第5話


 昼にたらふくパスタを食べてから、天気が変わらないうちに拒絶ルフゥーの森へ足を運ぶ。

 『ユキノシタ』という抗炎症作用のある薬草を探しているのだが、積もりはじめた雪に覆われてしまったのか。隠れて一向に出てこない。

 

 「楕円形の葉の形をしているんでしょう?」

 「そうそう。寒さに強くて頑丈だから、ある程度なら雪に押し潰されないんだ。だからまだ平気だとは思うんだけど」

 

 小一時間ほど森の中を探していると、白い中に隠れていた楕円の葉を見つけた。

 

 「あ……あったわ」

 

 雪を掻き分け根っこから摘み、ウルルクへ確認をとる。

 

 「うん、これがユキノシタだよ」

 

 目標の枚数には足らないがユキノシタを手に入れることが出来た。

 本当は手元にある倍必要なのだが、午前より降り始めていた雪が徐々に強まっていて。本降りになる前に屋敷へ戻ろうと、食べられる野草やキノコ、薬草を詰めたかごを持ちあげ、ウルルクは歩き出した。

 寒さに慣れないネリは凍えながら必死に彼の後ろを歩いていく。ぶるりと身を震わすと、くしゅ、と可愛らしいクシャミが漏れた。

 

 「コート貸そうか?」

 「へっ、平気よ……これくらい」

 

 強がって鼻をすする。

 二十分歩き、やっとのことで屋敷に着く頃には、積雪が五センチにまでなっていた。キラりと光る雪の結晶を玄関先で振り落としてから、暖炉で暖まった室内へはいる。モワッとした空気に、かじかんだ指先がムズムズした。

 

 

 薬草に『状態維持魔法マンジョ・デ・リッタ』を掛け、ウルルクがガラス瓶へユキノシタを保管する。

 コート掛けに上着をかけ、ネリはそそくさと暖炉の前に座り込んだ。

 通年、気温の変化があまりない都市部に生まれたからか、自分が寒さに滅法弱いなんて知らなかった。

 赤切れになる手前の指先を擦り合わせていると、野草などを入れていた籠を厨房へ置いてきた彼が隣へ腰を下ろした。

 

 「明日は出掛けられそうにないね」

 

 窓の外へ目をやると、さっきまでいた屋敷の外は大荒れで。轟々と吹雪く音がうるさい。

 

 「ねえ、聞いてもいいかしら」

 

 ゆらゆらとうねる炎に照らされた真紅の瞳がこちらを射抜く。

 時々、彼が口にする言葉にずっと引っかかりを覚えていたのだ。

 『捨てられた』

 種族間の繋がりが強い幻狼族マーナガルムが、もし本当に息子を捨てたのだとしたら、理由はなんなのだろうと。

 

 「エイダとは、どうやって知り合ったの?」

 「……うーん」

 「あ、待って。話したくないならいいの」

 

 話を切り上げようとした彼女に、ウルルクは慌てた様子でそれを止めた。

 

 「実は、おぼえてなくって」

 「まさか……記憶喪失?」

 「拒絶ルフゥーの森に、赤ん坊の時捨てられていたらしいんだ。二歳くらいの時かな? エイダ様にそう聞かされたのは」

 「おばさまに拾われたのね、あなた」

 

 十数年前の出来事を、懐かしむように彼は頷いた。

 彼の見た目からして、そう歳は変わらないはず。結婚すらしていないおばさまは、何を持って彼を拾い育て上げたのだろう。

 普通だったら、その当時には既に世帯を持っていたおばさまの兄……ネリの父親を頼ってきてもおかしくはない。

 どうして、エイダは彼のことを黙っていたのだろう。知っていたら、もっと早く出会えていたかもしれないのに――。

 

 「ネリ? どうしたの、ぼうっとして」

 「えっ……ええ、いや……なんでもないわ」

 

 変なことを考えてしまった、とネリは自分に疑問を抱く。

 何故、早く出会えていたらなんて思ってしまったのだろう。感じたことの無い心情に気付き、顔から火が出そうだ。

 恥ずかしげに身を縮こませる彼女を、普段のウルルクなら茶化しただろうが。

 心地よい静寂に、彼は何を言うでもなくネリを見つめた。

 

 「ウルルク?」

 

 こちらに前のめりになり、手をついた弾みで床板が軋む。

 体育座りになり、膝を両手で抱えるように腰を下ろしているネリに、影が覆いかぶさった。

 

 「君の眼って吸い込まれそう。曇りや影のない蒼空みたいで」

 「――なによ、急に」

 「あ……逃げるなよ、何もしないから」

 

 そうは言っても、動けば鼻先がついてしまいそうな程の至近距離で、バクバクと脈打つ心臓の音が聴こえてしまうかもしれないと、無意識に身を捩り距離を保とうとする。

 ――治まれ、治まってよ。

 ネリは高鳴る胸の意味が、実はまだ理解出来ていなかった。どうして、彼の灼熱に燃ゆる双眸そうぼうに捉えられるとこうなってしまうのか。

 

 「ち、近いわよ。もう少し、そっちに行って」

 「イヤだ――って、言ったらネリはどうする?」

 「どうするも何もないわよ。だって、そんなの」

 

 橙色オレンジに照らされ落ちた二つの影が、ぐっと近付く。

 水仕事で荒れた指が首元をかすめ――

 

 チリンチリンチリンチリン

 

 「たっだいま〜♡ あら? いつもの出迎えがないわね」

 

 屋敷の主の帰宅を知らせるベルが盛大に鳴り響いて、何もやましいことはないが、慌ててふたりは距離をとった。

 

 「やだ……もしかしてバッドタイミングだったのかしら」

 

 過度なリアクションで、エイダはよろけて見せる。よろよろと床へ膝を着くと「馬に蹴られてくるわね……」と来た道を戻ろうとした。

 

 「ここらには馬なんていませんよ、お出迎えが遅くなってすみませんエイダ様」

  

 一瞬、垣間見えた慌てふためく彼はもうそこにいない。

 華麗に暖炉の前から立ち去ると、主君であるエイダの元へ駆け寄り外掛けと手袋を預かった。

 

 「珍しい、今日は礼服なのね」

 

 年頃の男の子がいても気にすることなく、透け透けのランジェリードレスを身にまとうのを好む彼女は、肌を露出しない漆黒のドレスを着用していた。黒色の丈の長いクラシカルドレスは、魔女の正装だ。国の行事や式典、冠婚葬祭の時にのみ着るそれを纏っているということは、そのうちの何かがあったのだろう。

 

 「……古い友人がね。もういい年齢だったから。イヤねぇ、歳をとるって」

 「そう――」

 「ところで、夕食はもう食べちゃったのかしら? 挨拶や何やらでまともに食べてないのよ、今日」

 「俺たちもつい先程帰ったばかりで。これから支度するので少々時間が……必要でしたら軽食をお持ちしますが」

 「そうねぇ、珈琲とビスケットでいいわ。書斎に持ってきて」

 「かしこまりました」

 「本当はねぇ? ネリちゃんとお話しする時間が恋しいのだけど、生憎仕事が山積みなのよぉ。最近は専門外の仕事ばっかりなんだもの、困っちゃう」

 「――あたしも、もっと話したいよ。だから仕事、がんばって。手伝えることなら手伝うわ」

 

 ばゆんばゆん。

 バスケットボールかと思う胸を弾ませ、エイダは少女を激しく抱きしめる。

 ――息が出来ない。

 長身の彼女は高いヒールを好んで履いているため、真正面から抱きとめられると、丁度ネリの顔がエイダの胸に埋もれるかたちになるのだ。

 彼女は「あらあら」と笑い、窒息しかけた姪っ子から身体を離した。

 

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