仕事を終わらせて帰ってくるわ」

 「はい」

 「――っと、危ない危ない。忘れるところだったわぁ。ウルルク、手を出しなさい」

 

 主に言われるがまま、両手を差し出す。

 重量のある鎖の着いた手錠を受け取ると、大事に胸に抱える。

 

 「明朝には出立するわ。だから、明日の満月には独りでコレを着けること。やり方は説明した通りよ、わかるわね?」

 「大丈夫です」

 「ならよかった――あの子には、上手いこと言うか、えーと……ああ、あったわ。この睡眠薬を飲ませちゃいなさい。悪い物は入ってないから」

 「…………」

 「フフ……珍しい、緊張してるわね」

 「ネリが来てから、はじめての満月だから」

 「大丈夫、大丈夫よ。それがなくったって、本来ならもう安定する年頃だもの」

 

 ※※※


 ――ギィィ……バタン、

 立て付けが悪い重厚感のある扉が閉まる。

 仕事の邪魔にならないよう、書斎を出て厨房へ向かおうと軋む廊下を歩き出したが、ふと手元のゴツイ金属魂きんぞくこんを見やった。

 こんな如何にもな鉄鎖を持っていたら、流石に怪しまれるか、日頃の行いからだと勘違いされてしまうかもしれない。

 夕食の支度をする前に自室へ戻り、西の魔女が精製した魔導具『契約の鉄錠フェール・ムノット』を、鉄格子のはめられた小さな窓近くのサイドテーブルへ置いた。

 

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