第3話

 ――お腹が空いちゃったわ。

 魔女おばさまの一声に、ウルルクは支度へ取り掛かろうとする。

 

 「ネリちゃん、苦手はモノはあるかしら?」

 「特に。ああ、魚はあんまり好きじゃないわ」

 「それなら良かった。今日は猪のローストにポワブラード――赤ワインとフルーツのピューレに黒胡椒を効かしたソースに、季節の野菜の盛合せだから」

 「イノシシ」

 「あらっ、ジビエは苦手ぇ?」

 「苦手、というか久々に食べるから懐かしくて」

 

 中等部の頃、半年間、人間の夫婦が営む牧場へホームステイしたことがある。その時は毎日のように鹿肉や猪肉を食べされられたものだ。

 

 「では準備が出来たらお呼びします。えーと、ネリ様。紅茶カモミールのお代わりが必要なら持ってくるけど」

 「……ネリで良いわ、あたしもウルルクって呼ぶから。あと紅茶は必要いらない。ああ、でも食後に珈琲をお願いね」

 「仰せのままに、姫様マイ・マ・シェリ

 

 ゾワりと鳥肌が立ち「そういうのやめて」と抗議したが、知らぬ存ぜぬといった表情で煽ってくるので、らちが明かない。幼馴染みのマルクとはまた違った、同年代の男の子にやきもきして仕方がなかった。

 若いもの達で盛り上がったのが気に入らなかったのか、西の魔女が二人の間へ割り込んでくる。

 やたら豊満な胸で顔面が押し潰されて、くるしい。

 

 「じゃあじゃあっ、私のことはエイダって呼んで♡ ね?」

 「――……わ、わかったわ、エイダ」

 

 魔女おばさまは嬉しそうに飛び跳ねると、食事の時間まで書き物をしていると言って、書斎へと消えていく。

 ――この人、コレでお父様と年子の妹なのよね。

 厳格な父の年齢を思い出し、なんとも言えない気持ちになる。

 一通り話も終わり、厨房へ向かうウルルクを横目に見送って、暖炉の火を眺めながら鳴り出しそうなお腹を必死に抑え込んだ。

 

 ※※※

 

 三ツ星レストラン並のフレンチジビエを食べ終え、食後の珈琲を頂いていると、エイダが唐突に話しはじめる。

 

 「そうだ、お願いがあるの」

 

 珈琲カップをソーサーへ戻す。

 聞く体勢を取ると、ソファーの隣へ座る彼も同じようにテーブルへ置いた。

 

 「ウルルクに魔法学、教えてあげて欲しいの」

 「イヤ」

 「えっ! ど、どうしてぇ?」

 「……あたし、学校卒業してないし。それなのに教鞭を奮うなんて、無責任なことしたくないの」

 

 彼女が言っていることはもっともで。

 いくら教科書を全て丸暗記していて、成績は常にトップだったとしても。今では『退学になったただの落ちこぼれ魔法使い見習い』なのだ。

 そもそも、おばさまが教えればいいのでは? 

 その問いに彼女は「イヤよ、忙しいし。私教えるの下手だもん」と子供のような口ぶりで言い放った。

 中々頷こうとしないネリに、少し狡い言い方をしてエイダは詰め寄る。

 

 「衣食住この家を提供する等価交換条件だと、思ってくれないかしらぁ?」

 「ぐっ……!」

 

 そう言われてしまうと、断りにくかった。

 二人からの視線が矢のように突き刺さってくる。

 熟考した挙句、背に腹は変えられないと魔女おばさまからの提案を飲み込んだ。

 

 「学校は行かせてなかったの?」

 「んーちょっと、ね。この街には学校はないし、通いってなると大変でしょ?だから行かせてなかったの。基本的な魔法は感覚で使えるわ。ただ、基本がなってないから、たまに変な魔法になっちゃうっていうか」

 「たとえば?」

 「薔薇の剪定せんていを頼んだはずが、全部ドライフラワーになっちゃったり?」

 「どんな魔法かけたらそうなるのよ」

 「あっ、そうそう。本の虫干しを頼んだら、真逆の魔法がかかってて。虫が無限に湧き出すもんだから大変だったのよぉ」

 

 ――最悪の間違いである。想像しただけで食べたばかりのイノシシが漏れ出そうだ。

 今の今まで、沈黙を保っていた当事者のウルルクに視線を移す。

 

 「あははっ」

 

 笑っていた。


 「あなたは、それで納得しているの?」

 「何が?」

 「魔法学をから教わるってことよ」

 「うーん。エイダ様に君の事を聞いて、興味が湧いたんだよね。魔法ってやつに」


 『幻獣けもの』の力を持つ幻狼族には『魔法』に必要性を感じなかった、そういうことだろうか。正直、唱えた魔法と違う魔法を繰り出してしまう時点で、必要だと気付いてほしかったが。

 

 「――良いわ、教えがいありそうだし」

 「手取り足取り。ああ、なんなら腰取り、お願いしますね」

 「だから、やめて」

 

 ※※※


 リビングで団欒だんらんした後、すぐに仕事があるとエイダは席を外してしまった。

 話し相手にしようと考えていたウルルクも、食事の片付けやバスルームの準備があると言って、忙しそうに邸内を歩き回っていて。

 荷解きもあるし、彼の邪魔になってはいけないと、自室に足を踏み入れた――。



 魔力がなくなり、学校を退学になってたった数日なのに。

 もうずっと、魔法を使っていない気がする。

 慣れない天井を見上げ、シルクのベッドシーツに埋もれた。

 人に何かを教えるのは、嫌いじゃない。

 あれだけ否定していたが、なんだかんだ言って嬉しかったのだ。

 四年生に進学した後の進路希望は、親同様、リセ・トゥール・ド魔法学校の教師だった。もう、なれないけれど。

 

 「にしても何なの、この部屋」

 

 エイダが彼女の為に用意した部屋は、即席には思えない程に揃えられたザ・ファンシーな子供部屋だった。

 

 「あたしもう十九なの、わかってるのかしら」

 

 幼稚舎の子供に与えるようなピンクとアクアブルーなど、淡い色合いを使ったインテリアは、神獣ペガサスを模した物などが多く。

 どちらかと言うと、茶色や灰色。シックな色味が好きなネリには精神的にキツい部屋である。

 居候の身で言えるわけもなく、とりあえずしばらくの間はこのままで我慢するしかなかった。


 ――ああ、お風呂にも入らないと。

 そう思うのだが、長旅の疲れからか。身体に思うような力が入らず。すべすべと肌触りのいいシーツに頬を擦り寄せ、夢の中へと落ちていった。

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